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「どうしたの、トレイシー」


「……奥様、なぜパウラ様をお許しになったのですか」


 トレイシーにとっては同僚が危うい所に立たされ、彼女にとっても思い出のあるブローチを盗まれかけたのだ。 

 パウラが大きな顔で何事もなく眠れるのが不満なのだろう。

 そうね、とイヴェットも悩むように相槌を打つ。


「私だって我が家の使用人を巻き込むのは許せないわ。ブローチに手を出した事もね。それに、例えばあのブローチを地元に戻った時とかにオーダム家由来のものだと吹聴されたら困るのよね。多くの人は冗談だと思うでしょうけれど、本気にした人がオーダム家を真贋も分からない愚か者だと侮ったり偽物を売りつけに来る業者が増えるかもしれない。それはそれだけで迷惑な事よ」


「そうですね」


「それでも彼女はまだ幼くて、私も彼女の事をよく知らないの。だから最初から機会も何もかも奪うのは違うと思ったのよ」


「……奥様は優しすぎます」


「たしかに、甘いかもしれないわね。でも優しくはないのよ。結局自分が変わらない道を選んだ彼女に対して、もう付き合う気持ちはなくなってしまったわ。あの謝罪の瞬間、『あっそう』って、他人事にみたいに思ってしまったの。もう二度目はないわね」


 優しさなどではなく、人としての一応の義理は通す為の事だったのだ。

 本当に優しい人であればおそらく彼女からカペル夫妻を遠ざけたりもするのだろう。

 

 だがイヴェットには彼女にそこまでの思い入れはなかった。

 自嘲気味に笑うイヴェットに、トレイシーは困ったように笑う。


「やはり奥様は優しすぎます」




 執務室についたイヴェットにトレイシーは不思議そうな顔をしていた。


「寝室ではないのですか?」


「明日馬車の中で眠るわ。その為に今夜は仕事を進めようと思うの。ヘクターのように眠っていればあの人達も無理難題は言わないでしょう」


「確かにそうかもしれませんね」


 トレイシーは何かを考えるように沈黙する。

 そして少しすると顔を上げてイヴェットを見た。


「では私はもう休んでもよろしいのですか?」


「え? ええ、もちろんよ。あなたには明日からも付き合わせてしまって申し訳ないわね」


「そんなことはありません。今日はしっかり休んで、明日奥様の安眠をお守りします。何が起きるか分かりませんから」


「……」


 イヴェットがはっと驚くほど、トレイシーの瞳は決意に満ちていた。 

 そういえばイヴェット結婚をした頃の彼女はたまに髪を下ろしたりしていたが、今はきちんと結い上げている所しか見かけない。

 彼女だけでなく、使用人全体の雰囲気から忠誠が高まっているのを感じる。


(こんなに頼もしくなったのね。私は一人じゃないんだわ)


「それでは失礼します、奥様。くれぐれもご無理はなさらないでくださいね」


「おやすみなさいトレイシー。良い夢を」


(トレイシーも他の皆も、本当に素晴らしい使用人たちだわ。私も良い主にならなければ)


 ヘクターが連日愛人の元へ通い、ダーリーンが幅を利かせて我儘三昧を通しているこの屋敷で働くのは大変だろう。


(今回の旅行によって使用人たちの精神的な休みになればいいと思う。でもそれだけじゃだめね)


 根本的に変えなければならないのだ。

 その為に色々と手を回してはいるが、どうしても決定打に欠ける。

 旅行でイヴェット自身も気分転換をして何か良い案が浮かべばと思っているが、共に行動する彼らを見ているとそれも難しいかもしれないと思うのだった。

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