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「今日の夕食はイヴェット自ら音頭を取って用意したんですって」
ダイニングルームに向かいながら、ダーリーンがうきうきとグスタフたちにイヴェットの仕事を披露する。
「主人の立場の自覚が足りないんじゃないか? 使用人みたいなことをしてみっともない。貴族とは思えん卑しさだな」
「ほほほ。あなた、人には生まれつき格というものがあるのですからそんな事を言ってはイヴェットさんが哀れではないですか。本人にもどうしようもないことと言うのはあるのです。誰もがあなたやヘクターさんのようにはいきませんわ」
「お前は優しすぎる。ああいう世間を舐めた女は一発教育してやらねばならんのだ」
パウラも合流して席につく。
「こんな古臭いとこのご飯なんてなんにも期待できないけど。お腹壊さないでしょうね?」
「兄さんはお腹壊したことないから大丈夫だよ」
「お兄様は平気でも私は繊細なの!」
最後にイヴェットがダイニングに現れた。
既に座っていた皆がハッと目を見開く。
「皆様、改めて本日はいらしてくださってありがとうございます。至らない点もあるかとは思いますが精一杯おもてなしさせて頂きますわ」
イヴェットは今貴族の中で最先端の夜会用のドレスを着ていた。
薄い緑の絹のドレスに同じ色で染めたチュールとレースを重ね、腰とスカート部分にはベルベットで抑揚をつけている。
デコルテを美しく露出したデザインであり、ベルベットと繊細なレースが肩と胸周りを覆っている。
そこに金糸の細やかな刺繍が入り、全体を華やかに彩っていた。
イヴェットの蜂蜜のような髪はゆるやかに巻かれ、頭の上にはそろいの素材で作った花飾りが飾られていた。
その花飾りから飾りが揺れるので、イヴェットの髪と相乗してランプの灯りに反射され目を惹く。
アクセサリーは控えめなネックレスとイヤリングのみだったが、手首に巻かれた濃い緑のレースが肌の白さを際立たせた。
どこからどう見ても上流社会の貴族である。
イヴェットの登場によって場の空気が一変したのを側に控えていた使用人も感じた。
椅子に座る姿も優雅であり、微笑まれると性別に関わらずドキリとするだろう。
グスタフとヘクターなどはぼんやりと惚けてしまっていた。
ダーリーンも着飾っていたが、これ見よがしに宝石や濃い色のドレスを着ているだけで全く品がなかった。
差を見せつけられたダーリーンは怒りでぶるぶると震え始める。
カペル夫人はそもそも一般的なモーニングドレスだ。
憧れと嫉妬を視線に乗せてじっと見つめるのはパウラである。
下に見ていた「オバさん」の変わりように生意気な口も開かないようだ。
(よし、黙らせたわね)
このドレスはイヴェットの一張羅である。
夜会には久しく出ていないのだが、急に誘われることもある。
その時に流行遅れのドレスを着ていくと社交界でのオーダム家の名に傷がつく。
だから少ないドレスを仕立て直しているのだが、丁度先日完成したものが届いたのである。
今日着る予定はなかったのだがあまりにも見下されているようなので使用人に無理を言って短時間でセットしてもらった。
(さすがうちの使用人。私でもこんな風になれるなんて相変わらず鼻が高いわ)
鏡の中の自分は記憶の中より荒れていた。
それを誤魔化してここまで仕上げるのだから本当に大したものだ。
髪には椿油を含ませ、肉付きが落ちた為デコルテ以外の露出はしていない。
イヴェットが片腕を上げると壁際で待機していた給仕が一斉に無駄なく動き出す。
磨き上げられたグラスにワイン(パウラにはぶどうジュースだ)を注ぎいれていく。
「あら」
「ほう、これは」
給仕がわざとらしくない程度にラベルを見せるとダーリーンとグスタフは思わず声を上げた。
(気づいたわね)
ラベルはワイン好きでなくて酒をたしなむ者なら誰でも知っている入手困難なワインであることを示していた。
それをイヴェットはひけらかすわけでもなく何でもない顔で注がせている。
パウラだけは不思議そうな顔をしているが、大人の表情を見て何かいいものであることは理解したようだ。
「旅行の成功を祈って、乾杯」
イヴェットが流麗に腕を動かしグラスをかかげる。
慌ててヘクター達もグラスを持ち上げ、乾杯と同意した。
「ふむ……これがかのモンラ・ミエールワインか。深みと華やかさが同時に味わえる」
「飲んでいく間にどんどん香りが変化していきますわね」
「味は濃厚で重い程なのにどんどん飲めてしまいます」
はしゃぐダーリーン達を後目にイヴェットはイヴェットで静かに楽しんでいた。
(奮発したかいがあって美味しいわね本当に。全部自分で飲んでしまえばよかったかしら)
今日のワイン全てがモンラ・ミエールというわけではない。
3杯目あたりからはもっとグレードを落とした(それでもイヴェットが美味しいと思う銘柄である)ものにする予定だ。
「こんなワインを飲めるなんてダーリーンは幸せね」
カペル夫人はお酒好きなダーリーンを持ち上げるつもりで言ったのだろうが、ダーリーンも初めて飲んだのだ。
見栄を張りたいダーリーンは歯切れ悪く「ええ、まあ……」と答えるしかない。
「お義母様のお好きなワインをご用意したのです。気に入って頂けてよかったですわね、お義母様」
ちょっとした悪戯心でイヴェットは「助け船」を出した。
ついでにイヴェットの「良き嫁」としての株も上げておく。
これで今後ダーリーンは高いお酒が分かる人としてもてはやされるだろう。
実際の所、ダーリーンは酔って騒ぐのが好きなだけだ。
お酒の味など分かっているようには見えないのだが、それで今後困ったとしても自業自得だろう。




