表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

56/68

56

 イヴェットは一時的に王宮の敷地内で過ごすことになった。

 後ろ盾が誰であるかを分かりやすく宣伝する為だ。

 王族がその辺をうろついていたら気が休まらないだろうとかなりの離れの城に案内された。

 離れとはいえ王族が使用してきたものであり、その煌びやかさはイヴェットにとって目が回るものだった。


「ありがたいけれど良いのかしら」


 過去はともかく今の王族は目立って特定の貴族の肩入れをする事があまりない。

 一時保護の名目だが介入と取られてもおかしくないだろう。

 そんな不安をそれとなく、様子を見に来たフランシスに伝えると苦笑が帰って来た。


「あなたはご自分の価値を低く見積もりすぎですよ」


「それはどういった……?」

 

 今は二人、手入れのされた中庭で甘いホット・チョコレートを囲んでいる。

 傍らにはトレイシーが控えていた。


「先日のお茶会を覚えていますか? このホット・チョコレートをメイナード王子や王妃に振舞った」


「もちろん覚えていますわ。とても楽しい時間でしたもの」


 これは社交辞令などではなくイヴェットの本心だった。

 少し前に王妃のサロンに招かれたイヴェットはカチコチに緊張していたのだが、三姉妹の姫たちや侯爵夫人も、もちろん王妃その人も穏やかでイヴェットに気を配ってくれていた。

 王族など社交界デビューの挨拶以来見ることもなかった。


「まあ、よくいらしてくださいましたわ、イヴェットさん」


 王妃がサロンを訪れたイヴェットに朗らかに挨拶をする。

 同時に三姉妹たちがイヴェットの腕をがっしりと掴んだ。


「えっ!?」


 驚くイヴェットに対して三姉妹は楽しそうに声を響かせる。


「いま、社交界はあなたの噂で持ちきりよ!」


「メイナード兄さまばかりあなたとお話して、ずるいわ……」


「詳しく聞かせてもらうまで今日は離しませんわよ~」


「えっと、あのっ」


 突然のことに目を白黒させるイヴェットだが、王妃が三姉妹を宥めてくれたおかげでなんとか無事に座ることができた。


(驚いたけれど緊張は少し解れた気がするわ)


 王族のサロンなのだからマナーや作法に厳しい場だと思っていたのだが、それは考えすぎだったようだ。

 たしかにみんな品が良く穏やかだが、堅苦しい雰囲気はない。

 王妃直々に招かれた時には胃がキリキリと痛んだものだが、身内ばかりの集まりと事前に聞かされていた通り思っていたより気安い集まりらしい。


「そういえば何か珍しいものをご用意くださったとか。気を遣わせてしまったかしらね」

 王妃が鈴を転がすような声でおっとりと切り出す。


(メイナード王子に似てお美しいわ……)


 容貌は言うまでもない。そして最先端のドレスではなく、スタンダードな形のものを着こなしている。

 細部の凝った意匠は主張しないが王妃の威厳と優雅さを際立たせていた。


「あの、お口に合うと良いのですが」


 そこへ侍女たちがホット・チョコレートをもって入ってきた。

 それぞれの前にカップを置くと、奥深く華やかな香りが濃密に部屋を満たす。


「まあ……」


 貴婦人たちもホット・チョコレートに興味津々だ。


「これは私の商会で取り扱う予定の『ホット・チョコレート』です」


 苦みのつよいものではなく、甘く仕上げた特製のホット・チョコレートだ。

 元々貴族社会に流行らせようと思っていたのだ。

 王妃やそのサロンに集う貴婦人たちは、これ以上ない相手だった。


「なんてかぐわしい香りかしら……」


「いままでかいだことがありませんわ」


「どうぞ、熱さに気を付けて召し上がってください」


 イヴェットがすすめると貴婦人たちは頬を上気させながら目配せし、こくりと口を付けた。


「あら……!」


 貴婦人たちがカップの中のホット・チョコレートを見つめる。


「なんておいしいのかしら。濃厚な香りが身体全体に広がるよう。まろやかで、甘いけれど苦みもあって。お花や果実のような香りと酸味も少しあるのね」


 王妃はそう言うとまた一口飲む。


「本当ねえ。とろけてしまいそうですわね……」


「もっと飲みたいけど飲んだら無くなるのが悲しいわ」


「次のお茶会にこのホット・チョコレートを振舞いたいわ~。ねえ、イヴェットさんどうかしら」


 願ってもないことだった。

 それが狙いだったのだから。


 あまりにも都合がよすぎて社交辞令を考えたが、貴婦人たちの表情は嘘には見えない。

 イヴェットも数々の商談の場を渡ってきたのだ。そこの見極めを間違えるとは思いたくない。


「もちろんですわ。商会にご注文頂ければすぐに持ってまいります」


 ぐっと前のめりに案内すれば貴婦人たちはかつてのメイナード達のようにきょとんとし、そして笑った。


(え、え? なぜ……?)


