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ヘクターとグスタフが飲みに行き朝のうちに起きられなかったのだ。
ピスカートルの鐘に行く予定は流れ、船の予約をしているピラート島にそのまま向かう事になった。
謝罪はないもののさすがのグスタフ達も居心地が悪そうだった。
二人を待つ間、馬車の中でピスカートルの鐘の見事な音色の事をガイドから聞き、ダーリーン達はかなり楽しみにしていたのだ。
それでも黙り込んだままで、感情のまま暴れたり叫んだりはしなかった。
(何かしら、ずいぶん大人しい感じだわ。見知らぬ土地で緊張しているのかしら)
全員が揃うと街馬車で港まで移動し、そこから小舟へと移る。
「海だわ! こんな小さな船に乗っても大丈夫なの? 怖いわ!」
「はっはっは、身を乗り出したりしないでくれよ」
パウラの発言を笑って聞き流す気のいい船乗りが見事な操船で他の船や小島の間をすり抜けていく。
船は波にゆらゆら揺れて心もとない。
しかし目線に近いところにある海はドームスからの景色とまた違った美しさだった。
より海特有の香りを全身で感じるし、風が少し冷たい。
「近々交通整理をして遊覧船事業をしようかって話が出てるんですよ」
船の後ろの方でぼんやりと海を眺めているとガイドが話しかけてきた。
ピスカートルの男性らしく健康的に日に焼けた肌の持ち主で、パサついた髪が風にふわふわと揺れている。
護衛も兼ねているだけあって鍛えられた身体をしているものの気安い雰囲気だからなのか威圧感はあまり感じられない。
「遊覧船は今もあると聞いていますけど、それとは違うのですか?」
「今あるのは全部個人がやってるものなんで、トラブルが絶えないんですよ。それでここの領主さまへの苦情がどんどん増えてきてだったらいっそ公共事業にしようかって」
「そうなのね。またここに来たくなっちゃうわ」
「お嬢さんみたいな方ならぜひ何度でも来てほしいですね。ガイドである俺にこんなに丁寧に接してくれる方はそういませんから」
ガイドを雇う人というのは限られている。大体は王都からの貴族だろう。
中央主義で異国を蛮族扱いしている貴族からしてみれば彼らなど敬意を払うに値しないのだ。
見世物小屋を見るような悪意の混じる好奇の態度は現地の人々を大いに傷つけただろう。
「大変な思いをされてきたのね」
「いえまあ俺はべつに。それよりあなたこそ大変でしょう。昨日酒場で噂になっていましたよ。最悪な三人の客が来たが、金色の髪をした貴婦人のおかげで気分が良かったってね」
「ええっ? もうそんな……いえあの、私は昨日も旅装というか一般的な恰好をしていたと思うのだけれど」
気にすべきところはそこではないとは思うのだが、ガイドの負担を減らし揉め事を回避する為の変装のようなものなのだから貴族だとバレては意味がない。
「とても美しいという事を除けば見た目はたしかに普通ですよ。この地に溶け込んでいますが態度や言葉遣いで分かります。我々を気遣って頂いているのもね」
困ったように眉根を寄せるイヴェットにガイドは笑いダーリーン達の方にちらりと視線を向ける。
「仕事柄人を見る目はあると自負しています。……お嬢さんはあの方々が苦手でしょう」
「あら……客を相手にしているにしては浅薄ではありませんか? 彼らだってオーダム家ゆかりの人間である事には違いありませんのに」
「馬車の中であんなに視線を合わせないのであればさすがに何かあると思いますよ」
悪びれた風でもなくからりと笑う。それは知らず態度に出ていたイヴェットを気遣うものだと気づいた。
「ありがとうございます。気を付けますわ」
「ああいや、お嬢さんが気を付けるのはそこじゃなくて……」
「おおい、着いたぞー!」
ガイドが何かを言いかけた時に丁度船頭が大きな声でピラート島への到着を告げた。
横向きに接岸し、ポートから降りる。
