昼食に誘われた眠り。
ミシェル編 最終話
「昼食、まだだろう?」
リリィに軽く会釈したアルフレッドは、
まっすぐミシェルへ視線を戻した。
ミシェルの胸が小さく跳ねる。
怖い、けれど断れない。
昨日までなら自然に受け止められた優しさが、
今日はどうしてか冷たい影に見えた。
「……うん。まだ」
「なら良かった。少し話したいこともある」
彼の微笑みは変わらない。
けれど歩幅に合わせて歩くだけで、
逃げ道がひとつずつ消えていく感覚がした。
◆
学園のカフェテリアで並んだ昼食は、
見た目こそ普段と変わらなかった。
ミシェルはぎこちなくフォークを持つ。
(……緊張してるだけ。
食べれば……落ち着く……)
そう思って一口、二口。
味はわかる。
けれど舌の感覚がすぐ遠くなった。
三口目。
急激な眠気が襲った。
(……え……?)
まぶたが落ちる。
うつむく首を自力で支えられない。
「ミシェル?」
アルフレッドの声が遠い。
揺れる景色の中、
彼が席を立つ影だけがはっきり映った。
(おかしい……どうして……
私……ただの緊張……じゃ……)
力が抜ける。
椅子から落ちないように支える腕が入った瞬間――
世界は暗転した。
◆
次に目を開けたとき、
ミシェルは知らない天井を見ていた。
息を吸った瞬間、
花の淡い香りが鼻をくすぐる。
(え……ここ……?)
部屋は広く、整えられたベッドと持ち主の本棚。
気温は一定で、柔らかい光が部屋を照らす。
窓がある。
けれど――開かない構造だ。
「起きたか」
声がして振り向くと、
アルフレッドが椅子に腰掛け、静かに本を閉じた。
「疲れているようだったから……運んだ」
ミシェルの背筋が凍る。
(疲れて……る……?
私……眠らされ……た?)
「ここ……どこ……?」
震える声で問う。
アルフレッドは優しく答えた。
「学園寮とは別に、
留学生である俺に与えられた私室だ。
第二王子としての身分がある以上、
きちんとした滞在部屋が必要だろう?」
理屈は正しい。
けれど――
この静けさはおかしい。
誰もいない廊下。
使用人も気配すらしないフロア。
この部屋だけが世界のように孤立している。
ミシェルは毛布を握りしめ、
身体を少しだけ引いた。
その“後ずさり”は、
無意識に逃げようとしただけ。
ただ――
それが 決定的な一線 になった。
アルフレッドの瞳がわずかに細まる。
「……どこへ行くの?」
優しい声。
なのに背中に氷が滑り落ちる。
「い、家に……戻らないと……
伯爵家に……」
アルフレッドはゆっくり立ち上がり、
ミシェルの前に歩み寄った。
影が重なる。
「戻さない」
呼吸が止まった。
「君があの家でどう扱われてきたか。
俺は全て見てきた。
君が耐えていたのも、知っている」
近くで見る瞳は、
氷のように澄んでいて、底がない。
「家という言葉を使うなら――
君の“家”はここだよ。
俺のそばだ」
心臓が跳ねる。
逃げようと腰が浮く。
だがその瞬間――
カチャ。
背後で、扉が自動的にロック音を立てた。
振り返る。
扉の取っ手に触れる間もなく、
アルフレッドの腕がそっとミシェルの肩を包んだ。
「怖がらなくていい。
泣かせたいんじゃない。
君を……ひとりにしたくないだけだ」
優しい言葉。
やわらかな抱き寄せ方。
でもそれは――
優しさの皮をかぶった檻。
ミシェルの唇が震える。
「あ、アルフレッド……
いや……いや……!」
彼は静かに、悲しそうに笑った。
「嫌がっても……離さないよ」
その瞬間、
ミシェルの未来は完全に閉じた。




