家族であるのなら
「涼の兄貴? あんまり一人で抱え込んだりしない方が良いよ?」
大河内さんが店を出て三十分後、沈黙した空気に耐えられなくなったらしく、奈緒はそんな風に僕を気遣う言葉を口にした。
「そんな無茶はしてないと思うけど」
「涼の兄貴はそう思っていなくても、周囲の誰かはそう思ってしまうってこと。分かんないかなぁー、あー、分かんないよなー。だって涼の兄貴だもんなー」
自らの額に手を当てて、悩むような仕草を取る。
「お前な、年上をもう少し敬えよ」
「年上嫌いの涼の兄貴が言ったってなーんも説得力無いっしょ」
「ああ……まぁ、そうだけど」
「ってか、涼の兄貴を年上と認識したら、こんな大人にだけはなりたくないって思っちゃうから、それであたしの人生が大きく左右したら責任取れんのか?」
「取れんのか? って、一文字よけいだろ。最低でも『取れんの?』、女の子らしく『取れるの?』にしろよ」
奈緒は相変わらず、男っぽい口調を遣うことが多い。気丈に振る舞いたいがための自己願望が表面化しているわけだけど、これは一種の“歪曲化”に近いようにも思えてしまう。
そこまで考えて僕はすぐさまに否定するかのように首を横に振った。
自己願望を表面化しているとすれば、奈緒は男っぽい口調を捨て去って、さも女の子らしい口調を、これでもかと分かりやすいくらいに表現するはずだ。だからこれは、単にこいつのがさつさがもたらす口調だろう。
「お父さんもうるさいけど、涼の兄貴もなかなかにうるさいな。人の口調なんて一々気にしていたら、良い大人になんかなれないぞ」
「もう既に悪い大人になりつつある。というか、お前も僕をそういう認識で捉えたくないって思っているだろ」
だから今更、なにか言い訳めいたものを口にしたくは無い。
「話を逸らすなよ。ってか、あたしから逸らしたっけ? あー、どっちでも良いや。『Armor Knight』で起こったことなら、あたしでも手を貸せるだろ。こういうときに頼るべきはあたしなんだよ、きっと」
「年下に助けを求める年上ってどうよ?」
「キモい」
「……あー、あー、そう。そういう認識だったんだ。いや、分かってたけど、僕ってまだ奈緒の中では気味が悪い程度だと思っていたけど、通り越してキモいになってたんだ」
「いや待てよ、涼の兄貴。あたしは単に年下に助けを求める年上をキモいと言っただけで、まだ涼の兄貴は助けを求めていないからキモいのカテゴリーには入らないだろ」
奈緒の表情が引き攣っているのを見ると、必死に慰めているようにしか見えない。
まぁ、多少慰められたぐらいで僕の凍て付いた心は傷付かないけど。
もう一度言う。これぐらいのことで僕の凍て付いた心は傷付かない。
再度言う。これぐらいのことで僕の心は傷付かない。
「助けを求めろと言っておきながら、その助けを求める年上をキモいとカテゴライズする奈緒に、僕は絶対に助けを求められない」
体裁がある。主に花美の兄としての体裁が。友人が兄を軽蔑していると知ったら、妹は相応に心苦しいだろう。だってあいつ、まだ兄離れができていないから。
「なら、どうすんだよ? バックヤードでそれとなく聞き耳を立ててたけど、あの言い草と態度からして間違いなく、バイオだろ? バイオはヤバいぞ。あんまり関わらない方が良い」
「んー、でも僕は関わらなきゃならないみたいなんだよ」
奈緒にそう返事をしたすぐあとに、お店の自動ドアが開いて、客の入店を知らせる。満面の笑みをすぐさま作り上げ、奈緒は「いらっしゃいませー」と快活に挨拶の言葉を口にする。彼女が挨拶をしてくれたので、カウンターに居る僕は別に挨拶をする必要も無いだろうと、なにも発しない。
むしろ口を開かない方が良いと思った。
客が――“彼女”が僕の前まで歩み寄るまで、僕は友好的な態度を見せるべきではないと思ったのだ。
「立花君」
カウンターを挟んで、彼女が僕の名前を呼ぶ。
「先に謝らせて。御免なさい」
「それは、望月のお兄さんが言うべき言葉だよ」
頭を下げる彼女――望月に視線を向けず、僕は答える。
「本当にあなたの幼馴染みに暴力を振るっているなんて、思っていなかった……から」
