145 リーズリーの話とレリーフの贈り物
ザックス様が帰ったあと、少ししてリーズリーさんも来た。リーズリーさんは大股で私に近寄りソファに座ると「私も一緒にあの魔法で帰りたい」と言う。
「一緒に帰りましょう。私たちができることは終えましたし」
「店主殿、あなたが納得していないように見えたので、心配してここに来た。辺境伯の采配に不満もあるだろうが、我々は国の使いとして来ている。辺境伯家には辺境伯家の都合があるのだよ」
「それはもう大丈夫です。ヘンリーさんの説明で理解しました」
「よかった。では私の知っている話だけでも聞いてほしい。私が師匠から聞いた、資料に残っていない過去だ。師匠は『子供の頃に祖父から聞いた』と言っていたから、百年以上前のことだ」
師匠とはグリド先生のことだ。
「王が誰かを警戒すれば、その警戒はジワジワと漏れ伝わる。そうなると王におもねる者はその貴族と距離を置く。飢饉の際に配られた食料の数字は記録に残るが、人々の感情は記録に残らない。招待されて断れずに参加した夜会で、辺境伯夫人とご令嬢が他の客から完全に無視されたことは記録には残らないのだ」
「わ……」
「だがされた側の記憶には残る。誰かの尻馬に乗って悪意をぶつける愚か者も多かったことだろう。辺境伯軍が国境を守らねば、自領がどうなるかも考えずにな。しかし、貴族はそんな愚か者ばかりではないぞ。ハルフォード侯爵家は、そんなときいつでもさりげなく辺境伯家の夫人とご令嬢の相手をなさったそうだ」
ハルフォード侯爵家はキリアス君の実家だ。リーズリーさんの話によると、当時から中立派だったハルフォード侯爵家の当主ご夫妻が「見るに堪えない」と言って辺境伯家の味方をしたそうだ。
「そんなことは記録に残らない。だがその場の様子もまた重鎮たちに伝わり記憶される。そんな記憶で重鎮たちは今もハルフォード侯爵家が辺境伯家と手を組むのを恐れる。今の陛下は聡明で慎重な方だから上手に舵取りをなさっているが、周囲の人間の考えまで全て自分と同じにすることなどできない。そんなことができたら国王はずっと同じ家から選ばれる」
そこでヘンリーさんが会話に加わった。
「辺境伯領での我々の行いを、貴族たちは陛下のお考えと受け取ります。腹の立つことがあったとしても、顔に出すべきではありません。我々のことはどこで誰が見ているかわからないのです」
「そうだ。あなたが夕食を断ったことは、どこからか他の貴族に漏れる。なぜだ? と勘繰り深読みする者もいる。どうやって漏れるのかはわからないが、漏れ伝わるのだよ」
「うかつでした。申し訳ありません」
「なに、あなたは辺境の村で育ったと聞いている。貴族の思惑に詳しくなくても仕方ない。しかもあれだけ家を修復したのだ。あなたは疲れて寝ているとハウラー文官が報告したから、何か言われたらそれで通せばいい」
そう言ってリーズリーさんは出て行った。
「ヘンリーさん、あなたが私を国の派遣としたことや、国民の教育に口を出したことも、漏れ伝わって貴族たちの記憶に残る?」
「ええ、そのうち噂になるでしょうね。実家が子爵家で一代限りの男爵風情が、魔法使いの妻を利用して国の施策に口を出した、と言われると思いますよ」
「えええ……」
するとヘンリーさんが黒く笑った。
「言わせておけばいいんです。結果がよければ俺はそれで満足ですから。母の講義の際、マイさんは貴族の集まりに出なくていいと言ったのはそれもあるんです。俺の出世は過去に類を見ないほど早かった。おそらく次の宰相は俺です。現場の文官たちはともかく、その親兄弟で俺を妬んでいる人は少なくない。わざわざそんな連中の集まりに出て意地悪をされる必要はないんです」
「ふうん……」
私の顔を見ていたヘンリーさんが急に慌てた。
「マイさん? なんでそんな黒い笑みを浮かべているんです? 売られた喧嘩は買ってやるぜ、みたいな顔ですよ?」
「あら、バレた」
「そんな喧嘩は買わなくていいです。俺がもっと結果を出せば、そんな意地悪もできなくなります。まあ、見ていてください」
「そうね。わかりました。ヘンリーさんの足を引っ張るような行いはやめておきます」
ヘンリーさんは私の後ろにきて、ふわりと抱きしめてくれた。
「明日の朝には帰りましょう」
「はい」
その翌朝、朝食を食べているときに私とヘンリーさんに訪問客が来ていると知らされた。神官のエリアス・ポートマンさんだ。食後に接客室へ向かう前、ヘンリーさんに確認した。
「神官様に関して、気をつけるべきことはある? たしかルミナ教、だったよね。私は神様の名も知らないまま今日まで来ちゃったわ」
「ルミナ教の神はルミアスです。調和を司る神で、国民のおよそ六割が信者です。ルミナ教の悪い噂は今のところありません。王家は神殿を尊重しつつも深入りはしていません。俺の実家も結婚式と葬式のときだけ関わる程度です」
「わかった。それに合わせておきます」
応接室で待っていたエリアスさんは笑顔で立ち上がり、胸のところで両腕を交差して頭を下げた。
「早朝に訪問して申し訳ありません。辺境伯家に確認したところ、今朝にも魔法使い様がお帰りになると聞いたものですから」
「はい。今日帰ります」
「ではこれをお受け取り下さい。信者に託されました」
横に長い楕円形の、木彫りのレリーフを渡された。神様は描かれておらず、麦を収穫する農民と雲間から差し込む太陽の光、背景の森、手前で農民を見ているウサギと鹿。空飛ぶ鴨。動物の毛並みや農民の髪や服のしわまで、細かく彫り込まれている。
「素晴らしい作品ですね。これはどなたが?」
「魔法使い様に家を直していただいた信者の一人です。感謝の気持ちだと言っていました」
「ヘンリーさん! この方にあれをお願いしたらご迷惑かしら」
「俺も同意見ですよ。相談してみましょう」
なんのことだろうというお顔のエリアスさんにお願いした。
「実は、木彫り職人さんで腕のいい方を探していたんです。この方にお会いできますか?」
「もちろん。彼も喜ぶでしょう」
私とヘンリーさんはエリアスさんに案内され、その職人さんの家に向かった。
作品の内容に「これは違う、ここがダメ」という旨のご意見をいくつかいただきましたが、読者さんのご意見に左右されて物語の内容を変えることはありません。
書き手として、自分の作品の舵取りを自分以外の人に委ねることは今後も致しません。
この作品をより良くするためにというお気持ちだけありがたく頂きました。






