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裁判は公平さを保つため誰であれ傍聴できるが、場所の限りはある。
イヴェット・オーダム殺人未遂事件と名付けられた裁判は、「悲劇の令嬢の真実」が知れると多くの記者や貴族が詰めかけた。
教会と似たような白を基調とした部屋、訴えた側と訴えられた側に机と椅子。
神査官席の上には教会のシンボルと神の意思を示す雷の意匠がある。
それぞれメモを走らせたり魔道具を構えたりと、一般の神聖裁判では起こりえない熱気に包まれている。
そんな中イヴェットは詰襟の、露出のない濃紺のドレスで現れた。
装飾を極限まで控えたシンプルなそれは、身体の細さと美貌を際立たせていた。
儚さと気高さをまとう、悲劇の名にふさわしい淑女である。
(トレイシーに任せたら想像以上にそれっぽくなったわね)
アンカーソン曰く、噂の令嬢が一般の多くの人々の目に触れる機会なのだから利用しない手はないという事だ。
少ししてダーリーン達も現れた。
旅行から気の休まる時がなかった為か、それとも牢にいた為か妙にやつれていた。
ヘクターはひげの手入れも出来なかったようで一瞬誰だか分からないほどである。
パウラは怯えたように背中を丸めて歩いていた。かつての態度はみじんも見当たらない。
しかしそんな彼らの中で一番目立つのは眼だった。
やや落ちくぼんだ眼窩からギョロリと憎しみに染まった瞳が世界を睨みつけていた。
(旅行で一緒だった時までは、あそこまでではなかったのに)
落ち着きなく動かされていた眼球は、イヴェットを見つけた途端に標的を定めた。
呪い殺さんとばかりにひたと凝視する瞳が八つ。
(……っ)
イヴェットはあの島での事を思い出して思わず逃げ出したくなった。
容赦のない殺意に思わず一歩引いてしまった。
神査官が入廷し始めなければもしかしたら逃げ出したかもしれない。
(こんな気持ちじゃだめよ。勝てるものも勝てないわ)
奥歯をかみしめて幽鬼のようなダーリーン達の瞳を受け止める。
「それでは神意に基づいた裁判を始めます。嘘偽りを述べず、隠し事をせず、真実を口にすることを神に誓ってください」
「誓います」
「誓います」
「……誓います」
イヴェットと代言人、そしてダーリーンたちが宣誓する。
記者たちのペンの音が聞こえる中、アンカーソンがこそりと耳打ちした。
「オーダムさん、相手の代言人が見当たらないようなのですが」
「あら、たしかに……。おかしいですね、必要な金額は神殿教会を通して渡したはずなのですが」
それは記録にのこっているはずだ。
不思議に思っていると神査官もダーリーン達の代言人に関して気づいたようだ。
眼鏡を直しながら資料に目を通す。
「あなたがたの代言人は? イヴェット・オーダムから十分な費用が渡されているようですが」
「……いえ、その」
「期日までに代言人の準備が出来ていないのであればそのまま進行するとお伝えしたと思います。なにかやむを得ない事情で到着が遅れているのですか?」
「代言人は、必要ありませんわ! 私たちは無実なんだから!」
言いよどむヘクターに、ダーリーンが歯茎が見えるほど口を開けて叫んだ。
全員に響くほどの大声は、そのただ一言でダーリーンが普通の状態でない事を人々に教えた。
「そうですか。分かりました。では通常通り進めます」
神査官は慣れているのか、淡々と進める。
アンカーソンも特に気にしていないようで、イヴェットを気遣っている。
「大丈夫ですか? 驚かれたでしょう」
「いえ……。いえ、そうですね。ありがとうございます」
「代言人をしていれば、追い込まれた人々をよく見ることになるので。依頼主側でなくて良かったです」
笑っていいのか分からない冗談と共に微笑まれるとイヴェットも少し落ち着いた。
気圧されていた人々も、神査官落ち着いた声を聞くと少し気を取り直したようだった。
まずはアンカーソンが訴えのあらましを述べた。
これに関しては「悲劇の令嬢」にまつわる感情的な部分は当然ない。
しかし内容は殺人計画。
そして未遂に終わったものの相当危険であった事が事実として並べられると人々は一層イヴェットに同情を寄せた。
「でたらめに決まっているわ! 証拠だって無いじゃない」
「今はあなたの陳述を述べる時間ではありません。邪魔をするようであれば沈黙を命じますよ」
ダーリーンが何を言っても神査官は動じない。
初老に差し掛かっている神査官はこんなことはよくあるのだろう。
「急がずとも証拠であれば今から提示しますよ」
「それは楽しみね」
アンカーソンは困ったように優しく話しかける。
穏やかな態度にダーリーンは小者だと判断したらしい。明らかに見下していた。
「まずは魔動馬車の貸し出し契約です。これはダーリーン・バルテルが求めたもので、イヴェット・オーダムが方々掛け合って借りたものです。そうですよね?」
「それがなによ」
「そして魔動馬車は専属御者がついています。まずは彼の証言を求めます」
「良いでしょう。入場させてください」
御者が何を語るのだろう。ダーリーン達は訝しんでいたがすぐに顔色が変わった。
「ああ、覚えていますよ。馬車に乗ってすぐ馬車の二階に上がって、鍵を閉めていたんですよ。嫌がらせだと思うんですが。それで雨が降ってきてそこのお嬢さんのせいだと騒いでいたものですから」
「そうですか。日時と行先は間違いありませんか?」
「間違いありません。その日に、ピスカートルへ向かいました。着いてからは別の仕事でその場にはいませんでしたが、帰りにはお嬢さんだけでした」
「イヴェット・オーダムだけですか? それはなぜでしょう」
神査官が眼鏡を直しながら訪ねても御者には分かるはずもない。
アンカーソンが口を挟んだ。
「それについては後ほど証拠を提出致します」
御者はぺこりとお辞儀ををして帰っていった。
入れ替わるようにピラート島の船員たちが呼ばれ、証言を求められる。
「はい、確かにその方々をピラート島にお連れしました。魔獣の話と柵の外にはいかないようにという事もお伝えしてます。ですが観光地の目玉である遺跡に入った時、我々の目を盗んで森の中へ進まれたようです」
「いなくなっていたんですね? 誰がいなくなったかは分かりますか」
「はい。そこのお嬢さんと、体格のいい男の人、そしてそこの女性です」
グスタフとダーリーンのことだ。
「森は見通しが悪く、どこにいったのかまでは……。あっ、もちろん周囲の捜索はしていました」
「なるほど。ありがとうございます」
そして船員と入れ替わるように今度はフランシスが現れた。
「アークリエ騎士団所属。騎士団長フランシス・コルボーンです」
ペンの音が大きくなる。悲劇の令嬢と噂の騎士団長だ。
爽やかな容姿と真っすぐな姿勢。
普段は人好きのする雰囲気が今は真面目で精悍な騎士団長の表情だ。
傍聴席からほう、と熱っぽいため息がもれるのが聞こえる。
反対にダーリーンは顔を青くしていた。ぶるぶると震えて手を握り締めている。
「あなたはピラート島の魔獣を討伐したそうですね」
「はい。討伐対象は魔獣ナックラヴィー。現在は討伐完了しております」
「そこでイヴェット・オーダムを助けた? どういう状況だったかご説明頂けますか」
フランシスは頷く。




