“偶然”のはずなのに、逃げ道がどこにもない
ミシェルは最近、
胸の奥のざわめきが止まらなかった。
(なんでだろう……別に嫌じゃないのに……
なのに、息がうまく吸えない……)
その理由は昨日からはっきりしている。
アルフレッドが“当たり前のように隣にいる”時間が増えすぎたのだ。
◆
翌朝の教室。
ミシェルが席につくと、
「ミシェル」
当たり前のように差し出されるノート。
「えっ……!? わ、私、落とした……?」
「落とした。廊下の突き当たりだ。
拾って、君の席へ置いておいた」
(……なんでそんな場所に私のノートが……)
疑問はある。
だが言葉にできない。
アルフレッドの視線は静かで、
“反論が正しいのかさえ分からなくさせる圧”があった。
「……ありがとう」
胸が苦しくなる。
◆
休み時間。
友人のリリィが声をかけてきた。
「ミシェル、帰りに書店寄らない?
新しい魔術の参考書、可愛い表紙のやつ!」
「う、うん! 行きたい!」
久しぶりの普通の誘い。
心が少し明るくなる。
だが――。
「ミシェル」
また名前を呼ばれる。
背筋が固まった。
アルフレッドが、
いつの間にか後ろに立っていた。
「放課後、君の寮まで本を届ける。
昨日貸した手袋を受け取りたい」
なぜ――
“届ける”と言うのだろう。
リリィが気まずそうに目をそらした。
(あ……終わった。)
ミシェルは笑顔を無理やり貼りつけて言う。
「ご、ごめんリリィ……今日は……」
「あ、うん! また今度ね!」
リリィは明るく振る舞ったが、
ミシェルは見逃さなかった。
――目が、怯えていた。
(……リリィ、怖がってる……
なんで? 何が……?)
ミシェルは勇気を振り絞って言った。
「アルフレッド、その…後で…返すよ?
寮まで来なくても――」
「駄目だ。
俺がいく」
拒絶の余地がなかった。
言い方は柔らかい。
声も穏やか。
けれど“正解以外を許さない”空気が肌を刺す。
(なんで……なんでこんなに優しいのに、
逃げられないって思うの……?)
◆
放課後。
寮への帰り道。
ミシェルはひとりで歩いた。
少しだけ、アルフレッドと距離を置きたかったから。
風が冷たい。
冬の夕暮れの香りがする。
そのとき――
「帰りはこっちだ」
横から声が落ちてきた。
振り返らなくても分かった。
アルフレッドだった。
「そ、その……今日は大丈夫、ひとりで帰れる……!」
「ひとりで歩くと、危ない」
「危なくないよ……ここは学園だし……」
「危ない」
(まただ……また“決定事項”みたいに……)
ミシェルは怖くなった。
「どうして――どうしてそんなに……私のこと……」
言いかけて、言葉が詰まる。
核心に触れてはいけないと、
本能が警告した。
アルフレッドは静かに近づいてきた。
「ミシェル」
目の奥が、深い。
色が沈んでいる。
でも光がある。
獲物を捉えるような――
いや、絶対に逃がさないと決めた光。
「君の無事は、俺が確認する」
意味が分からない。
けれど言葉の隙間に、
“おまえがどこにいても把握している”
そんな温度が潜んでいた。
喉が乾く。
呼吸が浅くなる。
アルフレッドは優しく微笑んだ。
「君を心配するのは、俺だけでいい」
それは優しさの形をした“宣言”だった。
ミシェルは震える声で返す。
「……どうして、そんな……」
「理由が必要か?」
ゆっくり、ゆっくりと距離が近づく。
彼が触れた場所はどこにもない。
なのに――
触れられたような錯覚が全身を走った。
「ミシェル。
君を放っておく選択肢は、もう俺にはない」
その語尾が、静かに沈んだ。
逃げられない予感だけが、はっきりと胸を掴んだ。