「確認させるために、僕のことを喋った?」
「そうじゃないと、兄さんはなにも……言ってくれないから。私は、ただの“もの”だから」
望月が自分を“もの”と蔑むことで、彼女の兄が彼女を“あれ”と呼ぶことが許されるということにはならない。
異父兄妹であったとしても家族なのだ。再婚家庭のことをとやかく言える立場にはないし、確かに上手く行くことは稀なのかも知れないが、親の幸せを子は願い、子の幸せを親は願うべきではないのだろうか。
どれもこれも極論で、全てが全て、綺麗事。望月にそんなことを語ったところで、きっとなにも変わらないだろう。だって当事者と第三者では、視点が違う。観念が違う。概念が違う。感覚が違う。
僕らがドラマのように見ている愛憎劇も、当事者にとっては命懸けか、或いは人生を懸けたものなのだ。
「僕は君のお兄さんをとっちめることに決めた。それを君は、良しとするかい?」
「……兄さんを止められるのなら」
「駄目だよ」
僕は彼女の返事を即座に否定する。
「君だけは、絶対にあの人を裏切っちゃ駄目だ。君の裏切りが、あの人を更に堕落させる」
大河内 啓二にとって、望月は必要不可欠なのだ。
ただ、望月の扱いは僕とはまた違う。大切な者でも、心の支えでも、嫌われたくない相手でもない。それでも必要不可欠なピース。“愚者”になった者が手放したくない“しがらみ”や“関係性”なのだ。
それを易々と、彼女に手放されてしまっては困る。
「どうして? 兄さんは悪いことをしている。私は兄さんを止めたい。だったら……兄さんに従わない方が良いんじゃ?」
「悪いことをしている? それは犯罪かなにかかい?」
「……あなたの幼馴染みを傷付けた。それも、傷が現実に及ぶと分かっていながら……」
「けれど、犯罪とは言い切れない。暴力を罪だというのなら、親は子供に“痛み”を教えられない世界になってしまう。“痛み”は時として、僕らに教えてくれる。なにが危険で、なにが恐怖で、なにが自らの体に傷を与える行為であるのかを」
「……そんな……幼馴染みを突き放しすぎじゃない?」
「さっきも言ったけれど、“痛み”は時として、僕らに教えてくれることがある。今回も理沙が大きく後悔し、大きく反省し、大きく勉強したことが多いだろうと僕は思ってる。大丈夫、僕の幼馴染みは肝っ玉が据わっているからね。こんなことじゃ挫けない。これよりもっと大きなことがあった場合は、分からないけれど」
僕はようやっと望月と顔を見合わせる。彼女はどこか後ろめたいのか、僕から視線をすぐに逸らして、右斜め下を見つめ、俯いた。
「きっと、ゲームを楽しめなくなる」
「望月? ゲームの世界はとても理不尽なんだ。理不尽なクエスト、理不尽な素材要求数、理不尽な攻撃判定。どれもこれもリアルじゃ、絶対に考えられないようなことばかりが詰まっている。だからって僕らはゲームを突き放したかい? 突っぱねることもできるような苦行があっても、僕らはそれに立ち向かう廃人のような馬鹿げた根性を持っている。こんなことでゲームを楽しめないなんてあるわけがない」
仮初のシステム。仮想の世界観。なにもかもが虚構に満ちたものだ。それに文句を言って、ただただ修正を待っていたらそこで思考が停止してしまう。理不尽を受け入れなければならない。理不尽を、苛立ちながらも呑み込まなければならない。
「じゃぁ、許してくれるの?」
なにを馬鹿げたことを言うのだろうか。
「許すわけないだろ。だから僕はあんな勝負を吹っ掛けたんだ。僕らはゲームの理不尽さを受け入れる。理沙がゲームの理不尽さに傷付けられたなら黙っていた。けれど、ゲームの理不尽さにつけ込んで、それを利用して彼女を傷付けたことに憤りを隠せない。君のお兄さんには、“痛み”を知ってもらわなきゃならない」
「だ、から……! それだったら、私が兄さんの味方をする理由なんて!」
「あるだろ」
「無い……よ」
「いや、自分で言っただろ」
「……言った?」
