知らない手に導かれるように、フラグが立つ
翌日の放課後、
学園の図書棟は冬の夕陽に染まり、古い本の影が長く伸びていた。
ミシェルは攻略サイトのように
“記憶の中のゲーム情報”を頼りに行動していた。
(今日は、ウィリアムが図書棟に来るはず……
ここで好感度+5の会話イベントが――)
本棚の影に隠れながら、
何度も深呼吸をした。
(これで駄目だったら……本当に詰む)
足音が近づく。
しかし、現れたのは――
「……また会ったな」
昨日ぶつかった、あの黒フードの男子だった。
(……え? 違う!)
攻略対象でもない。
イベント表にも名前がない。
何度やり直しても出会ったことがない。
でも彼は、迷いなくミシェルの目の前に立った。
「隠れてどうした?」
「い、いや、その……」
心臓がばくんと跳ねる。
隠れていたわけではないのに、
“見つけられた”ような感覚が背筋を走った。
男子生徒は静かに本棚に手を置いた。
「本を探しているのかと思った。
君は……熱心だな」
胸の奥がザワッと揺れた。
褒められたわけではないはずなのに、
その声音は妙に柔らかい。
距離が近い。
近づこうとしたわけでもないのに。
(……なんでこんな自然に距離詰めてくるの?)
返事に迷うミシェルへ、
彼は指を軽く伸ばした。
「髪、少し乱れている」
触れられる前――
ミシェルは条件反射で一歩引いた。
「っ……!」
その瞬間、
男子生徒の目がわずかに揺れた。
怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。
ただ――
“観察している”。
「……怖がらせたなら、すまない」
そう言って距離を戻す。
本当に謝っているようにも見えるし、
謝っていないようにも見えた。
(誰……? 本当に、誰なの?)
そのとき。
図書棟の奥から、
ウィリアム王子が談笑しながら現れた。
(来た……!)
ミシェルは緊張で胸が跳ねる。
これが好感度を上げるチャンスだった。
駆け寄ろうとしたその一瞬――
「危ない」
腕を引かれた。
黒フードの男子が、
ミシェルを自分の背後に隠すように引き寄せていた。
理由は分からない。
本棚の角にぶつかりそうだったのか、
それとも他の生徒と肩が当たりそうだったのか。
でもウィリアムから見れば――
「……君、大丈夫か?」
王子の目に映ったのは
“得体の知れない男子に抱き寄せられている少女”。
ミシェルは一気に青ざめた。
(待って、これ……これ誤解されるやつ!)
案の定、ウィリアムは苦笑しながら言った。
「学園生活、楽しんでいるようで何よりだ」
違う。
違う違う違う。
ウィリアムの好感度が――
ゲームなら間違いなく −20 は入っている。
(なんでこんなタイミングで現れるのよ!!!)
振りほどこうとすると、
黒フードの男子が静かに囁いた。
「……動くな。バランスを崩す」
その声は低くて、妙に冷静で、
逆らう気力を奪う。
結果――
ミシェルはウィリアムの前で
“守られているような”構図になってしまった。
王子はそれ以上声をかけることなく、
興味をなくしたように去っていく。
残されたのは、
ミシェルと、距離を詰めてくる謎の男子。
(……終わった)
ミシェルは膝が笑うほどのショックを受けていた。
そんな彼女を見下ろしながら、
黒フードの男子が微かに笑った。
「君は、危なっかしい」
「……ほっといて……」
「ほっとけない」
え……?
あまりにも自然な語尾。
当然のような口ぶり。
まるでミシェルを“担当している”かのような距離感。
(なんなの……この人……本当に、誰なの?)
男子生徒は一歩だけ下がり、
丁寧に頭を下げた。
「また会おう。
――ミシェル」
名前。
呼んだ。
名乗ってもいないのに。
背筋をぞわっとする震えが走る。
(え? なんで……知ってるの?)
そのとき、脳内で聞こえた。
――カチッ。
(……分岐音?)
ゲームで、
隠しルートに踏み入ったときだけ鳴る
“特殊効果音”。
ミシェルは気づかなかった。
ただ彼が微笑み、
去っていく背中を見つめていた。
胸がざわつき、
息が浅くなる。
(……もしかして、私……
よくないルートに入ってない?)
それはまだ、序章の序章。
ただの“違和感”にすぎなかった。
この先――
ミシェルは連続で小さなフラグを踏み抜き、
気づいたときには
隠しキャラの独占ルートのど真ん中に立つことになる。




