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大好きな婚約者◆ギフトボックス版◆  作者: ナユタ
◆レイチェルとクリス◆

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*4* 籠の鳥とて、鳥は鳥。



 恐らく他国では王城内での政務は以外と細々とした雑務も多く、決して暇を持て余したからなどという下らない理由で、おいそれと執務室に集まるようなことなどない。ましてそれが国の重鎮の息子達であり、しかも主な会話の内容が国益には何の関係もない、家族の話題ばかりというのは……いささか暢気過ぎる気もする。


 今が平和であったとしても、ここでわざわざするような会話内容ではなく、事実ここにこの顔触れが集まって何の話をしているのだろうかと、政敵の中には変に勘ぐる輩も多い。それもこれも長年連んでいる幼馴染みの顔触れが、中枢に近いメンツであるせいだろう。


「へえ、何だよクリス。それじゃああれか、例年は今まで自分の趣味をごり押ししてプレゼントしてたのを、ダリウス達の助言を聞き入れて選び直して贈ったら喜ばれたから――」


「何となく気分が良くて、その後も暇を見つけては何かしら買い与える為に顔を出している、と。それだけ聞けば好色な老人のようだな」


 こちらの頭痛の種になっている自覚のまるっきりない幼馴染み二人は、廊下で呼び止めた侍女に用意させた紅茶に口をつけながら、人のことをまるで変質者のような扱いをしてくる。


 しかし彼等は暢気であるが故に大切なことに気付いていない。いずれも可愛い盛りの娘を持つ男親でありながら、その脇の甘さに目を細めた。


「ふふふ……二人とも可愛い娘さんがいるのに良い度胸ですね? 何なら今のうちからボクの伝手で、色々な所へ貴方達が娘さんの婚約者を探していると吹聴しておきますが?」


 うっすらと微笑みを交えてそう提案したところ「チッ、ちょっとした冗談だろうが。冗談!」「この程度の冗談くらい聞き流せ」と実に物わかり良く引き下がってくれた。


「そもそもそんなに二人して、ボクを幼女趣味の危険人物に仕立てたいんですか? 第一レイチェルはもう十二歳で幼女とは言えませんよ」


 しかし――。


「いくら幼馴染みの親友とはいえ……お前の女性判定の広さが恐ろしいな」


「幼女は言い過ぎたにしたって、十二歳はまだ子供だろ? オレもアルバートに同意だぜ」


 懲りない友人達に再度「ほう?」と微笑みかけると、今度こそ分かってくれたようでピタリと口を噤んだ。それにしても……この二人は学生の頃からどころか、幼少期からあまりこういった面での成長がないことが、こちらの頭を痛ませているのだと自覚して欲しいものである。


 とはいえ、こちらの言い分を例え真剣ではないにしろ、聞こうという意志はある様子なので仕方なく手許に大量に積み上げられた書類を脇に退け、紅茶で喉を潤してから話すことにした。


「特別急にといううことではありませんよ。これに関してはボクにも、前々から思う所があっただけです」


 ――これは嘘ではない。ただ政敵との心理戦の疲れを癒やす為だけに、このぬるま湯に浸かったようなお飯事を長く続けたのは良くなかった。レイチェルはそんな汚い大人の世界に置いておける娘ではない。


 だというのに、こちらが珍しく話して気を紛らわせようかと思った幼馴染みのこの二人は「思うことって、今更何をだよ?」「まさか……どこか他の女性との火遊びで出来た隠し子がいて、今更言い出せないとかではないだろうな?」と、全く見当違いな回答を寄越してくれる。


「――二人とも、いい加減に学んで少しお黙りなさい。ああ、それとも……貴方達の愛しい奥方に過去のあることないこと吹き込んで、家庭不和を招いて差し上げましょうか?」


 今度こそはっきりと明確な脅しを口にすると、やっと二人は本当の意味で口を噤む気になったようだ。本当に世話の焼ける幼馴染み達ですね……。


「ボクが言っているのは、レイチェルが歳の割に幼いのではないのか、ということです。伯爵は奥方を早くに亡くされて、レイチェルを殊の外可愛がった。それこそ籠の鳥のように。会話の内容も恐ろしく限られた場所や、知り合いのものばかりだ。ですがあののんびりとした性格のままでは、宰相家の妻として心許ない」


 本当のところそれだけではないものの、その部分が心配なのもまた事実。問題というものは本来一つずつ潰して確実に減らしておくべきものである。この幼馴染み達にはその辺りのことを昔からずっと言い含めているのに、今日までそれを覚えている様子がない。


 まさかレイチェルが二人のように成長するとは思えないが、こんな風になってしまってからでは遅いだろう。一般的な常識を身に付けられるよう、早めに手を打っておくべきだ。


「ですので一年ほど早いですが、来年の春にはボク達が通ったあの学園に編入させてみてはどうかと、伯爵に打診してみるつもりです。今回の贈り物の件でボクも思い知りました。レイチェルは自分で選択出来ない娘ではなく、ちゃんと選ぶ意志がある。で、あれば彼女にも選択肢を与えるべきです」


