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大好きな婚約者◆ギフトボックス版◆  作者: ナユタ
◆アリスとハロルド◆

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7/33

*6* 遠回りも悪くねぇ。



「お帰りハロルド。今日もちゃんと無事に戻って偉い、偉い。夕飯の用意が出来てるから早く着替えて食堂においで」


 クリスとアルバートに散々やりこめられたオレを、屋敷に戻るなり玄関先でワシワシと乱暴に撫でる女性としては大柄な女。


「――ったく、止めろよお袋。自分の息子がいくつになったと思ってんだ?」


 オレが背伸びの為に肩に載せられた手を退けると悪びれねぇで「子供の出迎えに歳は関係ないさ」と笑う。オレのこの国では珍しい浅黒い肌はお袋譲りだ。


 キリリと一本に結ばれた黒い腰まで届く髪を揺らしながらオレから離れたお袋は「わーかった。そう睨まないで」と苦笑混じりの溜息を吐く。髪と肌が似たんなら、いっそその歳の割に若く見える容姿も譲ってくれりゃ良いようなもんだ。


 そのせいでうちの家族と初めて会う人間は、大抵お袋とオレと親父を見て“美しい娘さんですね”か“流石にご姉弟だけあって良く似ておられますな”などと抜かす。


 瞳、髪、肌、そのどこを取っても艶のある黒一色な姿から、たまに出かける社交場では“黒曜石夫人”と呼ばれるロザリンド・クライスラー。


 親父と結婚する前の一切が秘匿された、社交界で最も謎めいたこの人物がオレのお袋だ。どこの生まれで、何の仕事をしていたのか。名前も本名ではないという噂があるが、息子のオレからすればどうでも良い。


「さっきクリスの坊やの遣いから聞いたよ。アンタ好きな娘への恋文の書き方を学びに行くんだって? ふふ、やっぱりそういうところも親子で似るんだね。思い出すね……あの人もそうだったよ」


 玄関先でのいつものやり取りを終えたお袋の言葉に、今度は俺の方が溜息を吐く番だ。うちの親は貴族としちゃあ珍しいことに、今でも息子であるオレの前で見ているこっちがウンザリするくらい仲が良い。


 ガキの頃、仕事で屋敷を空けがちな親父が外で浮気でもしてるんじゃねぇのかとお袋に言ったら『あの人に限ってそんなことがあるはずないさ。子供が余計な心配するんじゃないよ』と、当時親父に構ってもらえなくてふてくされていたオレを抱き締めてくれた。


 ちなみにうちの親は年齢差が結構ある。それというのも仕事馬鹿だった親父の婚期が大幅にズレたせいだが……親父がお袋を見初めた時、親父は四十二歳でお袋は二十歳になったばっかだったらしい。控え目に言っても自分の父親ながらドン引きだ。


「アンタに好きな娘が出来た今だから言うけどね、あの人は色街でよく揉め事が起こるから、今のアンタみたいに自主的に見回りをしてたんだけど……店の前で夕方からの客待ちをしてたアタシに一目惚れしたんだよ」


 ――……十八年目に知らされたとんだ衝撃の事実にさらにドン引く。


 お袋にではなく、クソ親父に。嘘だろ……前々から娘ほど歳が離れてたのにどういうきっかけで結婚したのか疑問だったが……要はそういうことかよ。どうしようもねぇクソ親父だな。


 あと、お袋。ノリでそんな重要な話を今するな。どう考えても親父が帰ってきてからの家族会議もんだろうが。


 オレがひくつくこめかみを押さえていると、それに気付いたお袋がニヤリと笑う。二十二歳でオレを産んだお袋は今年で四十歳だが、顔が派手だからいまいち実年齢が分かりにくい。


「あぁ、見くびるんじゃないよ? アタシは金で買われた訳じゃない。だってあの人はアタシに一目惚れするまでアンタと同じ童……」


「はあぁ!? な、ちょっと待て、何でそんなことお袋が――」


 “知ってんだよ!?”と言いかけて飲み込んだが、ここまで口から出たらもう言ったも同然だよな……。どうせ出所はクリスかアルバート、もしくはそのどちらもだろう。アイツ等、次に会ったら許さん。


