014 そして夜は更けて
本日も朝晩2話更新となります。夕方~夜にまた一話投稿します。
グレナと共にミランダの部屋を出て、侍女やメイド、使用人の部屋が並ぶ棟へ向かう。
侍女や執事は小さい個室、または家族がいるならば複数人で入れる部屋を与えられる。
メイドや使用人は相部屋になるが、待遇はとても良い。食事だって三食出る。二食のところも多いのに、素晴らしい勤め先だ。
メルルの個室でグレナの手伝いでドレスから寝間着に着替え、少ない荷物をトランク一つにしまったところで、グレナはじっとメルルの顔を見つめた。
厳しいようで優しく、目端の利く女性だ。怖がらずにじっと彼女のヘーゼルの瞳を見返す。
「よかったわね、メルル」
「侍女長……ありがとうございます」
「あなた、ずっと婚約者ができるまで、って言ってたからね。これまでだって、新しいことをする時はすぐにマニュアル化してくれたし……仕事のことは気にしないで。あなたの絵入りのメモのおかげで、みんな侍女として一段腕があがったわ」
前世の日常メイク知識がこんな風に役立つとは思わなかったが、自分がいなくなってもできるようにしなければ意味がない。奥様にも申し訳が無いし、この化粧技術(前世動画由来)がミランダから社交界に広まれば、メルルが自分にメイクを施しても下手に目立つこともない。
一石二鳥だ。
「ありがとうございます、お役に立てていたなら嬉しいです!」
「きっと、ボウウェイン公爵家でもうまくやれるでしょう。あなたなら大丈夫、頑張りなさい」
「何よりのお言葉です……! 着替えも荷造りも、手伝ってくださってありがとうございました」
「エリザとレティーはもう休んでいるから、明日の朝一緒に見送らせるわ。それじゃあ、おやすみメルル」
「はい、おやすみなさい」
グレナが静かに扉を締め、足音がそっと遠ざかっていった。
夜会に出る度に侍女仲間やグレナはメルルの身支度を手伝ってくれた。もちろん普通の貴族令嬢の水準ではないが、ドレスの脱ぎ着や髪型は自分では手が回り切らないのだ。
本当に良い職場だった、と扉に向かって頭を下げたメルルは、窓際の書き物机に目を向けた。
今日の分の新聞が置いてある。寝る前に、使用人用に買ったものをこうして置いておいてもらい、目を通す習慣があるのだ。
三社分の新聞を手にベッドに腰掛ける。ファリーダはすたっとベッドへ着地し、居心地のいい場所に転がった。
「は~、今日は色々あったなぁ……」
『メルルお疲れさま~、おかえり~』
「ファルちゃん~、ただいま~! ……この部屋とも今日でお別れだね」
『ここのご飯美味しかったね~! メルル、毎日二人分食べても怒られなかったし』
「……一人分はファルちゃんが食べてただけだけどね……すっかり食いしん坊認定されてる」
『えへへ、ファルとメルルは相棒だからメルルが食べてるで間違ってないも~ん!』
最初はメルルもお給料でファリーダの分のご飯を買っていたのだ。毎日仕事の前や仕事終わりに外で一日分の食糧を買いこむのがバレて、グレナとミランダがメルルに二食分を出すようにしてくれた。おかげで美味しいご飯を毎日ファリーダといただけたのだが、本当に申し訳なかった。
その分、出来る限り貢献はしたつもりだ。
「……はっ。明日からファルちゃんのご飯どうしよ……」
リベリオスはドレスのことは承知してくれたが、この二人分食事が必要、ということは言っていない。非常食のケークサレがあるので明日の昼くらいはファリーダがお腹を空かせることはないだろうが、公爵家の婚約者が町で食べ物を買うのは褒められた光景ではない。
近くに伏せていたファリーダをそっと膝にのせて、メルルは少し考えてから口を開いた。
「ファルちゃん、リベリオスにファルちゃんのこと言ってもいい?」
『んー……いーよ! その方がいっぱいご飯食べれるんでしょ?』
「食べれる食べれる」
ファリーダのちょっと舌足らずな問いに、そのまま返してこくこくとメルルは頷く。