 仮にも娘を持つ父親相手に相談を持ちかけようとして、まさか自分で答えを出さなくてはならないとは……。


 心底相談相手として使えない幼馴染み達に呆れつつ、少し温くなってしまった紅茶に口をつける。流石に王城で使用されている茶葉であるだけあって不味くはないものの、それでも先日レイチェルの屋敷で出された、あのサヴォイ産の紅茶よりは数段落ちる。


 あれほど貴重なものを如何に婚約者とはいえ、あっさりと出してしまうレイチェルの世間知らずぶりには少し、いや、だいぶ救われる部分もあるのは確かだ。


 ――――けれど。


「このままではあの子は、ただの“善良”さが取り柄なだけの、他者の踏み台にされるだけの娘になる。そうなる前に同じ年頃の子息や子女のいる学園に編入させて、もっと汚い者や、美しい者の存在を知り、外の世界を見て視野を広げるべきです」


 そう独白のようにごちながら紅茶をもう一口含めば、両側から「「調子が悪いのか? そんな善人みたいなことを言って」」と本心からの心配の言葉をかけてくれる。だからこそこちらも最上級の礼を持ってそれに答えた。


「――ふふふ、良いでしょう、この愚か者ども。奥方の前に首を差し出す覚悟は出来ていますね?」


 青ざめる愚者どもに、残す慈悲などありはしない。



***



 前回の十一月の終わりにレイチェルの屋敷を訪れてから、年末調整に入って少し仕事が忙しくなり、ようやく再訪が適ったのは十二月の終わりに差しかかった頃だった。


 しかし今日は前回の訪問とは違い、伯爵に来年からレイチェルを学園に編入させる件で来たので、特に長居する気はない。手にした学園の編入手続きの書類と、仕事の書類と――……少しのお茶菓子。


 これを手渡せばすぐに王城の仕事に戻らねばならない。けれど、すっかりここを訪れればレイチェルとお茶を飲むのが定例になっていたせいか、お菓子だけ渡して帰ることに少しだけ物足りない気分を感じた。


 先触れとして現れた家令について屋敷の中に足を踏み入れたその時、出迎えに控えていたメイド達の間から「クリス様!」と、悲壮な表情を浮かべたレイチェルが飛び出して来る。


 そのまま息を切らしてボクの目の前に立ったレイチェルは、キッとこちらを見上げて「どうして学園に編入など……わたくしは今のままで良いのです!」と涙で濡れた瞳で怒鳴った。いつも暢気なこの娘がここまで怒りを露わにしたのは初めてのことだ。


 後ろから少し遅れて現れた伯爵が“すまんな”とばかりに視線を寄越して、眉を下げた。成程……娘に嫌われるのが嫌で、今朝聞かされたばかりだということか。全く娘を持つ父親というのは幼馴染み達といい、伯爵といい、一定の部分で知能が低下する呪いにでもかかっているのかもしれませんね……。


「そんなに心配しないでも大丈夫ですよ、レイチェル。学園には身の回りの世話をするメイドを一人同行させることが出来ますし、長期休暇の間は屋敷に帰ってこられますよ。貴女の頑張り次第では、無二となる学友も出来るかもしれません」


 膝を少しだけ折って目線を合わせてそう言えば、レイチェルは「そんな方達は必要ありません。わたくしには屋敷の皆と、お父様と、クリス様だけで良いのです」と小さく頭を振った。


 ――その姿がほんの少しだけ可哀想で、危うく喉から“それなら止めておきますか”と出かかったものの、それでは駄目だ。


「では、こう考えてみて下さいレイチェル。これは社交界に出る練習だと。学園は貴族社会の縮図です。そこで立派なレディの振る舞いを身に付けて、将来ボクの仕事の手助けをして下さい」


 そう告げたボクの瞳を真っ直ぐに見つめ返して来る、深い青の瞳。大人の嘘を見抜こうとでもするかのように、一瞬その目を眇めた彼女は、涙の翳りを残したまま、それでも静かに頷いた。


「……分かりましたわ。取り乱してしまってごめんなさい」


 さっきまでの威勢を失った声は萎れて。それを合図に、今度こそ慰める為にレイチェルの頭を軽く撫でることが出来る。


「そうだレイチェル。学園に編入する前に少しだけ、ボクが学生だった頃の話でも聞かせてあげましょうか?」


 しっかりと組んでおいた仕事のスケジュールに、穴が空くことは好ましくない。けれど、たったその一言だけで「本当ですか?」と嬉しそうに顔を綻ばせる少女がいるのなら。


 雛鳥に刷り込みをしただけの、この歪な婚約関係に目の前の少女が気付いて飛び去るのならそれが良い。学園での生活はきっと彼女を今よりも大人にするだろう。


「ええ、勿論ですよ。マイ・レディ」


 小さな雛鳥が籠を出て飛び立つ世界が、ボクのような汚い大人で溢れていないことを、ただひたすらに祈るばかりだ。

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