地下要塞④
目の前に突如現れた皇竜種のファルム。その真意は?……そして、彼女が告げる戦況を揺るがしかねない提案とは?
「こんにちは、キクチ。お久し振りね?」
振り向く目の前に突如として現れたファルム。
生身の頃ならきっと飛び上がらんばかりに驚いたのだろうが、残念ながら全身義体の俺にとって不意討ちは無効だ。彼女が霧のように立ち上り現れた瞬間を後方視界のカメラが映せなくとも、俯瞰視モードで周囲の様子を感知し、出現を予測することは出来ていた。
流石は軍事施設内、こんな宿舎と言えどもセンシング機器はプライベートな空間以外はリビングや廊下にまで完備されている。
……必要か否か、は今は考えないようにしよう。お陰でこうしてファルムの出現に動じることなく対峙出来ている、のだから。
「そっちも変わり無さそうで何よりだ。……と、こちらの言葉に不備は感じないのか?」
カズンと違い、翻訳機を持っていない筈のファルムと普通に会話出来るのか、と不安になったがどうやら杞憂に過ぎなかったようだ。
「ご心配なく、この通り不自由なく会話出来るわよ?……種明かしをすれば、今回はこれのお陰で問題はないわよ?」
彼女が手にしているのは、以前渡してくれた紫色の鱗。
「簡単に言うと、これを手にした者同士は精神感応を用いて意思疏通を図れる、ただそれだけよ。」
いとも簡単にそう言うと、失礼してお邪魔するわよ?と断りながら廊下を歩いてリビングへと進むファルム。
今日は銀色のドレスに青のショールを肩に掛け、素足に軽やかなサンダルの彼女だった……おいおい土足で宿舎を歩くなよ……と思いはしたが、それを言ったら全身義体の俺だって変わりはないかもしれない。
「あら、なかなか悪くないじゃない……少しだけ狭いけれど。」
やや辛辣な感想を述べながら、カズンの姿を認めて一瞬だけ眉をひそめたものの、気にせずに勧められる前にソファーへと歩み寄り、横座りに近い格好で腰掛ける。
「……イチイ、ファルム来たの?」
「ああ、呼んじゃいないのになぁ……まぁ、別に害意が無ければ追い出すつもりもないさ。……長居さえしなけりゃ、だがな。」
俺の後ろに身を隠しながら、窺うように尋ねるカズンを安心させる為に、確認の意味も込めて言葉にして語って聞かせると、拗ねたように良い形の唇を尖らせながら両手の平を差し上げつつ、
「……それは心外ね……私を常に餓えて噛み付くサラマンダーと同じにするのは止めて欲しいものだわ?それに今回こうして参上した理由はね……、」
そこまで言うと、凛と響くようだった声のトーンを下げて、囁くような声色まで落とした後、
「…………竜帝に、そろそろ引退して戴く為に……あなた方と私で……」
集音機能を最大まで引き上げて初めて聞こえる程の小さな声で、企みを打ち明ける彼女の顔は、正に悪女……いや、稀代の傾国の美女然、といった所か……。
「…………不可侵条約、そして共闘の誓いを交わしたい、と思っているの……。」
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俺は彼女の真意を図りかねて、暫く沈黙していた。
まず、竜帝……と言うのは以前聞いた【風の種族】の実質的な支配者、だろう。それは間違いない。そして、そいつを引退させる……つまり、ファルムは下剋上、クーデターを企てている、そう言う訳か……。
不可侵条約、それと共闘の図式は簡単だ。互いに攻め寄らず、他方の為に協同して戦う、ということだ。
それ自体は不思議ではない。我々はそもそも戦いを望んではいないし、彼等とて命ぜられて戦っているに過ぎないのだろう。それが証拠に、破壊はするが支配はしてこなかった訳だ。
……しかし、一つだけ判らないことがある。
「……あんたは何を望む?……竜帝の代わりに支配者として君臨したいのか?」
単刀直入に切り出した俺の言葉に、苦笑しながら答えるファルム。
「それは違うわ……私は、支配者には成れない……【シルフィード】は、決して支配者には成れないのよ。」
寂しげに微笑みながら、ファルムはそう言うと、窓の外の景色を眺めながら、長いため息を一つ、そしてゆっくりと、一句一句を区切るように、言葉を噛み締めるように……、
「……カズン、貴女は……シルヴィから、シルヴに変わったのよ。……でも、私は、シルヴにも……ましてや、シルヴィにも戻れない……誰からも愛されず、誰の愛にも答えられない……【シルフィード】なのよ……」
そう言うと、……無駄なお喋りだったわね、御免あそばせ?と言いながら、手にした煙管に、そっ、と指先を近付けて、火を点けた。
「……此処が禁煙かどうか、聞きもしないのかい?」
「……あら、そこのテーブルに置いてある灰皿は飾りだったのかしら?」
悪びれもせずに紫煙を吐き出すファルムの横顔を、憎むような……憧れるような、複雑な表情で睨むカズンが、そこに居た。
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「……ところで、お食事の後にお邪魔したのかしら?何か良い香りがするのだけれども……?」
二口目の紫煙を燻らせたファルムだったが、不意にそう言うと俺に向かって妙に甘えるような眼差しを向けながら、
「もう少し早く馳せ参じていたら、御相伴に与れたのかしら?残念でしたわ……こちらのお料理、楽しみにしていたのに……。」