 歯軋りしながら黙り込んだオレを可笑しそうに眺めていたお袋は、切れ長な目を細めて「クリスの坊ややアルバートの坊やに教えてもらわなくたって、アンタもあの人も、馬鹿みたいにロマンチストだからね」とまた笑う。


 それから傍でオレ達のいつものやり取りを笑いをこらえて見ていた使用人達に「この日の為に作ってあった例のアレ持ってきて頂戴。それからこの先二週間分のお泊まり用の準備も」と声をかけた。その声に親指を立てたお袋付きの使用人達が奥へと走っていく。


 よその屋敷ではどうか知らねぇが、うちの屋敷では仕事を迅速に終えるために走るのは許可されている。言っちゃあなんだが脳筋だよな……。


 親父が仕事で留守がちな上に、ここ最近ではオレも仕事で帰りが遅いからなのか。それともそもそもうちの屋敷の使用人と女主人の仲がやたらと良いのか。うちは離職率が極端に低い。


「何だよ……例のアレって。どうせまたロクでもねぇもん作ったんだろ?」


「ありゃ、可愛くないねぇ? せっかくアタシが夜なべしてこんな日が来るかと思って作った“良い物”を持たせてやろうってのに」


 暇を持て余しがちなお袋はいつも何かよく使い道の分からんガラクタを作るんだが……お袋がこういうことを言い出すとき、それは大抵かなり下らない物だったりする。今回もきっとそうだという予感があった。


 奥から使用人が三人がかりで持ってきた、この季節の旅に持たせるにはやや分厚い上着。いや、それにしたって三人がかりだと?


「なぁ、お袋。念のために訊くけどよ……アレがそうなのか? 何かえらく重そうなんだが」


「あぁ、そうだよ。アンタが初仕事で遠征に出かける日の為に用意したんだ。有り難く思って出かける前にこの胸で泣いて行くかい?」


 バッと腕を広げるお袋。その発言を無視して重たそうに“アレ”を抱えて来た使用人達から受け取ったんだが――……。


「……クソ重てぇ。何が入ってんだよこの上着」


 受け取った瞬間、ズシリと鎖帷子並の重量が腕にかかる。予測はしてたが予測より重いぞ。これは確かに女の使用人だったら三人いるだろうよ。


 オレはお袋の下らないガラクタを運んでくれた使用人達に令を言って、その後ろで「当ててみな」と笑うお袋の声につられて上着を広げた――が。


「オレはお袋の趣味を疑うべきなのか、金で遊ぶなと怒るべきなのか……この場合どっちが正しいんだよ?」


 上着の内張りにはびっしりとコインらしき物が縫い付けられていた。やたらと重い原因はこれだったか……。布の膨らみ方から、多分使い勝手のそこそこ良い中金貨(※一枚一万円相当)と小金貨(※一枚五千円相当)だろう。


 ボコボコして見た目はキルティング生地みてぇだが、硬い。それが袖口から襟口に至るまでびっしりと縫い付けられているもんだから、呆れを通り越してその根気に感動すら覚える。


「そこは感謝する一択だろう? 大変だったんだよ、それを隙間なく縫い付けるの。あとそれだけお金用意してくれたんだから、帰ったらお父さんにお礼言っときな」


 あっけらかんとそう言うお袋に「これにどういう使い道があんだよ?」と訊ねれば、お袋は「遠征に金を持つ危険が分からないのかい? 鞄と財布を盗まれたらお終いじゃない」と首を傾げた。


 そしてどう答えようかと悩むオレに向かいお袋は「それにその上着ちょっとは防御力があるから、もしかしたら金で命を買えるよ」と自分の冗談に噴き出すんだから、もうどうしようもねぇな。


