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「普段は護衛任務ですが遠征もしますよ。実務経験を積むために隊ごとに行うんです。たまにベテランの護衛騎士の方も参加されたりして、そういうときは全員緊張してます。気合も入りますが」
「近衛の方が頼もしいと王子も安心ですわね。……っくしゅん!」
「すみません、冷えるまで引き止めてしまって。イヴェット様との会話が心地よくてつい。すぐ戻りましょう」
会話に夢中になっている間に身体が冷えたらしい。
「会話が楽しかったのは私も同じですわ」
その時鐘がなった。パーティーの始まりから二刻ほど経っていたらしい。
(一瞬のように感じたわ。お義母様に色々言われるのも嫌だしそろそろ帰らないと)
「ちょうどいいので戻りますね。またどこかで会う事がありましたらその時はまた」
「えっ、あの! 会場まで送らせてください」
「一人でここまで来ましたから大丈夫ですわ。フランシス様はここでお休みになっていてください」
フランシスが驚くのも無理はない。
普通の貴族女性が敷地内とはいえ一人で歩いたりはしない。
しかし逃げてきた相手を連れ戻してはまたしばらくご令嬢方が離しはしないだろう。
イヴェットはフランシスを残し身を翻して会場へと足を進めた。
パーティーのメイン会場に着くと様々な音と眩い光、ぬるい温度がイヴェットを襲う。
ある程度酔った人々が踊ったりひそひそ話をしていたり、宴もたけなわといった様子だ。
(ヘクターはどこかしら)
帰るにしてもヘクターを見つけなければならない。
ヘクターは着いてすぐ姿をくらませたものの、そう広い会場でもないからすぐ見つかるとイヴェットは思っていた。
「えっ」
思わず声に出してしまった。
会場を入り口とは逆側の廊下に出たソファの上、ヘクターはいた。
豊かな黒髪を結い上げて豊満な胸を魅力的に見せる、ジェニファーと共に。
(意図せず現場だわ!)
ヘクターに声をかけなければならない。しかしジェニファーと親密な様子で話している所にどうやって突っ込んでいけばいいのだろうか。
(私は不貞を知らない設定なのだから、えーと、結婚式以来? 覚えているのもおかしいかしら? もう、なんでこの方も呼んでるのよクラリッサ!)
イヴェットは後から知った事だがジェニファーは有力賭博場経営者の娘らしい。
本人も賭博の技術が高く、一部では有名人のようだ。
当然クラリッサはジェニファーとヘクターの特殊な関係の事など知らない。
とにかく証拠を集めていることがバレないように無知な妻のふりをしなければならないのだ。
こほん、とイヴェットは咳ばらいをするが、二人はお互いを熱っぽく見つめるだけでイヴェットには全く気付いていない。
姿勢を伸ばし、ゆっくりと近づいていく。
「ヘクター『様』」
声をかけ、二人がイヴェットの姿を視界にいれると二人は不自然な程パッと距離を取った。
(ちょっと、こっちが知らないふりしてるのにそんな事されたら気づいちゃうじゃない)
にっこりと出来るだけ自然に表情筋を動かして優美にほほ笑む。
「そろそろ戻りませんと。……あら?」
そうして、ヘクターに声をかけて初めて気づいたというようにジェニファーに視線を送た。
「どこかで見た顔だけど誰だっけ、今思い出しています」というように首を傾げながら、お前から挨拶しろと圧をかける。
目下から挨拶しろという実に貴族的な仕草だ。
額に汗をにじませるジェニファーだが、さすがに糸に気付いたらしい。急いで立ち上がって膝を曲げて挨拶をする。
「お久しぶりでございますイヴェット・オーダム様。ジェニファーでございます。星満ちる夜に出会えた事を嬉しく思いますわ」
「星満ちる夜に、ジェニファー様」
そこでようやく思い出したかのように少しだけ目を開く。
「結婚式以来ですわね。あのあとはまたばたばたしてしまって。お元気でしたか?」
(こんな感じでいいのかしら!? 分からないわ……)
「イヴェット、帰るんだろう」
ジェニファーと同じく冷や汗を浮かべているヘクターが会話に割り込み、脱いでいたコートを掴んで立ち上がる。
イヴェットの腕を痛いくらいに掴むと出口の方に向かい始めた。
「ヘクター、ご友人にちゃんとご挨拶しなければ」
「いいんだよ」
とにかく早くその場を離れたいようだった。イヴェットは思わず笑ってしまう。
それは先ほどの庭でのような純粋に楽しい笑いではなく、軽蔑的な笑いだった。
そんな自分にも嫌気がさしてしまう。
(あくまで隠したいのならこんな所で逢瀬をしないでちょうだい)
きっとヘクターも偶然出会ったのだろう。
それで余計に運命だとでも思って燃え上がったのかもしれない。
(さしずめ私は燃える炎にくべられた薪ってところかしら)
どこかに妻がいる中で人目を忍んで会うのは刺激的なことだろう。
(禁断の愛は燃え上がると流行りの小説に書いてありましたわ)
クラリッサに簡単な別れの挨拶をしてその日は屋敷に戻る事となった。
帰りの馬車の中でお互い口を開くことはなく、ただ馬車の進む音だけが響いていた。




