*∞* 婚約者としての心得。
これにてレイチェルとクリスを含めた
三組のカップルのその後は完結です(*´ω`*)
ここまでお付き合い下さった読者様方、
本当に本当にありがとうございました~♪
二週間前に二学期が始まり、わたくしは一学期に立てた当初の予定通り外交の授業を。レティーナはお父様とキースさんを無視して商業のAを選択した。
そのせいで以前よりは少しだけ一緒に行動する時間が減ったけれど、わたくし達はお互いに新しい学問に将来をかける同士になれましたわ。それに毎日放課後に遊ぶのは今まで通りだから、寂しく感じることもありませんもの。
今日も一日の授業が終わり、最近放課後に集まることが日課になりつつある学園内のカフェテリアの一席。円陣を組むようにして陣取ったわたくし達が視線を落とす先には、分厚い生地見本のカタログが四冊。
一人に一冊としても、かなりの分量であることには代わりがないです。けれど、黙々と十センチ角に切り張りされた色とりどりの生地を眺めながら、それが仕立てられる形を思い描く過程はとても楽しい時間ですわ。
どうしてそんな物があるのかといえば、レティーナのお家の新しい主力商品として是非ドレスをということだそうで、だからこそこうして歳の近い女性の感性を頼りに、流行のアイテム調査をしているのですけれど――……。
「キース……アンタのそのセンスはないわ。絶対に、ない」
「ええ、何でやのお嬢!? これめっちゃ可愛いやん!」
キースさんのその言葉に“バンッ!”と、レティーナがテーブルを叩く。この作業を始めてから、もう何度目になるか分からない中断の合図が入り、わたくしとリンダはそっとカタログに落としていた視線を上げる。
「他のどの生地でもええけど、アンタが選んだやつだけは絶対に嫌や。前々から疑問に感じててんけど、アンタはアタシをどこの珍獣やと思てんの? 一応こう見えてもご令嬢様やで?」
「ええ~……そんなにアカンかぁ、このヒョウ柄。しかもただのヒョウ柄やないで? 雪ヒョウ柄やで? 気品あるやん。お嬢の肌の色にぴったりやと思うねんけど……レイチェルちゃんもそう思うやんなぁ?」
リンダと二人で微笑ましくそのやり取りを見ていたところを、急にこちらに話を振られて驚いたせいで「そ、そうね、レティーナの肌の色ならどんなドレスの色でも引き立つわ!」と擁護したのに、レティーナは眉間に皺を寄せて首を振った。
何かいけないことを言ってしまったのかと、慌てて隣にいたリンダを振り向けば、リンダまで「お嬢様、そういう問題では」と言って苦笑したわ。
「レイチェル、コイツの口車に乗ったらアカンで。希少価値と値段とセンスは別物やの。それに今は着る人間を選ばん、万人受けするデザインのドレス生地を選んどるんよ。よってコイツのセンスの出番はない。むしろうちの男共にこの手のセンスは皆無やねん。商売人やのにどうかと思うわ」
そんな風に文句を言いながらも「うちのお客のドレス事情とアタシの野望は、レイチェルとリンダさんにかかってんねんから」と、再びカタログに視線を落としたレティーナのイキイキとした顔を見て、わたくしとリンダはこっそりと微笑みを交わした。
彼女達とは休みに入る直前にあんな別れ方をしたこともあって、再会するまで心配していたのですけれど……、
『レイチェル、元気しとった? 休みの前にいらん心配させてゴメンやったなぁ。でももう大丈夫や。おとんと糸目には“アタシの人生や! それを横から勝手に舵とろうとせんといて!”って言うたったら大人しくなったわ』
――と、わたくしでは真似が出来ないような、とても格好の良い方法で決着をつけてしまったそうで、レティーナの後ろで大人しくしていたキースさんも、わたくし達と目が合うと肩を竦めて苦笑を浮かべていた。
そうして今もあの時と同じく、キースさんはこちらの視線に気付くと肩を竦めて笑う。その姿を見ていると、キースさんも実はレティーナがこうして以前にも増して意欲的になったことをどこか喜んでいるように思えた。
だったらどうして最初から認めてくれなかったのかしらと思ったものの、この学園に通うことになった当初はリンダも動揺していましたものね。きっといつもしっかりしている人の方が予想外の出来事に弱いのですわ。
そう一人で納得して、再び手許のカタログに視線を落とそうとしていたその時、向かいに座って真剣にカタログをめくっていたレティーナが「あ、そうや、レイチェル。今度の誕生日に何か欲しいもんある?」と言ってくれた。
けれどわたくしは、初めて出来た友人から誕生日についての話題が飛び出したことに感動しすぎて、思わず言葉が出てこなくなってしまい、ポカンと口を開けてレティーナを眺めることしか出来ません。
しかしそんなわたくしの間の抜けた反応に、レティーナはパッと表情を明るくしたかと思うと、
「それとも、あれや、最初に受け取るプレゼントは婚約者のクリス様からの方がええんやったら、それが届いた後でもっかい訊くわ。レイチェルにはクリス様がうちの商会で購入してくれはった――」
と、何だかとても気になる情報がその鮮やかな色をした唇から飛び出したのに、隣に座っていたキースさんが「ちょい待ち、お嬢。その先は顧客の守秘義務やで?」と素早くその口を塞いでしまう。
瞬間、自分が口を滑らせたことに気付いたレティーナは「ゴメン、今のナシ! 忘れて!」と大慌てで無茶なことを言ってくる。そんな二人にリンダが「商人が素直ではこれから先困りますけれど、お嬢様の前ではそのままでいて下さいね?」とにっこり笑った。
でも……確かにリンダは笑ったはずですのに、何だか少しだけ圧力を感じたのは気のせいかしら?