「……これは失礼……お客さんにお茶の一つも出さなくて……。……なぁ、カズン。ファルムはお前に危害なんて与える気はないって、たぶん……だがな?」
俺は暫く待ってくれ、と断ってからキッチンに向かう。
キャビネットからペーパーフィルター、そしてコーヒー豆とミルを取り出して、ファルムの前までそれを運び、ミルへ豆を入れて、ゆっくりと廻し始める。
興味津々、と言った表情を浮かべながら、細くしなやかな指に煙管を挟んだままのファルムだったが、やがて俺が豆を曳き終えて小さな引き出しから豆の粉末をフィルターへと移す様子を眺めつつ、
「……随分と手間の掛かるお茶、なのね……?それをどうやって飲めるようにするのかしら?」
と、呟く。俺は片手に持ったポットの蓋を調節し、注ぎ出す湯の量が細くなるように注意しながら、ゆっくりと周りから徐々に含ませるよう、豆に一度目の湯を注ぎ、暫く待つ。
「……これはこの粉を蒸らして薫りを引き出し、次の湯で蒸らした豆から……いや、俺も然程詳しくはない……っと、カズン、お前もコレ、食べたいだろ?」
物欲しげに見つめる視線を感じた俺は、背中越しにカズンへと盆の脇に添えて置いた茶菓子の○○○○⚪○○を手渡すと、何故かペコリ、とファルムにお辞儀をしてから、お先です!と口走ってから端へとかぶり付いた。
……ほわぁぁ~♪と切なげに声を漏らしながら、はむはむ……と次の一口へと取り掛かるカズンを余所に、ファルムの視線はフワフワと泡立ち膨らむ褐色の豆の雲に釘付けになりながら、立ち上る薫りを追い掛けるように揺れ動いていた。
「口に合うかは判らんが……俺の世界の一般的な飲み物……コーヒーだ。……正式にはカフィ、と発音するらしいが。」
「あら……まるで此方からせがんだみたいですわね……でも、良い薫り……それじゃ、失礼して……いただくわ……」
そう言いながら持ち手に指を這わせて柔らかく摘まみ、湯気の向こう側でゆっくりと薄桃色の唇にカップの縁をそっ、と押し当てて、
「……ッ!?…………ち、ちょっとこれ……かなり……熱いわよ……!?」
馴れない熱さに目を白黒させるファルムの姿に一瞬慌てはしたが、それも束の間……ちょっとだけ眉根に皺を寄せつつ、フーッ、フーッ、と暫く悩ましげな表情を浮かべながら、口を尖らせて息を吹き掛けて……、
「…………、…………ん、あら?……んふ、……ふぅ……。これは……苦いけど…………んっ、……悪くないわね……ぅん、薫りも芳ばしいし……美味しい……かも……フフ……♪」
一口一口、口を付けては離し、そうしながら薫りを楽しみつつ、再度口を付けながら、眉根の緊張感は霧散し、晴れやかな笑顔になったのを見届けてから俺は、カズンに勧めた○○○○⚪○○を彼女の前に差し出して、
「これは合うと思うが……まぁ、騙されたと思って試してみないか?」
「まぁ……意地悪なことを言うわね……あんなカズンの姿を見せられたら、だれも心配なんてする訳ないでしょうに?」
そう言われてそちらを見ると、至福の表情を浮かべながら、はぁ……♪と完食の余韻に浸っているカズン……確かにこの破壊力を見せつけられれば、警戒することの意味が若干違った方向に向けられるのは必至だろうか?
「……もしかしたら、催眠薬でも入っているのかもね?……あむ…………、……まぁ、これは……うん、…………えっ?……溶けた……?」
……それはそうだろう……周りのサクッ、とした焼き菓子特有の食感と、焦がされた生地の独特の香ばしさは手触りから容易に想像出来るだろう。
しかし、それはあくまで生地が小麦粉だけだった場合は、である。そこからは湯煎して柔らかくした後に、丁寧に練り込まれた滑らかなチョコレートとの一体感、そして加熱されても尚、取り残された独特のねっとり感の強い層へと歯先が到達した瞬間に、印象は一変するだろう。
ただ甘いだけではなく、カカオ油脂特有の豊潤な香り、そして光沢感のあるビロードのように滑らかで、それでいて嫌味のない染み渡るような舌触り。
しかしその真骨頂は、ヒトの体温で最適な口どけへと変貌することにより、ホロホロと砕ける周囲の食感と、それとは全く違う柔らかな内側の食感の違いが明確な区分の無いままに押し寄せて、悩ましげに舌の上で転がりながら弾けてそして……全てが幻のように消えてしまう……そんな冬の朝に葉の上に取り残された霜のような……儚げな存在なのだ。
「……これは……何と言えばいいのかしら……?……でも、フフフ……♪……やはり、私の見立ては間違いなかったわぁ……これだけの美味が、当たり前のように現れる……この世界も……、んふ……あぁ……、やっぱり、この苦味とこの控え目な甘さ……合うわね……♪」
「……悩むのか、告白するのか、賞賛するのかハッキリさせてくれよ……」
俺は彼女の嬉しそうに悩みながら、しかし何処と無く愉しげな……そんな複雑な表情の移り変わりを眺めながら、次の言葉が発せられるのを待っていた。しかし、ファルムが語った言葉は……、
「……こうして貴方の世界の食べ物を味わうだけでも判る位に、全く異質で絶対に一致することの無い二つの世界、と言える筈なのに……」
「……でも、私達の二つの異世界は、それでも全く同じ物なのよ……」
…………俺の思考を停止させるだけの重さを……持っていた。
ファルムの言葉はイチイに深く浸透していく……次回「二つの世界」へと続きます。
……イチイの周囲の環境が、ガラリと変わっていきます。




