*3* 女主人の心得。
お、お久しぶりで御座います!
お待ち頂いてすみませんでした;
\(´ω`;)<またお会い出来て光栄です!
その日はいつものように朝から下手な刺繍を頑張っていたのだけれど、不意に屋敷の中が騒がしくなった。一瞬だけ視線を上げてカレンダーを見たけれど、お父様がお仕事からお戻りになるのはまだ四日も先だわ。
屋敷の主人が戻るのでもないのにこんな風に騒がしいことなんて、一年間に滅多にあることではないのに……変ですわ。
ドアの前をパタパタと忙しなく走り回るメイド達の足音を聞いていたら、何だかわたくしも針を持っているどころではない気がして、本当は呼ばれてもない内から廊下に顔を出すだなんてはしたないけれど――。
好奇心には勝てずに、そっーとドアを開けて部屋から一歩踏み出しかけたところで「まあ、お嬢様。今お呼びしようと参ったところですわ」と、わたくしを見つけたリンダが笑う。ううん……どうやら少しだけ先走ってしまったようですわね。
そんな気恥ずかしさを誤魔化す為に「お客様……よね? どなたがお見えになったの?」と内心のドキドキを隠して澄ました顔で訊いたのに、リンダにはお見通しだったのか「さあ、誰だと思います?」とクスクス笑って教えてくれない。
意地悪なその答えに「まあ、意地悪ね」と答えてはみたけれど、考えてもみればお父様のお仕事相手の方々でしたら、今日は屋敷にいないことくらいご存知のはずですし……。
まるで妹を見る姉のような眼差しを向けてくれるリンダに弱いわたくしは、順を追ってゆっくりと考えを纏めようと、半開きにしたドアの前で頭を捻る。
ええと、まだ明るいとはいえお昼の時間はすでに回っているから、お茶の時間にわたくししかいない屋敷に用事のある方なんて親しい方だけで、女性のお客様でなければ屋敷に簡単に入れないように、お父様が屋敷の皆に言い渡しているはず。
女性ならわたくし自ら出迎えれば良いことですし、そもそも屋敷を訪ねてくる女性のお客様はお父様の姉君である伯母様だわ。
それなら屋敷の者達も出迎えの準備には慣れているし、こんなに慌ただしくなったりはしないはず……ということは?
「あの、あのねリンダ。もしかして今日いらして下さったのは……」
期待で胸が高鳴るわたくしを見て、リンダが「聡明なお嬢様には簡単すぎましたわね」と悪戯っぽくウインクをする。屋敷の園丁からも“暢気”という評価をもらっているわたくしに、冗談でも聡明だなんて言うのはリンダくらいのものね。
だけど姉のように慕っているリンダにそう言われると、悪い気がしないどころか、むしろ嬉しくて頬が緩むのを止められない。だから頬を押さえて、リンダの言うような“聡明”なわたくしにならないといけないと気を引き締めたのだけれど――。
「クリス様がテラス席でお嬢様をお待ちかねですよ。で・す・が・淑女はしっかり着飾る時間を取って殿方を焦らすのも大切ですわ。旦那様がお留守の今は、お嬢様がこのお屋敷の女主人ですからね。使用人として、お嬢様の侍女として、しっかり勤めさせて頂きますわ」
リンダはそう微笑んで、ドアの前ですぐにでもテラスに駆け出したかったわたくしを、再び自室に逆戻りさせてしまう。
少しくらい抵抗しようかと思ったけれど、わたくしの髪に触れたリンダが「お嬢様は元が可愛らしくていらっしゃいますから、すぐに支度が出来ますわ」と甘やかす声音で囁くから。一瞬芽生えた反抗心もすぐに萎えて、わたくしはドレッサーの前に借りてきた猫のように座らされるのだわ。
***
「お、お待たせしてしまって申し訳ありません、クリス様! ほ、本日はようこそ我が屋敷へおいで下さりました。屋敷の者一同にておもてなしさせて頂きまふ」
前回お会いしてからまだ二週間しか経っていない。再会の最短記録に緊張して舌が上手く回らないわたくしを見て、クリス様は「急な来訪で驚かせてしまいましたね」とおかしそうに笑う。そんなちょっとした笑顔もとっても素敵で……だからこそ恥ずかしくていたたまれません。
後ろにいるリンダや、今日の給仕をしてくれる為に控えてくれているメイド達を振り返って“助けて”と懇願する視線を送るのに、どうしてだか皆一様ににこにことするだけで、助け船がこない。
思わずこれ以上クリス様の前で失態を重ねることに心細くなり、ふにゃっと眉が垂れたのが自分でも分かる。けれどこの場で、そんなわたくしの情けない変化にいち早く気付いたリンダの唇が“女主人、ですよ!”と動いた。
――そ、そうですわね! 今日は一日限りとはいえ、わたくしがこの屋敷の主人ですもの! お父様や皆の恥になってはいけませんわね!