『ならファルちゃんもリベリオスにご挨拶するー!』
「……カメラ欲しいな」
前世の最推し兼現婚約者のリベリオスと、今世でずっと共にいる可愛いもふもふ小動物ファリーダのツーショットを思い浮かべ、メルルは低い声で呟いた。本気のやつである。
明日の心配もなくなり、メルルは新聞にざっと目を通し始めた。
今日のレイラードの話を思い出しながら読むと、いろいろな点と点が繋がるような記事が多い。しっかり自分の生活にも影響があったのか、と頷いて紙面をめくる。
「ん? ……王都近郊に魔物が増えてる……、うーん、あんまり良くないね」
『そだね。魔王はもうないないしたのに変なの。ダンジョン壊れたかな?』
「スタンピードのこと? いやー、そういう感じじゃないねぇこの書き方は……じわっと増えてるって感じみたい」
一番大きな新聞社の三面記事に『王都に迫る危機、魔物の目撃証言急増』という記事があった。しっかり冒険者ギルドに裏取もしているようで、ギルドマスターからの注意喚起も添えられている。
『繁殖ー? 魔力は……くんくん……増えてる感じしない』
魔物の数が増えると、その場の魔力濃度が変わるのだ。魔物は存在するだけで場の魔力濃度を上げる存在で、増えすぎると作物や家畜が魔物化したりする。人間が平気なのが不思議だが、魔王領の侵攻を食い止めねばならなかった理由の一つはこれである。
「そっか、じゃあ偶然だったかもしれないね。もし魔力濃度が変わったら教えてね」
『わかった! メルル、そろそろ寝る? 明日リベリオスが愛の奴隷でおむかえに来るんでしょ?』
「ウ゛ッ!」
『メルル!?』
メルルは胸を抑えてベッドに倒れ込んだ。そのまま寝間着の上から胸部を掴む。
呼吸が乱れ、肩で息をするメルルの周りを、ファリーダがおろおろと動き回る。
「はぁ、はぁ……っ危ないところだった……」
なんとか一命をとりとめたメルルに、ファリーダのじっとりとした視線が突き刺さる。
『……慣れないと危ないよ? 明日から一緒のおうちで暮らすんでしょ?』
「そ、そうなんだよねぇ~~……! 一緒のおうちで……いや、たぶんめっちゃ家でかくて実感そんなに無いだろうけどさ~!」
ウェルゴー公爵家もかなり広い。一日や二日顔を合わせない同僚や家人がいることも稀じゃない。
きっと筆頭公爵家ともなれば、婚約者といえどそういった頻度の交流になるだろう。
だが、同じ家でリベリオスの気配や痕跡を感じながら暮らせるのだ。
メルルの顔は夢をみているようにぼうっとした。天井に手を掲げて、自分の輪郭を確かめる。幸せ過ぎてこのままふわりと消えてしまいそうだと思ったのだ。
「……すごいね。腐らずに頑張ってきたご褒美かな?」
『きっとそーだよ、メルルはファルと出会ってからも、その前からも、ずーっといい子で頑張ってたもん』
ぽつりと呟いたメルルの頬にファリーダも顔を寄せて、優しく告げる。
ファリーダとメルルが出会ったのは十年以上前だ。それからずっと、ファリーダはメルルの頑張りを傍で見て、支えてきた。
「えへへ、そっか。ありがとファルちゃん」
『だからいっぱい幸せになるんだよ、ファルがいるんだからいっぱいいっぱい幸せになるんだよ』
「うん……、そうなると、いいなぁ……」
ファリーダの珍しく真摯な言葉に、だんだんとメルルの瞼が落ちてくる。
今日は一日、本当にいろんなことがあった。目まぐるしすぎて現実味がないが、この疲労感がかえってメルルを安心させて眠気へと誘っていく。
(何か奇跡がおきて……ずっとリベリオスと一緒にいられたらいいなぁ……)
『……奇跡じゃなくてもできると思うよ。おやすみ、メルル』
(うん、おやすみファルちゃん)
ファリーダは眠ってしまったメルルの代わりに魔導灯を消すと、メルルにくっつくようにして身体を丸めた。
今日は温かい春の夜。掛布がなくとも、寄り添っていれば温かいのだ。
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