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大好きな婚約者◆ギフトボックス版◆  作者: ナユタ
◆レイチェルとクリス◆

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30/33

*8* 敵か味方か、同類か。



 現在時刻は一時四十分。


 短い昼の休憩時間を終え、さあ今から午後の仕事に取りかかろうという時に『メリッサに呼ばれたから一瞬だけ席を外す』と言って執務室を出て行ったアルバートが、一向に戻らない。


 ただそうはいっても次々と持ち込まれる書類を前に、アルバートの帰りを待っていては仕事にならない為、自分だけでも認印を推せる書類に延々と目を通すという作業に取りかかっている。


 ここでの問題は幼馴染みの“一瞬”が、世間一般の指す“一瞬”とは異なり、一時間を指すことだとは思ってみなかったことでしょうか……。


 愚かな幼馴染みが戻り次第認印を推させようと積み上げた書類が百枚を越えたあたりで、これはあと一時間は戻ってこないだろうと結論付けて、作業を一時中断することにした。


 それでもどんどん届く書類を、仮眠用に置いてある長椅子へと積んでおくように指示を出し、代わりに紅茶を持ってきてくれるように言付ける。程なくして届けられた紅茶とクッキーを片手に一息つきながら、待ち人が戻らない理由を考えてみた。


 恐らくメリッサ嬢に呼ばれた用事を済ませたアルバートが、目に入れても痛くないほど溺愛している愛娘に纏わりつかれでもしたのだろう。そうなればもう、親馬鹿の権化となった彼のこと。メリッサ嬢が娘を引き離すことに成功するまで戻らないに違いない。


 そのせいでこうして時折仕事が滞るものの、呆れつつも微笑ましいと言えなくもないその変わりように、以前の荒んだアルバートを知る城の誰もがなかなか注意が出来ないのは困りものですが……まあ、あとで倍以上働かせれば問題ないでしょう。


 ぼんやりとそんなことを考えながら、机の卓上カレンダーを眺める。


 すると前回レイチェルから届いた初レポートに、うっすらと危険を感じて学園に出向いた日から、早いものですでに二週間が経っていた。


 そういえばあの日、当日に会いに行くと連絡を入れずに行ったのは、学園でのレイチェルの立場を余計なフィルターを通さずに見たかったからでしたね……。


 届いたレポートの内容に教室内での描写が極端に少なかったことから、恐らく友人であるヴァルナ家の娘との交友関係は皆無なのだろうと。この時点ですでに囲い込まれているのではないかと邪推しそうになり、それは流石に性急過ぎると自分を諫めた。


 あの日は学園についたのがちょうど昼食時だったこともあり、即座に裏庭へと足を運んだのは良い選択だったようで、そこにレイチェルの侍女であるリンダの姿を見つけたまでは良かったのですが……。


 直後に一緒にいた人物の姿を見て、思わず舌打ちをしそうになるのを堪えたのを思い出す。


 商人というものは往々にして口が巧いもので、そんな相手がすでに昼食を共にするほど心に入り込んでいることを、あの時のボクは快く思えなかった。


 それがただの友人としてだけならば何の問題もないが、相手はいつ牙を剥くか分からない商売敵。


 コンラッド伯に蝶よ花よと可愛がられた温室育ちのレイチェルや、やはりどこか浮き世離れしたあの屋敷で働くリンダであればともかく、少なくともボクはあの状況を楽観視するほど綺麗な心を持ち合わせてはいなかったのだ。



『いや~お初にお目にかかります。ダングドール家の次期ご当主で、この国の宰相の一人息子で、レイチェルちゃんの婚約者さんですよね? うちのお嬢がお世話になっとります。そろそろお会い出来る頃やと思てました。レイチェルちゃんの自慢しとった通り、エラい美形さんやわぁ』


 

 現に急な来訪に驚いたリンダが、ボクの分の昼食を新たに買い足しに席を外した次の瞬間、ヴァルナ家の娘の世話役を名乗った糸目の彼はそう切り出してきた時にしてもそうだ。


 事前にこちらの素性を調べていたのだろうことが分かる反応は、有り体にいって面白くなかった。しかもこちらの地位や素性を知っていてもなお軽い語り口と、値踏みする気配を隠そうともしないその姿勢。


