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「イヴェット様!」
病院こそ一般的なものだが個室入り口を一人の騎士が見張っていた。
フランシスの顔を確認すると横にずれてドアを開けた。
中に入ると回復術士がベッドの傍で待機している。
イヴェットはベッドの上で目を閉じていた。頭に包帯を巻かれ、頬には大きなガーゼ。
腕は折れているのか大きな石膏帯で固定されていた。
「様子はどうだ」
「生命力に問題はありませんが肉体は予断を許さない状況です。何かあればすぐ対処できるよう待機しております」
「そうか」
フランシスと術士の会話にショックを受けるトレイシーとは別にダーリーンはほっとしていた
やっとの思いで逃げかえった所で誰にも根回しできていなかったのだ。
特にトレイシーはイヴェットの侍女なので警戒が必要だった。
しかしイヴェットがこの状況なら殺害計画もバレないだろう。
(当初の予定通りイヴェットが財宝目当てで奥に向かったのをグスタフと止めに行った事にしようかしら)
「……してよ」
ダーリーンが立ち回りを考えている間にもカペル夫人は怒りに震えていた。
「どうしてよ! なんであんたが生きてて夫が死ぬのよ! おかしいじゃない! お前が死ね!」
「ちょっと……」
意識のないイヴェットに殴りかかろうとするカペル夫人にその場の全員がギョッとする。
トレイシーがベッドに覆いかぶさって守ろうとし、フランシスが即座に夫人を抑え込んだ。
「あんたが死になさいよ! いますぐ!」
その勢いにヘクターは怯えて後ずさり、パウラも涙目になってしまった。
夫人はわんわんと泣いて崩れ落ちてしまった。
「殺しなさいよこの女をぉ! 夫と同じ目にあわせてやる!」
カペル夫人はそのまま部屋の外に連れ出され、別室で落ち着くまで待機になった。
誰も付き添う事はなく、その日はトレイシー以外ドームスに戻る事にした。
完全に気配が消えた後、イヴェットはゆっくりと目を開けた。
「イヴェット様! 気づかれたのですね!」
目にいっぱいの涙をためてトレイシーが覗き込む。
「ごめんねトレイシー。よっと」
イヴェットは元気に身体を起こしてぽいぽいと石膏帯を外し、包帯やガーゼ、布で固定していただけのチューブを外していく。
その様子にトレイシーは目を白黒させた。
「イヴェット様……?」
「お義母様たちから逃げる為に一芝居打ってもらったのよ。本当はあんまり怪我をしていないの。騎士団の方に治してもらったしね」
ひらひらと手を振り、回復術士が同意するように頷くとトレイシーはぼろぼろ泣きだしてイヴェットに抱き着いた。
「よ、よかったですイヴェット様……」
「心配かけてごめんなさい」
「では私は任務に戻ります。外傷は少ないとはいえ、けっこうな怪我でしたし危ない所だったのできちんと休んでくださいね」
「ありがとうございます」
術士が注意を添えて退出すると、トレイシーと二人きりになったイヴェットはこれまでの顛末を話した。
「ひどすぎます……」
なるべくトレイシーを怖がらせないように事実だけを述べたのだが、その事実が殺人なのだからどうしたって限界はある。
イヴェットも説明の為に冷静になっているだけで、腕を掴まれた時の恐怖、魔物と目が合った時の絶望と常に戦っている。
目を閉じるとグスタフが殺されている時の音がよみがえる。
騎士団が来てくれていなければ今頃自分もああなっていた。
気を抜けば今もトレイシーの前で震えてしまいそうになるし、起こった事に向き合えば叫んで逃げ出したいくらいだ。
(それでも私は決めた)
「私ね、もうあの人達と一緒にはいられない。私の死を望む人にもう優しくはできないわ」
トレイシーはハッとしたようにイヴェットの顔を見た。
トレイシーから見たイヴェットは常に凛とした美しさを備え、誰にでも優しい女性だった。
ダーリーン達のわがままにや付き合い、
それが今大きな決意を下した人の顔をしている。
「復讐する事にしたの。協力してくれるかしら」
そう語るイヴェットの目をしっかりと見てトレイシーはイヴェットを安心させるように大きく頷いた。
「もちろんです。トレイシー家の使用人は全員イヴェット様の味方です」
「それにしてもなぜこんな演技をされたのですか?」
石膏帯や包帯を整理しながらトレイシーが訪ねた。
ダーリーン達の前で重傷を装ったのにはもちろん理由がある。
「まずはとにかくあの人達を油断させる為よ。『殺し損ねたイヴェット』が元気である場合、口封じの為にどんな手段に出られるか分からないでしょう。でも動けず、騎士団に保護されている状態の私に対しては当面は大人しくするしかないわ。入り口の見張りは患者が出ていくのも、侵入者も防ぐという印象を与えたはずよ」
見張りの騎士はまだ入り口の外にいる。
会話は聞こえていないだろうが、フランシスが気を利かせてくれたのだ。
「そしてあの人達と共にいたトレイシーを取り戻す事。彼女たちはホテルに戻るだろうけれど、私付きの侍女が心配だからと病室に残るのは不自然ではないわよね。実際あなたはそうしてくれた」
「もし私が残ろうとしなかったり、ダーリーン様に連れていかれそうになったら……と思うとこうしてお話出来なかったのですね」
「そんな事はないわ。術士の方が誰か一人付き添いをお願いする予定だったのよ。そうしたらあの中ではもちろんあなたが残るでしょう?」
「確かにそうですね」
彼女は自ら立候補するだろうし、ダーリーン達は近くにいたくないだろう。
トレイシーが近くにいたら口封じのための作戦会議もやり辛いだろうからこれはダーリーン達にとっても利があるのだ。
「最後に、私が騎士団の人に殺されかけた事を信じてもらう事」
「騎士団の方々はイヴェット様を疑われているのですか?」
むっとしたようにトレイシーが眉を顰める。
それをイヴェットは宥めた。
「疑っているわけではないと思うわ。ただ、一人の発言を全て信じるわけにもいかないのよ。だからあの人達を呼んで一度騎士団の方にご覧いただこうと思ったの。演技でも一旦は悲しむかと思ったのだけれど、あからさまに安心していたわね」
困ったようにイヴェットは笑う。
同席してもらったフランシス達には事前に話しているのでダーリーンの不自然な態度にも気づいただろう。
「その後のカペル夫人には驚きました」
「そうね……」
カペル夫人の取り乱しようにはイヴェットも驚いた。
夫妻は仲睦まじいという様子もなかったのだが、伴侶が亡くなるというのはやはりつらいものだろう。
遺体は回収されているとだけ聞いたが、体面は無理だとも言っていた。
(私の時はお父様とお別れをする時間があったものね。それがこんなに急になんて。……でも、同情はしないわ。もう決めたもの)