けれどそう思って視線を前に座った二人の方へ向けたら、頬をひきつらせていたから、わたくしだけの勘違いではなかったみたいです。そうしてその直後、そんな微妙に緊張感を持った空気から逃れようとしたレティーナが、本日二度目になる興味深い話題を口にして……。
天を仰いだキースさんと、苦笑するリンダと、話を詳しく聞こうと身を乗り出すわたくしで、放課後のカフェテリアは賑わいました。
――そして、そんなカフェテリアでの一件から三日が経った放課後……。
今年はお仕事の合間を縫って、わたくしの誕生日プレゼントを届けに来て下さったクリス様とお茶を楽しもうと、いつもお昼を食べる裏庭の一角での準備が整ったその時。
急にリンダが「ちょっと用事を思い出してしまいましたので」と、言い残して立ち去ってしまったせいで、わたくしはクリス様と二人きりになってしまいました。さっきから緊張のしすぎか、せっかくのサヴォイ産の紅茶の味が分かりません……。
するとそんなわたくしに気付かないクリス様は、リンダが淹れてくれた紅茶の香りを楽しみながら長い睫毛を伏せて、
「今日で小さかったレイチェルも十三歳ですか……月日が経つのは早いものですね、と。こんなことを言ってはまるで老人のようですね」
などと仰るものだから、わたくしは思わずそれまでの緊張も忘れて「そんなことはございませんわ!」と口を挟んでしまう。
けれどクリス様はわたくしの上げた声に、美しいアイスブルーの瞳を煌めかせて「ありがとうございます」と微笑んで下さった。
「あの……今の会話の内容だけだと確かにその通りかもしれませんが、性別が男性だとは思えないクリス様の口からそんな言葉が零れると、世の中の女性が怒りだしてしまいそうです」
ただそのあまり信じて下さっていないような声音が気になったので、今度はさっきよりももっと真剣に言葉を選んでそう伝えれば、クリス様は「男性だと思えない……ですか」と苦笑された。そうですわよね、いくらお綺麗でも女性と見分けがつかないと言われて嬉しい男性はいませんわ。
これ以上この会話を続ければより余計な失言をしてしまう前に、何かもっと他の話題を――……と周囲に視線を彷徨わせていたら、クリス様の後方に生えている木の幹からスッと【レティーナ様の代わりにお礼を】と書かれたノートが現れましたわ……。それも、どこからどう見てもリンダの筆跡で。
リンダの言っていた用事とはこのことでしたのね。彼女にそんな心配をさせてしまう自分の話題の少なさに打ちひしがれつつも、リンダの心配りに感謝しながらその話題を選ぶことにしますわ!
「あの……クリス様、レティーナに新しいお商売の伝手として、イザベラ様とダリウス様のことを紹介して下さったと聞きましたわ。本当にありがとうございます。それにクリス様のご注文で新種のバラを栽培中だとか……いつ頃市場に出回るのか、わたくし楽しみですわ」
けれどせっかくのリンダの策も、わたくしが会話の切り替えをスムーズに行えるような技術を持たないせいで、かなり不自然な話題変更になってしまう。だというのにクリス様は「ああ、やはり彼女はあっさり口を割ってしまったんですねぇ」と、どこか楽しそうに会話に付き合って下さいました。
そのことが嬉しくてあの日の話をどんどん続けていくわたくし前で、クリス様はずっとにこやかな表情で。だからその背後の木の幹から【お嬢様、それ以上はキースの寿命が縮みます】と謎の指令があるまで、かなりな情報漏洩をしてしまいましたわ……。
いったい今の会話内容で、キースさんがどんな目に会うのかは分かりませんけれど――またも話題を変えなければならない事態。でも、今の会話の感覚で何となく何かが掴めた気がしますし、今度はわたくしにも策があります。
クリス様越しにリンダが隠れている木の幹を見つめると、離れていても通じ合う物があるのか【お嬢様、頑張って!】と書かれたノートが振られている。その文字を見つめて小さく深呼吸を一つ。
「ええと……あの、そういえばわたくし、クリス様と初めてお会いした日のことで思い出したことがありますの」
わたくしが意を決してそう切り出したら、木の幹から【後はお二人で】という文字が現れて、リンダがほふく前進をしながら遠ざかっていく姿が見えたものだから、危うく噴き出してしまうところでした。
プルプルと肩を震わせながら笑いを堪えるわたくしに、クリス様は「随分楽しそうなことを思い出したようですね?」と優しく笑いかけて下さるけれど、残念なことにこれから話そうと思っていた話題は、わたくしにとっては大切なものですけれど――クリス様にとってはそうではないかもしれない。
