153 ロイ君とグリド先生
夕方にレオンさんが『こども園』に来た。さっそく我が家の馬車に乗ってグリド先生のお宅に向かう。
ロイ君は馬車に乗るのは初めてだそうで、馬車の中ではしゃいでいる。立ったり座ったり窓の外を眺めたり。
「ロイ、危ないから座って。父さんのお膝においで」
「はあい」
ロイ君がレオンさんの膝に抱えあげられ、満足そうだ。ふと気づくとその様子を私の隣に座っているヘンリーさんが見ている。表情からは何も読めないけど、私はちょっと胸が痛んだ。
お屋敷に着くと、今日はサラさんだけでなくグリド先生も出迎えてくれた。先生は今まで見たこともないような満面の笑みだ。
「ようこそ。私が魔法使いのグリドです」
「レオンです。この子はロイです。本日はお世話になります」
「ボク、四歳!」
「そうかそうか。さあ、こっちにおいで。私と少し話をしようか」
「うん!」
グリド先生がロイ君と手をつないで階段を上がり、全員で書斎に入った。部屋に入ってすぐ、グリド先生が「この子はかなりの魔力持ちだね」とレオンさんに言う。レオンさんが驚いて聞き返した。
「もうわかったんですか?」
「魔力があるかどうかは一瞬でわかるんだよ。さっそくだが、レオンさんに気をつけてほしいことがある。この子が魔力持ちであることを、絶対に口外しないでほしい」
ああ、そうだった。だいじなことだわ。四歳では、自分の身を守れないもの。
「魔力を持っているのは喜ばしいことかと思っておりましたが。それはなぜでしょうか」
「私の友人は、ロイのような高魔力保有者だったばかりに親に売られ、貴族の屋敷に閉じ込められ、酷使された。七歳から二十三歳までだ。自由になったのは、その友人が余命いくばくもなくなってからだ」
「そんな……。でしたらご指導いただく必要はございません。魔法使いになれなくても、この子は私が可愛がって幸せに育てます」
グリド先生が首を横に振った。
「この子の魔力量はまだまだ増える。体の成長が止まるまでな。魔力は体内を巡り、充満し、やがて勝手に外へ出ようとするだろう。魔力の使い方を知らないままそんな事態になれば、大きな事故が起きかねない。家の一軒くらい吹き飛ぶことも考えられる。だから魔力制御を学ばせるのは、この子のためだ」
「家を吹き飛ばす、ですか? 想像もつきません。この子がそんな……」
私は辺境伯領での半年間を思い出した。
「レオンさん、私は魔力制御の指導をしたことがありました。その人は指導係の魔法使いがいたにもかかわらず、魔力を暴発させていました。石造りの立派な壁を打ち破ったり、庭に大きな穴をあけていました」
レオンさんが右手を額に当てて目をつぶってしまった。グリド先生は「ロイ、これを見てごらん」と話しかけた。
ロイ君に手のひらを見せ、ごく小さな声で呪文を唱えた。先生の手の上に、小さな炎が現れた。炎は少しずつ大きくなり、最後は高さが一メートルくらいの大きな炎になった。
「わっ!」
「これが火魔法だ。氷魔法も見せてやろう」
先生は手をシャッ! と振って火を消し、今度は氷を出した。みかんほどの大きさの氷が現れ、ピシピシと微かな音を立てつつ氷が成長していく。サラさんが部屋の隅から木桶を持ってきて差し出すと、先生は氷をそこに落とした。コンッという音を立てて氷が落ち、続けて先生の指先から水が流れ出す。水は見事に一定の太さを保ちつつ桶に注がれる。
「先ほどのが氷魔法、これは水魔法だ。この他にもいろんな魔法がある。練習をすれば、ロイもそれを使えるようになる」
「ボク、魔法使いになりたい!」
「だが、大きくなるまでは魔法が使えることを人に言ってはいけないんだ。悪い人に知られたら、さらわれてしまう。お父さんと暮らせなくなってしまう」
「やだ。ボクはお父さんと一緒がいい」
先生が何度もうなずき、ロイ君の目を覗き込んだ。
「魔法の練習をして私のように魔法が使えるようになれば、悪い人が来ても魔法で追い払える。そうなるまでは内緒にできるかい?」