 そして結局翌日、善は急げとばかりにオレはお袋と屋敷の使用人達に見送られて、暑い季節にクソ重い上着を着込んで単身馬に跨がり王都を出た。


 ちなみに影の薄い仕事馬鹿で空気なクソ親父はグランツ・クライスラー。オレに良く似た厳つい六十二歳の老騎士で、まだ存命な内に弟妹が増えそうだと息子のオレが危惧する愛妻家。


 はぁ……帰ったらこのクソ重い上着の礼を言わなねぇとな……。



***



 頭に巻いた布が吸いきれなくなった汗が額から顎の先まで滴り、ここ十一日ほど剣の代わりに手にしているスコップが地面を穿つ度に、雨粒みてぇに落ちる。


 燦々と降り注ぐ夏の日差しに苛立ちながら、どうにでもなれとばかりに力任せに地面に突き刺したスコップの先が、運悪く地中に混じっていた石にぶつかり柄を握っていた手がジンと重く痺れた。


 重さでいうなら訓練で打ち合うのとほぼ同格だが、相手が振るう目に見えて自分で受け流せる打撃とは違い、この打撃は自然相手。土の中に何があるかなんて分からねぇから毎回不意打ちだ。


 段々慣れて来てるとはいえ、当たり前だが痛ぇし、騎士団の訓練とはまた違ったキツさがある。オレの場合はまず体格上、長時間中腰でする畑仕事があまり得意じゃないらしい。


 辺境領に世話になり始めて、どうにも無駄にある身長は農作業では時々邪魔になることが分かった。まず良く手入れされた土はフカフカし過ぎて、体重がありすぎると沈むもんだから一層疲れが増す。筋肉は脂肪より重いから尚更だろう。


「チッ、まぁた石かよ……」


 だから思わず漏れた舌打ちと悪態に、近くで作業をしていたダリウスが顔を上げて苦笑する。


「申し訳ありませんハロルド様。ここの天地返しが終わったら、今日のところは少し早いですが作業終いにしましょう」


 そう言ってこっちを気遣うダリウスは早朝から同じように作業しているのに、オレよりまだ幾分余力を残していやがるのが分かる。


 それが何となく負けた気分で面白くねぇから、オレは「あ? 冗談言うな。まだいける」と返した。半分本気で、もう半分は諦めと惰性だ。今から動くのを止めたところで身体に溜まった分の疲れが軽減される訳でもねぇ。


 むしろゆっくり身体を慣らし運転させながら作業を終えないと、かえって筋肉に負担がかかる。それは武術だろうが畑仕事だろうが同じだしな。


 実際夕方というには早ぇし、オレ達の周辺ではまだ農夫が作業している最中だ。すぐ傍に屈み込んで、大人連中が土の中から掘り起こした石の運び出しを手伝うガキ共もいる。コイツ等より早く仕事上がっちゃ駄目だろ。


 不意に孤児院でガキ共の面倒を見ていたアリスの姿を思い出す。


 それから酒場で楽しげに働く姿もだ。


「あぁ、そうですか? それは助かります。ハロルド様が手伝って下さったお陰で、休耕地の天地返しが予定していたよりも大幅に(はかど)りましたよ。もうあと三日と言わず、このままアリス嬢と一緒に移住して下さったら良いのになぁ。イザベラも喜ぶだろうし……どうですか?」


 今でこそ表面上は爽やかに作業の手を止めて言うダリウスは、オレがこのエッフェンヒルド領に到着したその直後に、



『ようこそ遠いところをおいで下さいました。部屋に荷物を運ばせて頂きますので、奥へどうぞ。それと部屋に着きましたら、用意しております服に着替えて頂いても? 早速で心苦しいのですが、ハロルド様がご滞在の間に急ぎお手をお借りしたいのです』



 と、後ろで深々と腰を折る現・エッフェンヒルド領主夫妻を置き去りにし、さっさとオレに用意していた仕事を振り分けやがった。


 イザベラ嬢の影に隠れて印象が薄かったが、コイツは意外にもクリスと同系統な気がする。それこそ人使いの点でも、腹の底が読めねぇ点でもだ。


 ただ、そこまで分かり易く利用しようとしてくる姿勢は嫌いじゃねぇ。むしろ頭の悪いオレにはその方がずっと楽で良い。だからこそこっちも初日の夜にこの領地に出向いた目的を話すことが出来た。


