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スリやトラブルに巻き込まれない為に軽装でお願いします、と伝えていたはずなのだがダーリーンを始め皆すっかり忘れていたようだ。
女性陣はクリノリンこそ着けていないもののたっぷりのフリルとレースを使ったドレスを着ていた。
鞄も沢山馬車に積み込んで、もはや夜逃げの様相を呈している。
グスタフはなぜかヘクターの礼装を着ている。
ヘクターの方が細身、というよりグスタフは体格が良く加齢によりお腹も出ているのでサイズが合っていないものを無理やり着ていて違和感しかない。
当のヘクターは使用人が用意した一般的な軽装を着てはいるが、初めての旅行という事で不安らしく日用品やらなにやらをケースに詰め込んで大量の荷物になっていた。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「ありがとう。あなた達も羽を伸ばしてちょうだいね」
旅行の間は使用人たちも休みにした。
主人のいないタウンハウスでの仕事は多くなく、それならばと長期休暇にしたのだ。
給与は変わらないから安心してほしいと伝えると困惑していた。
しかし日ごろ苦労をかけているのだから充分な休みも必要だろう。
屋敷の全てを施錠し、最後にドアと門に鍵をかけてイヴェット達は出発した。
魔動馬車はその使用目的から一般的な馬車よりかなり大きく、快適だ。
白に金と銀の装飾が入った美しい馬車で、二階部分は幌式になっており開放的な空間になっていた。
四頭立ての四輪、二階建ての立派な箱型馬車である。
車底と車輪に魔動力装置を取り付ける事で馬の負担を大幅軽減しスピードを出せるのだ。
揺れも従来のものよりかなり抑えられている為、簡単な食事であれば車内でも行う事ができるほどである。
内装を変えれば三十人も乗れるらしく、六人であれば一台で十分だと言われた通りの広さだったが荷物のせいでギリギリになっていた。
イヴェット達はさらに舗装された有料道路を使うので快適さは普通の馬車の比べ物にならない。
ピスカートルまでは輸送用の主要道路が走っている為、さらに時間短縮にもなる。
普通の馬車で五、六日かかるところを二日で駆け抜けられるというのだ。
ダーリーンやカペル夫妻、パウラは早速二階に上がっていった。
彼らは馬車が屋敷の前についた時から大はしゃぎだったのだ。
イヴェットももちろん現物を見たのは初めてだったので馬車に心を躍らせたのだが、隣で先に羽目を外されてわくわくするタイミングを逃してしまった。
パウラは昨日の仕返しなのか、二階に上がる階段のドアを閉めてイヴェットが上がれないようにしていた。
一階で寝るつもりだったのでイヴェットにはむしろ都合が良かったのだが、そういった悪意を向けられる事には未だに慣れず悲しくもあった。
「まあ! 景色が一望ねえ! 風が気持ちいいわ~」
「おばさまどいて! 私が一番前がいい!」
「風が強くないかね」
二階で各々が楽しんでいる声がうっすらと届くのを、一階の一番手前の椅子でイヴェットは聞いていた。
奥は二階に繋がる階段がある為、なるべく関わらないようにしたのだ。
夜通し仕事を片付けていたからもうぼんやりと眠気がきている。
「眠っても大丈夫ですよ奥様」
長距離用の馬車なので眠る貴婦人が外から見られないようにする為の衝立もあった。
トレイシーはその用意をしながら優しくイヴェットに語り掛ける。
「そう、ね。ありがとうトレイシー……」
つれてきた侍女はトレイシーのみである。
カペル夫妻やダーリーンには元々使用人がいなかった事、また旅の中で貴族だと思われないように最小限にする事は全員に共有した。
護衛は現地で雇うものの、それだって一人である。
だからこそ貴族と使用人ではなく友人同士に見えるようになえるべく質素な服をと伝えていたのだが、全く聞いていなかったらしい。
新たに護衛を雇うにしても信用できるかどうかは分からないしおそらく足元を見られるだろう。
それでも安全には変えられないわよね、とイヴェットは頭が痛くなりそうだった。
うなされるように眠りについたイヴェットを、トレイシーは静かに見つめていた。
(イヴェット様が幸せになりますように。少しでも安寧を得られますように)