「ふふ。普通のご令嬢は私たちが気に入ったものがあればすぐに渡そうとしてくるのよ。いつも断るのが大変だったけれどあなたは話が早くて助かります」


「だいたいは善意からだから心苦しいのよね~。でも個人で頂くわけにはいかないのよ」


「絶対社交界で言いふらしますからね……。王家に受け入れられた、とかなんとか……」


「はあ……」


 話が見えないイヴェットは思わず気の抜けた返事をしてしまう。


「さきほどのように初めから売買であればいいのですよ。公正な取引でほしいものを買わせていただくだけですもの」


 心底うんざりした様子を見るに、嘘ではないらしい。

 今まで贈答品で色々とあったようだ。


(なるほど、王家の方々もなにかと大変なのね。たしかにメイナード王子もそんなことを仰っていたわ)


「ああ、ですがお店を出すご予定があって望むのなら王室御用達にいたしますわ。こんな素敵なホット・チョコレートと出会わせてくださったのですもの」


「それいいわね! お母さま」


 イヴェットはハッとした。


(たしかにホット・チョコレートを流通させる事だけ考えていたけれど、最初からコーヒーハウスのような形で提供できれば一気にブームを作れるかもしれないわ!)


 さらに王室御用達も与えてくれるというのであればこれ以上ないだろう。


「ありがとうございます。では王室には優先的に下ろさせて頂きますね」


 あくまで優先というだけで、売買には変わりがない。

 ただイヴェットとしても王室に下ろせるのは商会の格が上がるのでありがたい事だった。


「それすっごく嬉しいわ! こんなに美味しいのですもの、すぐ人気になって在庫がなくなってしまいそう」


「そういえばこのホット・チョコレートはどこで仕入れたのかしら……」


 貴婦人たちを見ると既にカップの半分ほどはなくなっている。

 今持てる分はほとんど持ってきたので厨房の鍋にはまだあるだろう。


「これはピスカートルで仕入れました」


 イヴェットが正直に告げると貴婦人たちは目を輝かせて「ピスカートル!」と口にした。


「ピスカートルといば、あなたが口にするのも恐ろしい思いをしたところを騎士に助けられたという、あの?」


「たしかに港町ですものね。納得ですわ。ですがピスカートルで流行している話は入ってきていませんわね」


「ええ、現地では薬として服用していたようなのです。私も知らなかったのですがフラン……騎士団長様が病室に差し入れてくださって」


 そこできゃあきゃあと黄色い声が上がる。


「今フランシスって言いかけたわよね! これって二人の思い出の飲み物なのかしらっ!」


「思い出といえばそうかもしれません。ただ、現地で飲んだのは砂糖が入っていないものでした」


「あら、それは苦みが強そうね。では商機をつかんだのはイヴェットさん自身の力ね」


「そんな……」


 王妃にやさしく微笑まれると嬉しさに居たたまれなくなる。

 しかしどこか母親を思い出すのだ。


「ピスカートルへはご家族で向かわれたのでしょう……? 商会員の方がいらっしゃらないところですぐさま契約を取り付けた手腕は本物ですわ……」


 口々に褒められる。

 慣れていないイヴェットはどうしても落ち着かない。


「ところでその後フランシスとはどうなのかしら」


 おっとりと言われたので何を指しているのか分からなかった。


「恋仲はどこまで進展しているのか気になりますわ~」


「こ、恋仲!?」


 寝耳に水だった。

 いつのまにそんなことになっていたのだろう。


「進展もなにも、そもそも恋仲ではありません。私はまだ結婚している身ですし」


「でも前にフランシスに尋ねたら否定しませんでしたわ」


「それは噂を広めるお手伝いをして頂いているからだと思います!」


「ではあなたはフランシスのことをどう思っているのかしら」


 逃がしてくれるわけではないらしい。

 おっとりとしているが権謀術数うずまく王宮の中心にいる人々だ。

 嘘はすぐに見破られ、二度とサロンに呼ばれないだろう。

 そういった圧をかけてまで聞き出したいらしい。


「フランシス様は……素敵な方だと思います。女性から人気があるとも聞きました。私も楽しくお話できますし、助けて頂いた恩もあります。私にはもったいないお方です」


 嘘ではない。ただ、イヴェットは言葉にならない引っかかりを感じていた。


「大変お優しい方ですが、それは私が被害者だからでしょう」


 それを言葉にしたときズキ、と胸が痛んだ。

 当然のことなのに、なぜか喉のあたりがきゅうとする。


(誰にでも優しいから大変な思いもしていると、本人も仰っていたわ)

 

 だから多分、この痛みの原因には気づいてはいけないのだろう。

 恩義あるフランシスの迷惑にだけはなりたくない。


「……そうですね。フランシスの騎士団長としての評価は当然知っています。やや粗暴なイメージのあった騎士団の規律を高めたのは彼の働きあってのことです」


 元々能力が高く団長に取り立てたのだが、本人の人柄によって民衆からの支持が上がり、また騎士団全体の空気が引き締まったという。


「まだお若いのに素晴らしいです」


「本当に。王家は良い人材を得ました。だからこそ、小さい頃から見守っていたフランシスには幸せになってほしいの」


 王妃は穏やかにほほ笑む。


「もちろん、あなたにもですよ。今まで大変な思いをされたのだから、うんと素敵な気持ちにならないと釣り合わないもの」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