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「まさか会長がそんな雑務をしているとは」


「おかげでオーダム商会の優秀さが改めてよく分かったわ」


 イヴェットは会長として大きな金額を動かすのに慣れても、実践的な催促の文面や小旅行の資金繰りなどに対して感覚が育っていなかった。

 なので返事が来ない問題や旅行の細々した事に関しては商会員にアドバイスを貰ったのである。


「本当に助かったのよ」


「会長の、その分からない所を素直に尋ねられたり相談される所を私たちは信用していますからね」


 たしかに、とその場の会員が朗らかに笑う。


「ですが会長、最近お疲れのようですから休める時は休んでくださいね」


「ありがとう」


 休みなら今度長期で取ってしまっているのだ。

 今回の旅行で休めるとは思っていないが、海を見て気分転換くらいはできるだろうか。


(疲れてるように見えるかしら)


 そういえば白粉の量が増えた気がする。

 ずっと商談で舐められないようにキツめの化粧と暗い色のドレスを着ていた。

 仕事がない時は疲れてオシャレなど考える暇もなかった。


(せめてピスカートルにいる間は好きな恰好をしようかしら)

 

 旅行なので何でもかんでも持っていくというわけにはいかないが、現地で良い出会いがあるかもしれない。

 流行を作り発信することが多いのは王都ではある。

 けれどその王都の貴族たちにこれから流行るだろう商品を売りこむのは商人でありそれを支えるのが輸送隊なのだ。


 

 あっという間に旅行前日になった。

 最後まで不安だったカペル夫妻は、一応旅行を楽しみにはしてくれていたのかたっぷりの荷物をもって前日にオーダム家にやってきた。

 

 夫の方、グスタフはがっしりした体格を持ち、神経質そうに目をぎょろつかせている人だった。

 やや白さも混じる髪を後ろになでつけているが、袖口や靴に気が回っていないのか態度と裏腹に汚れも目立つ。

 

 カペル夫人も神経質そうな人だった。

 痩せているため、骨ばった印象が強く残る。

 常に眉を寄せ警戒するように周囲を見渡す様子は小動物のように見えなくもない。

 少なくともイヴェットに良い感情はなさそうだった。


「よくいらっしゃいました。イヴェットと申します。お会いできて嬉しいですわ」


「ふん、この家では女がでしゃばるのか? ダーリーン、ヘクター。お前たちの教育がなっていないぞ」


 出来るだけ愛想よく挨拶をしたのだがにべもない返事だった。

 言うまでもなく今回の旅行は全てオーダム家持ち、もっというならイヴェットの私費である。

 あまりにもダーリーンの兄らしい態度に、聖人でもなんでもないイヴェットは普通に腹も立つ。


(だったら来なくても良いんですけど)


「まあ伯父さん、せっかくの旅行なんですから。至らない所があればお手数ですが教育をお願いします」


 争いごとが嫌いなヘクターが仲介しているつもりなのか、間に入る。

 教育というのはイヴェットに対してだろう。

 淑女らしくしろと文句を言っている。

 

 それに対してヘクターが責任逃れをしつつイヴェットにすべてをなすりつけたのだ。

 イヴェットはこの挨拶だけで先が思いやられる心地で頭を押さえた。


「なあにこの埃臭い屋敷!」


そんなカペル夫妻の後から馬車を降りたのは女の子だった。


「こんにちはパウラ」


「こんにちはお兄様! お久しぶりですわ」


 ヘクターが挨拶をするとパウラはぱっと笑った。

 パウラとヘクターは顔立ちがよく似ていた。薄茶色の瞳と、父親譲りなのだろう黒髪を流行の形に結っている。

 今時の女の子だ。


「こんにちはパウラさん。イヴェットよ。くつろいでくれると嬉しいわ」


 イヴェットはカペル夫妻に冷たくされてもくじけずパウラに微笑んだ。 

 しかしパウラはイヴェットの方を一瞥するとフン、と鼻を鳴らして睨みつけるように笑う。


「伯父さん達を懐柔できないからって私に媚びを売るなんてやめてよねオバさん。売女が移るから寄らないで。お兄様も可哀そう、こんな女と結婚しなくちゃいけないなんて。そういえばお 兄様、少し荒れてないかしら。この女がろくに世話もしてくれないのね、おいたわしいお兄様」


「はは……」


 怒涛のように言葉を重ねるパウラにヘクターは困ったように笑うだけだ。

 それはそうだ、家から逃げているのは自分の方なのだから嘘が苦手なヘクターは笑うしかないのだろう。


(こ、この人たち……)


 段々結婚式の時の事も思い出してきた。

 父とヘクターが見栄を張った結果、大量の人数に挨拶をし捌かなければならなかったので元からイヴェットと親交がある人以外は正直な所あまり覚えていない。


 カペル夫妻は式当日は大人しくしていたので特に何も思う所はなかった気がするのだが、パウラは別だ。

 結婚式前から妙にイヴェットを敵視しているのだ。

 ヘクターに懐いているようだから奪われた気がして寂しいのだろう、とイヴェットは思っていた。

 兄妹の中で長兄と実質縁が切れている中、末っ子でまだ子供のパウラがヘクターと離れがたいのは分かる。


「ちょっと、呆けていないではやく案内して下さらない? こっちは移動で疲れているんだから」


 使用人に荷物を預けていたカペル夫人が眉をさらに寄せて高い声で不満を述べる。


「申し訳ございません。さあ、こちらですわ」


 イヴェットはとりあえず気を取り直して案内を始める。それに口を出したのはグスタフだ。


「おいヘクター、お前が案内するんだ」


「えっ?」


 ぼんやりとついていこうとしたヘクターは突然の事うろたえる。


「女なぞに先頭を歩かせるのか? 家主としてお前がやるんだ」


(男性は威張る為に先を歩いているわけではないのだけれど)


 とイヴェットは思ったが、場を収める為とヘクターが少しでも働くのであればと思いすっと後ろに下がる。

 ヘクターは慌てたようにイヴェットを見るが、知った事ではない。不在の期間が長いとはいえ家の案内くらいは出来るだろう。


(ものすごく馬鹿にされて腹は立つけれど実質的には少しだけ肩の荷が下りたようなものね。ヘクターも反省するかしら)


 おどおどと誘導するヘクターを見てイヴェットは少しだけスッとした。

 しかしカペル夫妻とパウラはそれ以上に苛立たせてくる。


「こんな陰気な場所に住むの? 私にまでカビが生えそうでイヤ」


「食事が不味かったら承知しないぞ」


「調度品の趣味が合わないわね」


 たった一日の仮宿に対して三者三様口々に言いたい事言を言う。

 どうやら家を守る立場のイヴェットを貶める事に喜びをを見出しているようだった。

 

 ちなみにカペル夫人が趣味が合わないと言った場所はダーリーンが勝手に入れ替えた部分なのでイヴェットは声を上げて笑いそうなのを堪えるのが大変だった。

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