 

『はぁ、成程。お話は大体分かりましたが……残念ながらハロルド様がアリス嬢を好きでいる“覚悟”と“理由”は僕には分かりません。ですがそれは当然のことで、僕のそういった感情は全てイザベラに向いていますから』



 この答えをダリウスの口から聞いた時点でオレはクリス達に担がれて、遠征の当初の目的は終わったと思った。でもそうそう親しくもない癖に勝手に訪ねて来て“用はなくなったから帰る”ではあんまりバツが悪い。


 それに何よりもアリスはまだ友人との時間が必要で、オレはイザベラ嬢の身柄と引き換えだという。だったら、当初の滞在予定どおり二週間きっちり貸し出されるべきだろう。


 その旨を伝えると、ダリウスは出迎えの時とは違う笑みを浮かべて『あぁ何だ、その様子だともうほとんど答えをお持ちじゃないですか』と言った。何に対しての答えなのかは滞在期間も残すところ三日の今も分からねぇ。


 アリスを一目も見ない日が、もう十一日……いや、ここまでの移動時間を考えれば十二日と半日経ったのか。単騎駆けは馬車での移動より早いのが良いところだ。その分直に風や日を浴びるから女向けではないけどな。


 それにしても結局ここに来てからずっと畑仕事しかしてねぇが……王都にこのまま帰ったところでアリスを納得させることが出来るのか?


「おいおい冗談だろ。こんな疲れること毎日やる位なら、騎士団で訓練してた方がまだマシだ」


「はは、そうですか? 僕にしてみたら重い装備を着けたままやる騎士団の訓練の方がずっと辛そうですよ」


「あー……まぁ、結局のところは慣れだからな。生活習慣の違いだ」


 そう言いつつも、ふとなかなか返事をくれないアリスのことを考えて気分が沈む。そのせいで苦虫を噛み潰したような顔をしているんだろうオレに気付いたダリウスが、汗を拭きながら近付いて来た。


「それもそうですね。けれどアリス嬢と生きていこうと思うのでしたら、ここでの平民生活体験は無駄にはならないと思いますよ。今回のハロルド様の来訪に、僕等エッフェンヒルド領の領民達はとても感謝していますから」


 ダリウスはクルリと振り返って自領民に「そうですよね?」と訊ねれば、銘々作業の手を止めて笑いながら頭を下げる。石を拾っていたガキ共までもがだ。


「帰るにはまだ少し早いですが……今ならアリス嬢のことを言い表すのに、どんな言葉が思い浮かびます? それとも、まだ初日と変わらず“全部”が好きなだけですか?」


 例えば酒を呑むカウンターからぼんやり眺めている時に視線が合ったり、毎晩店に来るオレを黙認してくれた。


 差し入れてくれたマドレーヌが前よりも旨いと感じるのは、オレの都合の良い気のせいなのか? 毎晩店から帰る夜道で見せる笑顔が以前とは違うように感じるのも?


「クリス様のように難しく考えないでも良いですよ。僕だってイザベラのどこを好きかと訊かれたら“全部”と答えると思いますから」


 ダリウスの意外な答えに思わず「そうなのか!?」と驚けば、ダリウスは真顔で頷いてこう続けた。


「毎日イザベラの違う部分が“全部”好きなんですよ。その日の天気と同じように、人の好きな部分も変わります。僕の独断の感覚で良いのでしたら、結婚というのは要するに“毎日違う好き”を一生涯かけて探したい相手かどうかなのではないかと思いますよ?」


 そんな恥ずかしいことをぬけぬけと言う眼鏡の向こうにある榛色の瞳に、オレはイザベラ嬢のいうコイツの“男らしさ”を垣間見た気がした。


 ――というか、だ。


「何だよ……んなことで良いんなら、一生涯じゃ足りねぇよ」

 



 なぁ、アリス。


 やっぱりオレはお前の“全部”が好きだ。



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