リンダにしっかりと頷き返して再びクリス様の方へと向き直り、精一杯取り繕った“女主人”らしい澄ました感じで「今お茶を用意させますわね」と微笑んでから、後ろのメイドへを振り返って“お願い”と視線で訴える。
メイド達はキリッとした表情で頷き返してくれ、わたくしとクリス様が向かい合わせに座るテーブルにテキパキと無駄のない、けれどそれでいて優雅にも見える動作でお茶の用意を調えてくれた。
主人のわたくしが頼りない分を補ってくれようとする家人達の努力に、思わず胸が熱くなる。ごめんなさい、皆!
目の前ではクリス様がこの屋敷の中で、紅茶を淹れるのが一番上手なマーサの用意してくれたお茶を口にして僅かに微笑んだ。その表情に嬉しくなって見惚れていたら、後ろからわたくしのカップに紅茶をサーブしてくれるリンダが「お嬢様、何か会話を」とそっと助言してくれる。
はっ、そうよね、いけないわ……お客様をもてなすのに会話のない主人なんて、主人失格よね。でもクリス様を楽しませるのに、一体どんなお話をしたら良いのかしら? 領地の経営についても、お父様の貿易のお仕事についても、わたくしは全く触れさせて頂けないから分かりませんわ。
でも、きっとわざわざクリス様が当家を訪れる理由なんて、それぐらいしかありませんのに――どうしましょう……。
刺繍が上達しない話をする? それともこの間のクッキーの後に焼いたビスケットが、陶器のような硬さになってしまったこと?
……ううん駄目よ。どちらもお話した瞬間に婚約破棄をされてしまいそう。
せっかく淹れてもらった紅茶にも口をつけず、ぐるぐるとこの場に相応しい話題を考えているわたくしに向かって、ついにリンダが「お庭のバラのお話は如何です?」と助け船を出してくれた。
確かにこのテラス席からは庭の一番美しい場所を眺められる。秋の午後の日差しに咲き誇る大小様々な秋バラがこれほど美しく見えるのに、どうしてそんな簡単なことに気付けなかったのかしら? 昨日は園丁のゴードンに頼んで、秋バラを一輪部屋に届けてもらったのに。
でもこれで会話が出来そうですわ――と、そうほっとしたわたくしが口を開きかけたその時。
「ここの庭はいつ来ても美しく整えられていますね。今日など秋バラがとても綺麗だ。園丁の腕が良いのでしょうね」
何と言うことでしょう、先に会話に回り込まれてしまいましたわ。内心ではがっくりきつつも「クリス様にそう仰って頂けると、我が屋敷の園丁も喜びますわ」と返す。視界の端で壁に控えてくれているメイド達が、小さく頷き返してくれた。ええ、頑張りますわ!
そこでまだ何かあるはずと、今度は自分の力でテーブルの上から新たな会話の糸口になりそうな物を探す。その結果、今クリス様が召し上がられている紅茶の産地について話そうと再度口を開きかけて――。
「この茶葉はもしや紅茶の国と名高いサヴォイ産の物ではありませんか?」
そうにっこりと言い当てられて「そ、そうですの。この間お父さ……いえ、父がようやく取引に成功したと言っておりましたから」と何とか答える。それに対してクリス様は「流石はコンラッド伯爵だ。サヴォイ国は紅茶の一大産地ではありますが、国土が狭い。その分、他国への輸出は審査が厳しいことで有名なんですよ」と嬉しそうに答えて下さった。
――まるで、わたくしがそのことを当然知っているとでもいう口調で。
そんなことが数度続き、そのたびに少しだけ開けて見えた突破口は、すぐに落盤事故を起こして塞がれてしまいました……。これで万策尽きましたわ。ふっとそんな諦めから零れるわたくしの微笑みに気付いたリンダが、処置なしとばかりに小さく首を振る。
けれど――……。
「ふ、ふふふ、すみませんレイチェル。少し悪戯が過ぎましたね。今日こちらに寄らせてもらったのは、少し仕事で疲れが溜まっていたもので――……素直な婚約者殿をからかって癒されようと思っていたんですよ」
美しいお顔を華やかな微笑みで彩ったクリス様はそんなことを仰って、それから「今日の装いも可愛らしいですよ」と告げて席を立たれた。
お帰りになってしまうのかと思い、慌てて立ち上がりかけたわたくしの背後で、リンダが椅子を押さえる。そのせいで立ち上がろうとした勢いのまま、テーブルに前のめりに倒れ込みそうになったわたくしを、いつの間にか背後に立っていたクリス様が「おやおや、そそっかしいですね」と受け止めて下さる。
お腹の辺りにある温かいものがクリス様の掌だと分かった時に、顔から火が出そうになった。恐る恐る振り返る先には何故か得意気な表情のリンダと、苦笑したクリス様、それにリンダと同じ様な表情を見せるマーサ達。
今度こそ思わず眉をふにゃっと下げてしまったわたくしを見て、クリス様は「どうやらしっかり者の女主人の役所はまだ早いようだ」と笑い、わたくしがその言葉にうなだれそうになっていると「ですのでレディ、ボクに庭の案内をしてもらえますか?」とクリス様が申し出て下さる。
その手を取ってようやく「それなら完璧にご案内出来ますわ」と微笑むことが出来たわたくしに、どうか呆れないで下さいませね?




