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導かれるように歩くとやはり鑑賞者を休ませるための場所があった。
会場からは木で影になっており好都合である。
眩い場所にいたからだろうか、カゼボの中でも影になっている場所が妙に落ち着いた。
「ここでしばらくのんびりさせてもらおうかしら」
その声が響いたのはしばらくぼんやりしていた時だった。
このパーティーに呼ばれているような貴人に珍しい、飾らない声音だった。
急な事にフランシスは思わず笑ってしまっていた。
フランシスは既に目が慣れて人影程度なら分かるのだが、声の主はそうでもなかったらしい。
ベンチの端に座った彼女はきょりきょろと周囲を見渡してフランシスに気付いたようだ。
笑ってしまったことを謝罪する。怒るでもなく、星満ちる夜にという挨拶を交わす事ができた。
美しい、澄んだ声だというのが最初の印象である。
(たしかオーダム家の一人娘は社交界にあまり出ないと聞いた事があるな。私が言えた事ではないが)
オーダム家のイヴェット嬢が隠れた人気なのだと人が噂しているのを聞き流していた程度だ。
彼女が突然結婚した時にはそれなりに驚いたものだ。
何しろ相手は家の歴史もなく資本家でもない。
そもそも社交界で話を聞かない相手だったからだ。
ただその後父君が最期の望みにと花嫁姿を見て安心したかったという話を聞いた。
他家の事情などどうでもいいのだが全く知らないというのも困るので、その程度の話だけ聞いて納得していた。
コルボーンの名前を聞けば彼女も豹変するのだろうか。
それは少し残念な気もする。
しかし自己紹介を終えても彼女の態度は変わらなかった。
既婚者であれ、貴族は結婚と恋愛を別物と考えている人が多い。
そういった貴婦人たちから積極的に迫られる事も多いフランシスにとってイヴェットの飾らない態度はフランシスに心地よかった。
同じような理由でここへ逃げてきたというのも安心する。
そしてイヴェットに「皆に気を遣っている」と指摘され、むず痒い気持ちになった。
伯爵家として家に泥を塗らないように立ち回ってきた事を認めてもらったような気がしたのだ。
常識ある人間であれば多かれ少なかれ周囲に配慮をするものだ。
だからフランシスの努力など、本当は褒められるような事ではない。
(逃げてもいいなんて、初めて言われた)
男、それも伯爵家の生まれの人間が冗談でも逃げるなど口にしていい事ではないし言われたこともない。
短い時間だが彼女と話しているとフランシスは仮面がはがれるような、肩の力が抜けるような感覚がする。
軽やかに逃避を肯定する彼女に強烈な共感を覚えた。
同時に、苦しそうに言葉を紡ぐ理由を知りたいと思った。
(逃げたいのは彼女の方ではないだろうか)
ふとそう思った瞬間、雲の切れ間から月明りが差した。
まず目を奪うのは蜜を垂らしたような金髪。
夜会だというのに比較的慎み深いドレスは肌の白さを際立たせていた。
月明かりを集めたかのような金色の睫毛に縁どられた新緑色の瞳は穏やかに細められている。
知的でありながらいたずらっぽい視線に射抜かれてドキリとする。
花弁のような唇に気付いてフランシスは胸がざわついた。
(天使と話していたのか……?)
目の前の天使の笑い方は可愛かった。
声を上げて笑いたそうにしているのに貴婦人らしく抑えた結果なのかたまに変な音声になってしまっている。
よく覚えてもいない彼女の夫になった男がたまらなく羨ましくなった。
話せば話す程彼女に惹かれていくのを感じる。
友人たちが恋は良いものだとしきりに言っていたが、全く同意できない。
彼女は既婚者なのだ。
会場に戻るというイヴェットはフランシスに全く未練もなさそうに去っていった。
月明かりに取り残されたのは、フランシスだけだ。
遠目にナックラヴィーを視認し、作戦通り弓を放つ。
多くは鱗に弾かれるだろうが関節や鱗の隙間にねじ込めれば勝機は格段に上がる。
馬で一気に距離を詰めた所でフランシスはナックラヴィーの下、草むらの中にいる人影に気付いた。
すぐさま人命救助を最優先の作戦変更を伝え、剣で対応する。
魔獣の首を落とし、倒れている女性を助け起こそうとしてフランシスは驚愕した。
(イヴェット様)
あの時から焦がれてやまない庭園の天使が、なぜこんな場所にいるのだろうか。
久々に見たイヴェットはひどく憔悴しているように見えた。
魔獣に殺されかけたのだ。
血の気が失せて青ざめた顔や、震える身体は当然の事だろう。
むしろ日常的に訓練していないのに失神していない事が驚きだ。
しかし艶を失いかけている髪、全体的に肉が落ち、華奢というよりはやつれていると言った方が正しい身体は昨日今日で作られたものではないだろう。
(何があったのかは分からないがとにかく保護が優先だ)
少なくとも魔獣被害者だ。抱きかかえた時に見えた足の怪我もひどかった。
(しかし、あれはナックラヴィーの傷跡ではなさそうだな)
一体イヴェットに何があったのか、それは本人の口から語られた。
血の気のない顔、やせ細った身体を引きずるようにしてイヴェットはドームスへ証拠を撮りに行った。
事情を聞いてしまえば仕事としても無視できない話だった。
庭園で出会って以来、オーダム家の話には積極的に情報収集していたのだが、いかんせん表に出る話が少なかった。
結婚後少し特殊な家族形態をしていること、事業が上手くいっていること、あまり良い噂を聞かない人間が出入りしていること。
社交界で噂を聞こうと思えばそれなりに聞けるものだが、いまいち全てが繋がらないままだった。
しかし病室での家族の態度やイヴェットの扱いを見るに、全ては真実で一つの事実を示していた。
(オーダム家は乗っ取られようとしていたのか)
あの家は今や保護者が誰もいない。
イヴェットは成人しているとはいえまだまだ経験もなく危ういところもある。
殺意を持つ相手に対し、それでも希望をもって旅行を計画したのだろう。
その結果死にかけた。
(彼女を守りたい)
小さくなるイヴェットの背中を見ながらフランシスはこぶしを握り締めた。




