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そこにはフランシスがいた。
さっきまでイヴェットを殺そうとしていた男の頭と手を踏んで動きを抑えている。
「くっ」
状況を理解したのか、もう一人の男は逃げ出そうとした。
フランシスは即座に小さなナイフを取り出し、その背に投げつける。
「いでええっ!」
フランシスの手から放たれたナイフは見事に男の肩口に命中した。
男はのたうち回り、這うように距離を取ろうとしている。
しかし無駄な抵抗だろう。
騒ぎを聞きつけた神殿護衛官やフランシスと一緒に待機していたのだろう近衛騎士たちがあっという間に駆けつけて取り押さえた。
「大丈夫ですか?」
「ええ。ありがとうございます……」
男を引き渡したフランシスがイヴェットのもとに駆け寄る。
気遣われて初めて、詰めていた息を吐いた。どっと疲れと安堵に襲われてくらりとめまいがする。
ぎゅうぎゅうに集まっていた頭の血流が一気に解放されたかのような急激な変化だった。
足に力が入らず倒れ込みかけたところで、力強い手に腰を添えられた。
「大丈夫ですか?」
「あ……」
手の主はフランシスだった。
腕一本でイヴェットを見事にイヴェットを支えている。
爽やかな容姿とスマートな振舞いから想像もしていなかった力強さだ。
思いがけない一面にイヴェットは思わず頬が熱くなるのを感じた。
(フランシス様って、意外と力があるのね)
現役近衛騎士隊長に対する感想ではないのだが、イヴェットの周囲にいた男性といえば穏やかな父やあのヘクターである。
逞しい腕など、存在は知っていてもまったく触れてこなかったのだ。
結果、強さに対しての想像力は乏しく、腕1つで己が倒れずに済んだことに純粋に驚いたのだ。
胸が弾んだ気がしたが、イヴェットは気のせいだと思う事にした。
(はじめての事で驚いてしまったのね。私もまだまだだわ)
「大丈夫ですわ。重ね重ねありがとうございます」
震える足をなんとか叱咤し、フランシスの腕から逃れる。
周囲では悪漢を取り押さえ終え、移送についての相談をしていた。
「被害者の方は……」
護衛官がイヴェットに事情を聞こうとイヴェットに話しかける。
イヴェットは正直なところ、今すぐ帰って安心したかった。とはいえそうもいかない。
「はい、私で……」
口を開いたイヴェットをフランシスが優しく眼差しで制した。
「被害者は彼女だ。しかし今日の神聖裁判が終わった直後にこのような事が起こって消耗している」
「あ、ああそういえば」
「申し遅れたが私は近衛騎士団長フランシス・コルボーン。向こうにいる騎士団員に聞けば分かるはずだ。まずは彼女を休ませたい。落ち着き次第仔細は追ってそちらに送る。いいな?」
「は、はい」
団長モードのフランシスはそのまま何があったかを説明し聴取がイヴェットに向かないようにした。
身分の確認も取れたので解放されたらしく新しく呼び寄せた街馬車に共に乗り込む。
その間イヴェットはぼんやりとしていた。
(2回目で分かったけれど、殺されるときって本当に現実味がないのね。……そんなこと知りたくなかったわ)
揺れる馬車の中で外を見ながら考える。
両親が生きていれば思い切り抱きついてわんわん泣いてしまいたいくらいだが、両親はいない。
それどころか今はイヴェットが当主だ。
(これで挫けずにしっかりしないと)
「今日はせめて、念のため今までの離宮で過ごしてほしいのですがどうでしょうか」
「離宮に……?」
「はい」