だから最初に「そんなに面白いお話ではないのですが……」と弱気な前置きを挟んでしまう。それでもクリス様は「いいえ。婚約者殿の言葉なら、いくら聞いておいても困りませんから」と促された。
「え……と、わたくし、以前お会いした時に、どうしてだか自分でも分からないけれど、クリス様と――け、結婚、したいと申しましたでしょう?」
あの日は思わず勢いこんで言ってしまったけれど、今となっては恥ずかしさで震えるわたくしの声に、クリス様は「ええ、確かにそう言ってくれましたねぇ」と涼やかな目を細めてほんの少しだけ意地悪く微笑む。
「あれは、嘘で……あの、本当はちゃんと理由があって、です」
喉の奥がカラカラに乾いて、なのに視界だけは心許なさからか、じわりと滲む。思わずさっきまでリンダが隠れていた木の幹に視線をやりかけたけれど、それではいけないと何とかクリス様のアイスブルーの双眸に合わせた。
「あの日の朝、お父様に初めて婚約者として十歳も年上の方が会いにいらっしゃると言われて、わたくし、本当は逃げ出してしまいたかったのです。そんなに年上の知らない方と同じ空間にいるなんて恐ろしくて……直前までリンダにお願いして、一緒に庭に隠れようかと思っていたましたの。だけど――」
「ええ、だけど、君はそうはしなかった。それは、どうしてですか?」
言葉が上手く出てこないわたくしを落ち着かせるように、ゆっくりと言葉を区切ってそう訊ねて下さるクリス様に、当時の記憶が重なって……あの時よりももっと、うんと、この想いも強くなるわ。
「クリス様にとっては当たり前のことだったのかもしれませんが、あの日、お父様の影に隠れて怯えていたわたくしの前で、クリス様は膝をついて『初めまして、小さな婚約者殿』と仰って下さいました」
家格も、歳も下である子供の前に、同じ視線になるように膝をついてくれる大人は少ない。貴族であれば異例と言っても良いようなことを、あの日のクリス様はして下さった。幼い子供の目をしっかりと見据えるアイスブルーの瞳が、とても美しくて。
「ですから、あの時“この方の奥さんになれたら良いなぁ”って。そう、思ったのですわ」
これは今日までずっと隠していた、わたくしだけの大切な秘密。
リンダにだって教えていなかった、わたくしだけの大切な秘密。
けれどそんな秘密を聞いたクリス様は、一瞬呆れたように眉根を寄せて難しい顔をしたかと思うと、すぐにいつもの微笑みを浮かべて――。
「それだけで人の善悪を判断する君に驚きますが……まあ、レイチェルにそんなことを言ったところで無意味でしょうね」
あっさりと、ばっさりと、そう言い切ってしまわれた。クリス様ならそう仰ると薄々と分かってはいましたけれど、やっぱり……酷いですわ。ムッとしたまま口をつけた紅茶は冷めているし……散々です。
「クッ、フフ、そんなに怒らないで下さいレイチェル。本当に、君のそういうところは飽きが来なくて良いですね」
「あと二年したら、もっと大人っぽくなるんですからね!」
そう言って唇を尖らせたわたくしに、まだ笑みを残したクリス様が「そうなることを楽しみにしていますよ」と言いながら手渡してくれたのは、貴婦人にはまだまだ遠い、フリルのついた可愛いピンクの日傘。
***
それから二年後――……わたくしの十五歳の誕生日に、クリス様が初めて出逢った日のように跪いて贈って下さったのは、杏色のバラの花束で。
そのバラの名前を聞いた時、わたくしは幸せすぎで泣いてしまうと同時に、二年前にレティーナが口を滑らせてバラの名前を言ってしまわなかったことを、感謝しました。
鮮やかな杏色をした、キャンディーのようなバラの名前は【砂糖姫】。
照れ隠しなのか「いつまでも子供っぽいレイチェルには、ちょうど良いでしょう?」と言って微笑むクリス様は、出逢った頃よりさらに素敵で。
一瞬だけ考え込んだ様子になったクリス様が「まだボクのことを好きでいてくれているのですか、レイチェル」と訊いて下さるから、つい勢い良く「は、はい! 勿論です!!」と答えたわたくしの額に、トン、とクリス様の人差し指が突きつけられる。
慌てて口を両手で覆うと、クリス様は今まで見た中で一番穏やかなお顔で微笑んで「本当に、レイチェルには敵いませんねぇ」と。わたくしの自惚れでなければ、どこか晴れやかに笑って。
「これからもよろしくお願いしますね。ボクの姫君?」
――そう悪戯っぽく微笑んだクリス様が、手の甲に口付けを落として下さったことを、わたくし今度は絶対に、一生、何があっても……忘れませんわ。




