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イヴェットは命を守るために、決着がつくまでは騎士団に保護される事になった。
仕方のないことだがオーダム男爵夫人殺害未遂という大スキャンダルは瞬く間に社交界に広まる事になる。
イヴェットは騎士団客間ではなく王宮にいた。
晴れやかな青空の下、丁寧に手入れされた季節の花々に囲まれてお茶会をしていた。
目の前にはなぜかこの国の王子が座っている。
紅茶色の癖のない髪をゆるく背中に垂らし、黄金の瞳を持つメイナード王子は絵画の中から抜け出てきたのかと思う程美しかった。
王子の隣には爽やかさの化身たるフランシスが控えており、イヴェットの網膜に焼き込まれる美の情報量に圧倒されるばかりだ。
(眩しすぎる……!)
「フランシスとは幼馴染でね。気楽な三男同士よく遊んでいたんだよ。手紙を受け取った時には驚いたよ。そんなに急ぎの事があったかなって。でもこんなに美しいお嬢さんとお近づきになっていた事を隠しているなんて水臭いな」
「彼女は既婚者ですよ」
「そうだろうね。男爵夫人だから」
メイナード王子はにっこりと笑う。
「でも離婚したいんだろう? それが叶えばあとは自由恋愛も可能だよ」
「王子……。彼女を困らせるのはやめてください。ただでさえ大変な目にあったんですよ」
フランシスの声音に冷たいものが混じる。しかしメイナード王子は意に介した様子もなく微笑み続けていた。
「そう。本当に大変な目にあった。僕は命を狙われたことはないが、暗殺や有事に対する防衛は教えられてきたよ。そこで学んだのは、殺そうとしてくる奴の中に躊躇はないってことだ。そして理由も様々」
メイナードは指を組んで真面目にイヴェットを見据える。
「殺害未遂というショッキングな事件が身近にあると、人は防衛本能から納得のいく説明を求める」
「納得のいく、説明……ですか」
イヴェットにはメイナードが何を言わんとしているのか分からず、意味を飲み込みあぐねた。
「君は社交界から距離を置いていたらしいね」
「すみません」
「責めてないよ。むしろ羨ましいくらいだ。社交なんてしなくてすむならその方がいいんだから」
「王子」
フランシスがコホン、と咳ばらいをする。
「王子としては失言だったかな。まあそれを咎める人間もここにはいないからね」
メイナードがあっけらかんと笑うとイヴェットもつられて笑ってしまった。
ふっと肩が軽くなった気がする。
貴族と言えども男爵の、それも社交から遠いイヴェットにとっては王子とお茶会なんて緊張するし非常に荷が重かったのだ。
(さすが王子様だわ。対話技術が自然ね)
イヴェットも商談でたまに使うのだが、自分がお願いをされる立場の場合認識に齟齬が出ないようまず最初に相手の緊張を解すのだ。
まだ意識的に行っていることだが、目の前の王子は自然体に見えた。
そう見せているだけかもしれないが、どちらにせよ上に立つ事に慣れている。
だからこそ安心して問う事ができた。
「どういうことでしょうか」
「ほら、何か事件が起きるとみんな噂しはじめるだろう。最初はだいたい加害者の非難。しかし衝撃的な内容であればあるほど『そんなひどい事があっていいはずがない』って思い始めるんだ。そうなると今度は被害者の責任追及。『なにか悪いことをしたからそんな目にあったにちがいない』ってね。新聞でもそういうの見たことはないかな」
「……私が、貴族社会で中傷を受けるということですね」
「このままだとね。君には親しい後見人もいないし、旅行先で起きた事件だから言いたい放題だと思うよ」
社交界と繋がりの薄いイヴェットを人々は好奇の目で見ることは想像に難くない。
家族全員から殺されかけた女など、何を言われても仕方ないと思われるだろう。
「それも生き地獄だよね。せっかく守った命が口さがない連中によって傷つけられるなんて。自分が安心するために君を悪女に仕立て上げるくらいはするかもしれないね。そして、そっちの方が刺激的で面白いから皆それを信じる。イヴェット・オーダムは家族から恨まれる悪女! 清楚な容姿から想像もつかない実態は……なんてね」
「王子!」
「フランシス。これくらいじゃ済まない事が起きるかもしれないんだよ。お前がそんなんでどうする」
メイナードが語った事は決して誇張ではない。
むしろ実際の噂はもっとひどいものだろう。
しかし、だからといってイヴェットにはどうしたらいいのか見当もつかなかった。
「時間はないよ。どうしたい?」
細めた目をイヴェットに向けてメイナードは問う。
社交に疎いことを承知でイヴェットにどうしたいか聞いているのだ。
(つまり目的から逆算しろという事かしら)
イヴェットの目標は離婚して元の生活を取り戻す事だ。
その為にはダーリーン達に罰を受けさせ、自分は貴族社会から中傷を受けない事が条件になる。
(誰にも知られず密かに事を為す……のは無理ね。離婚したらどっちにしろ知られるし殺害未遂を隠した事がバレたらそれこそ私に非があるのではと勘繰られるわ)
貴族はそもそも離婚を滅多にしない。
したとしても妻が家から追い出されているのが普通だ。
神殿と王宮に報告するのだから誰にも知られないのは無理だ。
ふとオーダム商会が新商品を売るときはどうしているだろうかと考える。
(そうだわ)
「どうせ流れる噂なのでしたら、逆に利用したいと思います」
イヴェットの発言にフランシスが目を見開く。メイナードは笑みを深めてご満悦だ。
「いいね。どうやって利用するの?」
「それは……今はまだ誰にも知られていない状態なので、私から話を広げようと思います。事情を話して、先に事実を知ってしまえば人々の好奇心は抑えられるのではないでしょうか」
商売ではミステリアスな付加価値をつけて値を上げる事がある。
そうして購買意欲を刺激するのだが、逆に言えば手品の種の部分を明かしてしまえばいいのだ。
「社交は苦手と聞いていたがそうでもないようだね。でも少し甘いかな」
メイナードは紅茶を一口飲んでカップを置く。
「もう少し考えるべきだよ。なぜ僕がこの話を今、君としているか。話す内容は事実でいいのか」
どういう意味だろう、とイヴェットは混乱する。
まさかとは思うが、そのまさかなのだろうか。
「私ではなく、……王子を利用して社交界に話を広げるということでしょうか」
「正解。ついでに広める内容はもっとドラマチックにしたいよね。有象無象が『納得』するのじゃ足りない。イヴェット、君を応援したくなるような話をぶちまけてしまおう」
天上に住まう美の神のような顔で、腹黒いことを平然と口にする。
たじろいでしまったのはイヴェットの方だ。
「ですが……皆様に嘘をついてしまっていいのでしょうか」
「嘘じゃないよ? 君が広めたら嘘になるけれど他人が広めた噂は『誤解』になるんだから」