 それらは明らかに世話役などという大人しい職に従事する者ではなく、商売を生業にしている者の持つ掴み所のない雰囲気で、こちらの警戒心を高めるには充分だった。


 糸目の彼はヴァルナ家当主の懐刀で、名をキース・シャマラン。二十歳。


 今から十年前に貧民街にいた孤児の彼を、何を思ったのかまだ当時無名だった頃のヴァルナ家の当主が拾い、名と住処を与え、その物覚えの良さを買って娘の世話役にしたのだとか。


 お互いにすでに身辺調査をしていた為に、自己紹介の必要性は皆無。交渉ごとの定石として、そこから先は直接互いに言葉を交わし、足りない部分に新たな情報を足していくことになる。



『わざわざここまで出張って来はるとは……レイチェルちゃんからの手紙か何かで、うちのこと知りはったんやろうけど、そんな警戒せんといて下さい。何せうちのお嬢もおたくのレイチェルちゃんくらい世間知らずで、これというて悪さするようなこともあれへんし』



 先に口火を切ったのは彼だった。その下手に出ているようでありながら、堂々とこちらの出方を試そうとする物言いに、つい妙に愉快な気持ちになったものだ。


 ただ、ああいう小狡い訊ね方をされると、どうしても性格上相手の神経を逆撫でして出方を見たくなってしまう。ボクが宰相家の人間だと知りながら無礼な口をきく彼と、その主人である成り上がり者のヴァルナ家当主とはどういう人物なのか。純粋に知ってみたかった。



『ふふ、どうでしょうね? 俗に商人は寿命のある悪魔だと言います。それに、レティーナ嬢にその気がなくとも、蛙の子は蛙だと言うでしょう? ましてレイチェルと友人関係を築いた愛娘を、貴方の主人が泳がせているという可能性も充分にありえますからね』



 だからそう敢えて挑発するような言葉を選んだはずが――しかし。



『はは……これは手厳しいなぁ。うちのお嬢は俺や旦那さんと(ちご)ぅて、そっちのレイチェルちゃんみたいに素直な子やのに』



 それはほんの一瞬だけ。まるで本当に心外なことを言われたとでもいうように。彼はその表情が読みにくい糸目のままに、商売人らしからぬ“怒り”を見せた。


 そこにいるのは掴み所のない胡散臭い男ではなく、確かに個人として主人とその娘を特別に思っている、キース・シャマランという青年がいた。



『“お嬢は”ですか。では、やはり貴方や貴方の主人は信用することが出来そうもない。とはいえ――……ボクにレイチェルの交友関係をとやかく言う趣味も、まして権利もありません。彼女が好ましいと思って貴方の“お嬢”と仲良くするなら、それは彼女の自由だ』



 怒りを見せる人間は扱いやすい。怒りを感じる対象……弱点をさらけ出すとすれば尚のことだ。まあ弱点云々でいえばレイチェルの存在がある以上、こちらも人のことをとやかく言える義理ではないのですが……。


 だからこそあの時、今となっては自分でも首を傾げてしまうくらいに甘い判断を下したのだと思う。



『ただし、彼女や彼女の家に危害や損失を与えるとあれば、その時はこの国での商売は諦めて、即刻国外退去願います』



 ボクがそう言った時のあの表情は、なかなか見物だった。彼の糸目が僅かに開いて覗いたのは、光の加減で黒とも見紛う深い緑。


 しかしそれが覗いたのは僅かな時間で、再び元の糸目に戻った時には困ったような、ややバツの悪いような笑みを浮かべていた。そうして――。



『いやいや、ホンマ、試すような無礼な真似して申し訳ありませんでした。ただ、うちみたいに新参者の成り上がりと違ぅて、エエトコの子しかおらんこの学園に馴染めんお嬢が、変に勘ぐられてレイチェルちゃんに近付いたらアカン言われるかと思て冷や冷やしてたんやけど……恩に着ますわ』



 最初に突っかかってきた物言いからは意外なほど、シャマランは相好を崩してそう言った。あれが演技であろうとも、少なくともレイチェルの行動の妨げにならないのであれば構わない。


 新興である彼等の家を潰すことは簡単だが、あの人見知りのレイチェルに新しい学友を見つけられるかというと、その方が余程難しい。結局ボク達の間であのやり取りを終えたすぐ後にリンダが戻り、続く形でレイチェル達が現れた為、それ以降の時間を彼との会話に割くことはなかった。


 ――と、そこまで記憶を遡ったところで……。


 ついに次々と届けられる書類を前に忍耐力の限界を迎えたボクは、紅茶を一息に飲み干した後、職場放棄をして戻らない幼馴染みを引きずり戻す為に席を立った。

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