「わかった! ボク、ないしょ、できる!」
「ソフィアにも内緒だぞ? できるか?」
「できる! リリにも内緒?」
「ここにいる人以外、誰にも内緒だ」
「わかった! 内緒、できる!」
このあと、ヘンリーさんがロイ君を連れて庭に出た。私たちはその間にロイ君の魔法修行について意見を交わして、スケジュールを立てた。
ロイ君は週に一度ずつ、園の帰りに先生のお屋敷に通うことになった。魔力を巡らせるところからグリド先生が指導する。ロイ君の上達の具合によっては週に二度通う。家では決して魔法を使おうとしないことなどがレオンさんに伝えられ、話し合いが終わった。
私が窓を開けてヘンリーさんとロイ君を呼び寄せようとしたら、ヘンリーさんがロイ君を抱っこしていた。ロイ君が笑っていて、ヘンリーさんも幸せそうな顔をしている。
あっ、と思ったけれど、明るい声で呼びかけた。
「ヘンリーさん、話し合いが終わりました!」
「ああ、今戻ります」
窓を閉め、意識して口角を上げた。
仕事が残っているヘンリーさんを馬車でお城に送り届け、お城からは歩いて店に戻った。夕方の店の混雑時を乗り切り、サンドル君たちを帰してキアーラさんと二人になった。
「マイさん、何かありましたか? 元気がないみたいですけど」
「いいえ、何も。今日は忙しく動き回っていたから、少し疲れたのかも」
キアーラさんはしばらく私を見ていたが、「マイさん、右手を出して」と言う。言われるまま右手を差し出すと、キアーラさんはポケットから何か小さなものを取り出して私に握らせた。手のひらにあるのは小さなネズミだ。ガラスではなさそうだから、透明な水晶だろうか。
「これは……ネズミですか?」
「はい。シルヴェスター先生にいただいたものです。先生の魔力が込められていて、『小さな願い事なら二回、大きな願い事なら一回だけ叶うよ』とおっしゃっていました」
「そんな貴重な品はいただけませんよ。キアーラさんが持っていて」
「いえ、願い事の話は、たぶん先生の冗談だと思います。そんな魔法を見たことがないし記録もしていません。シルヴェスター先生はたまにそんな冗談を言う方でした」
冗談にしたって、これは形見だ。気持ちだけ頂くと言って断った。すると……。
「私はシルヴェスター先生が旅立って一人になってから、このネズミにお願いをしました。『一人は寂しいから、誰かと楽しく暮らしたい』と。願いが叶って、今はこうして楽しく暮らしています。だから私にはもう、願い事はありません。マイさんが気になさるなら、このネズミはここに置いておきましょう」
そう言ってキアーラさんは厨房の、かまどの反対側の壁の棚にそのネズミを置いた。小さなネズミは猫とウサギのぬいぐるみの間で、まったく目立たない置物になった。
キアーラさんが夕食を食べて二階に上がり、私は帰ってきたヘンリーさんと一緒に夕食を食べた。
向かいの家に引き揚げる際、そのネズミに指先で触れて(赤ちゃんが授かりますように)と願った。
二人で家に帰り、お風呂に入った。ほかほかした体でベッドに入った。
(私は欲張っているんだ。結婚する前は、生きているだけで大感謝していたのに)
少しして、ヘンリーさんが私の方へと寝返りを打った。
「マイさん、もう眠りましたか?」
「いえ。どうしました?」
「俺はマイさんと一緒に生きていければそれでいいんです。これ以上の幸せは望んでいません。今日、俺がロイ君と遊んでいるのを見て、悲しそうな顔をしていましたね。あなたが何を考えているか、すぐわかりました」
そっか。ヘンリーさんは鋭いものね。
「今度の休みに、海に行きませんか? 五月の終わりだと、どんな魚が美味しいかな」
「いいですね。行きましょう。ソフィアちゃんとリリちゃんも連れていっていいですか?」
「いや、今回は二人で。なかなかマイさんと二人になれないから、たまには二人きりでのんびりしたい」
「わかりました。じゃあ、二人で」
そう約束して、私は目を閉じた。






