妹案件
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金曜日の夕方、妹の友達の奈緒が言伝してきた。妹――花美曰く「土曜日はお父さんもお母さんも家を空けるから、冬姉だけじゃ寂しいから帰ってきて」とのことらしい。母さんは専業主婦で普段から家に居ることが多いけど、趣味で卓球をしている。最近では婦人会で卓球仲間を集めて大会にも出るようになった。いわゆるママさん卓球というやつだ。それで、どうやら土曜日は朝からその大会で家を空けることになるらしい。父さんは週休二日制の会社に勤務しているはずなのに土曜日は仕事で居ないことが多い
そんなわけで、家には冬美姉さんと花美の二人だけなのだ。ただ、冬美姉さんも土曜日は大学のサークルとかで出ていることが多いから、要するに妹は独りぼっちだ。
でも、そういったことがこれまでも度々あったと思う。一人で留守番することだってよくあったことに違いない。それでも、ふと寂しさを感じてしまって、僕を呼び戻したくなったってことだろう。
僕が冬美姉さんの策略に陥れられていなければ、の話だが。
帰りたくなんて、無いのになぁ。
僕は自宅を前にして溜め息をつく。
そう、帰りたくなんてなかった。でも、奈緒に言われたのでは仕方が無い。あいつは僕の妹の友達だから。
花美も奈緒も公立ではなく、私立の中学に通っている。花美は自宅からバスに乗っておよそ三十分。けれど、奈緒はその倍の一時間近く掛かるところから通っている。僕の下宿先から自宅までがおよそ二時間半だから、根性あるよな。高校よりも中学の方が授業は早く終わるはずで、部活動が休みであっても、その一時間近くの通学時間に伴って、僕の方が先にバイトに入ることもある。まぁ、あいつの場合は中学生で労働基準法に触れるので、家業の手伝いという枠組みだが。
多感な時期の、女の子だ。早起きして髪型だって気を遣うだろうし、もしかしたら校則違反だと分かっていても化粧をしたくもなるかも知れない。そういったことを踏まえると、奈緒や花美は僕よりも圧倒的に早く目を覚まして支度をしていることになる。
早起きをして、私立の中学に時間を掛けて登校し、勉強し、帰宅すれば家業の手伝いをする。なのに奈緒は僕の前では決して弱音を吐かないし、家業の手伝いだって手を抜くことなんて決してしない。そんな奈緒が「花美が寂しがってんだから帰ってやれよ」と言うのだから、僕は従うしかないのだ。そんな努力家の言葉に反抗して、反論を述べられるほど僕は人間ができていないのだから。
よって、僕は花美にも甘い。花美が困っているのなら、やはり兄としてなにかしら手を差し伸べたくなるのだ。こんな碌でもない兄を持って、妹も悲嘆しているかも知れないが、碌でもない兄でも傍に居るだけで寂しさを紛らわせることができるのなら、それはそれで良い。
家の鍵は下宿することになっても持たされたままだったので、インターフォンを鳴らさず、「嫌だなぁ」と心境を零しながら玄関の扉を開ける。「ただいまー」と小さく呟きながら、まずは自室に向かう。
「花美は買い物にでも出掛けているのかな?」
かな? まで言ったところで、僕は目玉が飛び出すほどに驚愕する。
「はふぅ……涼兄の良い匂いがするぅ……」
実妹が、実兄の、そのベッドで、妄言を垂れ流して恍惚の表情を浮かべていた。
純粋に、怖気が走った。
「なにやってるん、お前?」
思わず方言が出た。標準語を遣うように注意している僕でも、さすがに驚いて、そんなことにまで意識は向かなかった。
「涼兄……あ、れ? へ? え、あっ……?」
花美が僕の方を向いて、赤面する。
「にゃ、にゃんで?」
噛んだせいで、猫みたいな言葉になっていた。
「お前、人の布団でなにやっとん?」
「りょ、涼兄の臭いを嗅いで……その、えと……全部言わんとあかん?」
「あかん」
「涼兄の臭いを嗅いで寝てたの!」
言って花美が全力で遁走を計ろうとするが、そんなことを僕は許さず、向かってきた妹を問答無用で部屋の中へと蹴り飛ばし、扉を勢いよく閉めた。
ヤバい。
僕の妹が、知らない内に変態になっていた。いや、落ち着け。まだ良い。まだ寝ているだけだったら、まだ良い。その先に至っていなくて、良かったと思おう。
いや、無理無理無理無理!