ぱっと見何もない島だがそれなり大きく、伸びた砂浜から少し歩くとすぐに鬱蒼とした林になるような場所だった。
観光地向けにロープが張られており、歩くルートだけは足元がある程度石が埋められて整えられているようである。
(砂浜ってこんな感じなのね……)
湿った砂だけの大地だ。
踏みしめると若干沈み、寄せては返す波がその足跡を消している。
ガイドに着いて歩くイヴェットやトレイシーとは別にダーリーン達はおっかなびっくり歩いているのでかなり遅れていた。
林の入り口で一旦止まり、そこで全員が揃うのを待つ。
ヘクターとグスタフは酔いが残り、ダーリーン達は旅行向けの服装ではないので傍から見ていて大変そうだった。
「全員お集まりいただきましたね。このピラート島はかつてこの辺りを根城にしていた海賊の宗教跡地です。おっとご心配なく。もちろん今は海賊はいませんよ。えーっと、そうだ、百年位前にいなくなりました」
何度も繰り返した話なのかガイド冗談を交えつつ話を進めていく。
「海賊たちは独自の信仰を行っていました。略奪行為と異教信仰はここピスカートルの人々を恐怖に陥れました……。しかし! 港として発展していく内に国と現地住民が手を取り海賊を追い出したのです。海賊たちは船でいずこへと逃げたようですが、ここの建築物はそのまま残りました。その見事な意匠と二度と海を荒らさせないという決意の元、ここを観光地として残すことにしたのです」
身振り手振りを交えてガイドは説明していく。
林道沿いには確かに見慣れない船や魚の石像があり、ここに人がいた事を感じさせた。
「ねえ、林って言ったってぐるっと回れる距離でしょ? なんでこんなに厳重に柵がしてあるのよ」
それはパウラからの疑問だった。島の裏側は岸壁らしいが、確かにここには落ちるような場所はなく少々過剰にも思える。
うーん、と悩むように頭をかいてガイドは口を開いた。
「魔物が出るんですよ」
「ま、魔物!? なんでそんな所に連れてきたのよ! 信じられない!」
何か言いかけたガイドを遮ってダーリーン達はすぐさま騒ぎ立てた。グスタフに影響されたのか、素晴らしい反射速度である。
しかし魔物は人を襲う生物だ。恐怖に襲われるのも仕方がないだろう。
「まあまあ。この石像があったりする所辺は安全なんですよ。ただ林の奥の方に進むと急に現れるんで間違ってもそっちに行かないようにって事ですね。まあ、魔物が海賊の財宝を守ってるなんて言い伝えもありますが。俺たち現地の人間はよくこの島に入ってますがここら辺で襲われた事は一度もないので大丈夫ですよ」
ヘクターやパウラはそう言われても納得はできないらしく、今すぐ帰りたそうにしていた。
ただグスタフとダーリーンはなぜかガイドの話に前のめりになっている。
「海賊の財宝? そんなのがあるの?」
「言い伝えですよ。船に財宝の全てを詰め込んだら沈むっていうんで、泣く泣くこの島のどこかに埋めたらしいっていうやつです。いつか財宝を取り返しに来た海賊が、悪い子も一緒に攫っちまうから皆いい子にするんだぞってこの辺はそう言い聞かされて育ってますよ。でもここら辺は整地してありますから、財宝があるとしたらもっと奥なんじゃないですかね」
「ふうん、なるほどね……」
「ただの伝説なんで探しに行かないでくださいよ」
ガイドの念押しはダーリーン達の耳に届いているのだろうか。
(不安だわ)
魔物に怯えていたのに財宝の事を聞くとすぐに手のひらを返した。
王都に住んでいれば魔物などまず出会う事はない。
いるにはいるのだが辺境の地であっても討伐は進んでいるらしく、今やどこにいっても昔話扱いだ。
ダーリーンにとっては財宝の方がよほど身近な存在だろう。
(まさか、飛び出したりしないわよね)
ひそひそと何かを話しながら歩いてるダーリーンとグスタフを後ろに感じながらイヴェットは何事も起こらないよう祈るのだった。