「君のお兄さんなんだろう? 父親違いの兄とは言え、家族なんだろう? だったら、どれだけ酷いことをしたって、どれだけ馬鹿な真似をしたって、それが犯罪でない限りは味方し続けるべきことだ。リアルで人を傷付けた、リアルで犯罪に手を染めた。そんなだったら切り捨てて良い。そうあるべきだ。でなきゃ誰も反省しない。でも君のお兄さんは、“たかがゲーム”でやらかした行いで家族である君に、切り捨てられるべき存在か? あのゲームは課金制じゃない。なにか課金をして、その請求額が計り知れないことがなるようなものじゃない。そして、RMTに手を出したかい? 手を出していないだろう? ゲーム内での暴力は酷く非道なことであるけれど、そこにリアルの法が及ぶわけじゃない。GMがアカウントを凍結した時が、ネットの判決だ。だったら、君はいつまでもいつだって、君の信じるお兄さんを信じなきゃならない」
自分の信じる自分を信じろ、なんてよくあるカッコイイ言葉を変えただけ。並べ立てているのはいつだって詭弁で、ちょっとでも突付けば綻ぶような絹糸のように軟い城壁だ。
けれど、そんな軟い城壁でも、人の情念は詰まるのだ。思い留まるのだ。
「良いの? 私は強いよ?」
「どっちの意味で?」
「現実でもゲームでも、私は強い。あなたに勝ってしまうかも知れない」
笑いが込み上げてくる。
「僕はそもそも勝つ見込みが無きゃ、今回みたいに勝負を吹っ掛けない」
「……凄いね。あなたは強いんだね」
「いいや、君よりもネガティブなだけ。根暗で陰険で陰湿だから、不条理だとか理不尽とか、そういった言葉に親近感を抱いてしまう偏屈なんだよ」
望月の目はやや潤いを帯びていたが、決心したようにその潤いを手で拭い、踵を返した。
「全力で行くから」
「どうぞ、ご勝手に」
「……ありがと」
それだけ言い残して望月はお店を出て行った。
「涼の兄貴って、嘘八百を口にして女を誑し込むの上手いよな」
隣で聞いていた奈緒の罵倒に、思わず素っ転びそうになった。
「そこはカッコイイと言えよ」
「カッコイイけどさー、なんかさー、なんか足りないよな。なんだろ……顔? 顔が良ければ、足りない分が補えてたのかなー」
「イケメンじゃなくて悪かったな」
ここで顔面偏差値を持ち出すとか鬼畜だな、こいつは。
「あそこまで言っちゃったら、もうあとには引けないじゃん。ほんとに勝てんの? 駄目じゃね? 無理じゃね? なーんもバイオの情報もシャロンの情報も無いんだろ?」
「駄目とか無理とか言うなよ」
「んー、ここはあたしの出番かなーやっぱ」
「Armor乗りのプレイヤー間で起こったいざこざ出てくんなよ、『雷狼』。ただでさえ『スリークラウン』は『オラクルマイスター』に目を付けられてるんだろ?」
こいつにしてみたら、年下に助けてもらう年上は「キモい」らしいから、僕は助けてもらおうとは思わない。どうにかして、その考えを改めてくれ。いつか泣き付くと思うから。
「それもそうだけどさー、なんかなー、それを放り出してでもなんとかしてやりたいって思うんだよなー。涼の兄貴だからかなー?」
「それは褒めているのか?」
「要は基準を見ているか、人を見ているかの違いかなー。さっきまでの言葉を基準中心に考えている人が言えばカッコイイのかなー」
「……僕が言うこと全部、カッコイイという結論には至らないのか?」
「え…………無いでしょ」
中学生に「無い」と言われることがこれほど大打撃を与えるとは思わなかった。僕の冷え切った鉄の心は脅迫や恐喝には強いけれど、ヒソヒソ話と罵詈雑言、そして親しい間柄の些細な言葉に弱いのである。なんて偏った心の壁だろうか。浅く広くではなく深く狭い心の持ち主とでも表現しよう。
「思い返すと……さっきまで言ったこと、理沙に話したら多分だけど、ぶん殴られるだろうなぁ」
「あー、存外に扱ったもんねー。涼の兄貴がそんな風に言ってたって知ったら、理沙さんはマジギレして全治数ヶ月の重傷を負わせるかもよ?」
「嫌だなぁ。全部、終わってから報告しよ」
一日一回の電話はするつもりだけど、黙っておこう。
「うわ、ちっさ。どんだけ涼の兄貴はチキンなんだよ。けど、頑張れよ、スズ」
「やっぱ知ってたのかよ」
にひひ、と笑いつつも奈緒は決して僕がネカマプレイをしていることを茶化すような顔は見せなかった。