『はよ開けてや!』
「なにお前それ?! なんでお前、そんなことしとん!? ってか、洗濯されて、日干しもされた僕の布団に臭いなんか無いわ!」
『涼兄が使っていたという事実はあるやん!』
「尚、悪いわ……」
昔から僕にベッタリだった節はあったけど、臭いがどうこう言うようなレベルではなかったはずだ。
『これは、あれ! 久し振りに帰ってくる涼兄を驚かせようっていう、あたしなりのドッキリ! ドッキリやって!!』
「先に事実を述べているのに、なにがドッキリなんだよ!」
ようやく標準語に言葉を戻せた。と同時に僕は扉を開けて、改めて自身の妹である花美と対面を果たす。
「良いやん! 兄が居ないことを寂しく思って、兄の部屋で寝よって思うくらい、ブラコンな妹なんてギャルゲーじゃテンプレやし!」
「二次元で許されることが三次元で許されると思うなよ」
そう返事をすると「それもそうやんな」と花美は納得したように呟いた。本当に納得したかどうかは定かじゃない。
「お帰りー、涼兄! めっちゃ好き!」
「あー、はいはい」
「なんなん? 妹のテンプレがそんな嫌いなん?」
「そのテンプレも嫌いだし、近畿圏の訛りも戻せよ」
標準語の方が印象や語感が良いこともあって、小学校と中学校には標準語の授業があり、僕もそれを習った。ただ、意識しないと訛りが出ることはままある。これはネットの発達に伴い、教育機関に導入された。この辺りだと大人よりも僕らのような学生の方が標準語をよく遣う。倉敷さんもなんだかんだで標準語だし、理沙も標準語だ。
VRMOをプレイしている僕からすれば、地域ごとの訛りや方言は伝わりにくいので、この標準語導入教育に文句は無い。が、その一方で地域性の失われる教育とも言われていて、一時期に問題となった『ゆとり教育』以後の新たなる課題とされている。
「涼兄に懐かしさを感じてもらうために、かなーり無理して遣ってみたのに、逆効果だなんて、あたしには驚きだよ」
「訛りで懐かしさを感じるだろうという安直な思考回路に僕は驚きだよ」
立花 花美。思考回路が貧弱。今後、誰かしらに妹について説明を求められた際は、そんな設定で紹介を終えてやろうか。主に倉敷さんが訊ねてきそうだから、予め用意しておきたいんだよな。自分の妹のイメージってやつを。
冬美姉さんは美人、花美は可愛い。僕の中で姉と妹はそうやって分けている。これは年下の花美の方が無邪気に感じるってだけで、ひょっとすると人によっては、この妹は美人に分類されるのだろうか。
花美にとってはどうしようもない兄、そして冬美姉さんにとっては迷惑な弟であるところの僕はこんなにも外面の悪さが出ているっていうのに、その手のDNAがこの二人に受け継がれなかったのは何故なのか。
僕は父親似とよく言われる。別に父さんが不細工ってわけじゃないのに、だ。そして姉と妹は母親似とよく言われる。別に母さんが特段、美人であるってわけじゃないのに、だ。これこそ偏見で物を言うってやつだろう。
「今日は泊まり?」
「一応はそのつもり。母さんと父さんがなんて言うかは分からないけど」
「そりゃ自分の息子が帰って来るんだから嬉しいに決まってるよ」
どうだか。
理沙が失言して、またゲームを始めたことを知られていないかとこっちはヒヤヒヤしているんだ。
「さっさと僕の部屋から出てけ。今日はここで寝るんだから」
「ちぇー」
「あと、家だからって半裸で歩くな」
「半裸じゃないよ。ノーブラでタンクトップでホットパンツだけど半裸じゃない」
倉敷さんに暴かれた僕のフェティシズムにはホットパンツもあるはずなのに、どうして妹ってだけで、それを履いていると無性に腹が立つんだろうか。
「布地と比べて肌色面積が圧倒的に多かったら僕は半裸認定してんだよ」
「最近は暑いんだし、別にいーじゃん。べっつに家でどういう服していようと、困るわけないもん。それとも妹の薄着のせいで、涼兄が目のやり場に困るとか?」
「それはない。お前のそういう格好には見飽きてるから」
冷たく返すと、花美は舌をベーッと出したあと、部屋を出て行った。
見せるために服を着ていないだけまだマシか。見せたいのか見せたくないのかハッキリしない服が流行ったりもするし、そういう服を着て外出だけはしないようにしてくれれば、あとはどんな格好をして出掛けようと僕はなんにも言わない。家で薄着なことに関してはガミガミと言わせてもらうけど。
「涼兄! 一緒にレースゲームしよー!!」
「早々に遊びに誘ってんじゃねー」
一息くらいつかせて欲しい。というか、もう寝かせて欲しい。こっちは色々と気負っていて疲れているんだ。理沙にこの妹を任せてしまいたいが、彼女がそう都合良く要求には応じてくれないだろう。僕だって時には理沙のスケジュールやらなんやらを気遣う。土曜日だし、もしかしたら部活に行ってるかも知れないし。
「ちぇー、やらないの?」
「いいや、やる」
疲れを紛らわすのはゲームである。僕は花美の持って来た据え置きゲーム機を受け取り、そそくさと自室のテレビと接続させる。そしてゲーム機を起動させ、ディスクを入れてローディング画面を見つめる。
「へっへー、もう負けないもんね」
「ゲームで僕に勝てると思うなよ」
「そんなこと言っていられるのは今だけだよ」
花美はゲームで遊ぶ。ただ、VRゲームには手を出さない。というか、子供が二人ほど馬鹿になってしまったので、手を出すなと親に言われている。でも、それとスマホゲー以外なら許されている。妹は、自身の判断基準に則って、ゲームに時間を割くようになった。
ゲームのトップ画面でコントローラーのスタートボタンを押し、続いて出てきた画面で2Pプレイを選択する。
キャラクター選択画面では即行で妹がマイキャラとしているものを選択する。そのカーソルを動かす速度はやはり、妹よりも速かった。
「……嘘嘘。これは選ばないって」
涙目で僕を見てくるものだから、これ以上の嫌がらせは駄目だろうなと思って、僕はキャラ選択をキャンセルし、別のキャラを選ぶ。
「絶対に泣かせてやる」
「妹に泣かされる兄ってどうよ?」
「萌えるんじゃない?」
「そんな言葉まで覚えてしまったか」
「ちゃんと場によって言葉は選んでるから心配せんでええよ」
つまり、こいつは僕の前では「萌え」という単語を遣っても良いと思ったってことかよ。
「訛り」
「うぅ、気を付ける」
コース選択も終わり、テレビが僕と花美の選んだキャラクターが乗り込んだカートを背面から、上下二分割で映し出す。
スタートの合図と共にアクセルを全開にさせることで行うスタートダッシュを僕も花美も成功させ、二台のカートが一位と二位を争う。
「涼兄のスリストもーらい!」
スリストとはスリップストリームの略で、こういったカーレース物のゲームではよく導入されているシステムだ。このゲームだと相手の後方に数秒間居ることで、一時的に加速するようになっている。
「最初から一位を取って、それで死守できると思うなよ」
妹をあしらうかのように言い放ちながら、見慣れたコースを走らせていく。
まぁ、たまにはこういうVRゲームとは違う対人戦も、楽しいものだ。




