-Epilogue 01-
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「なにか私に話すことはありませんか?」
「……イヤミったらしく敬語で話をするのはやめてくれませんか?」
憎たらしい。
この人は普段、敬語なんて遣わない。冬美姉さんや理沙に連れて来られた時には敬語を遣っていたし、普段から物腰の低い人ではあるのだが、カウンセリングを受け続けていると、段々と態度が豹変し、中学三年の夏頃にはもう僕に敬語なんて一切遣わないようになったはずなのだ。
「いえ、お構いなく。私の警告を無視して、またVRゲームを始めたばかりか、自我を忘れ掛けたそうじゃないですか。どうやらあなた、は二人三脚で歪んだ性格を修復しようという私の意思を反故にするのが得意なようですので、もう患者と臨床心理士という立場を遵守することにしようと思いまして」
にも関わらず、今は敬語を遣っている。これは僕がこの人の信頼を裏切ってしまった結果に他ならないのだが、何故だか釈然としない。
「なんでもお見通しなんですね」
「腐っても臨床心理士なので。“愚者”の傾向が見られる方々とはコミュニケーションが取れませんので、君ともマーク式での質問を行って、現在の心理状況を判断するべきところなのですが、これこそ私のご厚意というものです。ありがたく頂戴してください」
だったら敬語で話すのをやめて欲しい。落ち着かないというか、不安になる。臨床心理士のカウンセリングを受けているのに、何故、不安を抱かなきゃならないんだ。むしろ不安を取り除く立場だろ、この人は。
「それで、僕はまだ人格が歪む傾向が見られるんですか?」
「まず、どうして人格が歪んでしまうのかというところからまた説明をさせてもらおうかと思いますが、」
「許してください。それと、まだ敬語を遣うんですか?」
それはもう十回は聞いた、だからもう聞きたくない。
「今日からまた信頼という名の絆を深められるように努力してください」
ちょっと態度が雑すぎる気がするんだけど、これは他の方にも同じように接していたりするんだろうか。
「努力します」
「と言いつつ努力しないのがあなただということは理解しております」
……多分、僕だけにこんな横柄な態度なんだろうなぁ。
「さて、あなたには人格の……まぁ私たちの界隈では“歪曲化”と呼んでいたりするわけですが、君にはその“歪曲化”の傾向が見られるだけであって、“愚者”にまではなっていません。“愚者”はどういった人か、分かりますか?」
「仮想世界、仮想現実にのめり込み過ぎて、現実とゲームの線引きを越えてしまった人たち、だったような」
「その通りです。あなたはその線引きを越え掛けただけであって、ギリギリ踏みとどまりました。なので、VRゲームをやりさえしなければ、もう安心だと思っていたのですが……」
残念です、とばかりの視線を向けられて委縮する。
「すみません」
「でも、幼馴染みの方がいらっしゃって良かったです。もしその場に彼女が居なかったなら、以前のように暴れながらここに運ばれていたかも知れないんですから。彼女はあなたのストッパー。いわゆる最後の砦です。どれだけの“共感”や“煽動”、“挑発”に呑まれても、彼女さえいれば、とにかくあなたは戻って来られます。どうやら、幼馴染みに嫌われるのだけは勘弁なようですから」
臨床心理士は今までのカウンセリング内容を読み返しながら、どこか安堵しているような表情を見せる。
「嫌われるのが、というより、幼馴染みにまで見放されたら僕、生きて行けませんので……」
「彼女が心の支えになっているというのは聞こえこそ良いですが、あなたを縛り付ける鎖でもあります。一生、外すことのできない鎖です。それこそ、天寿を全うするまで、幼馴染みの評価をあなたは気にし続けてしまうでしょう。それぐらい依存していることは、理解していますね?」
「はい」
「……まぁ、そう強張った顔をしないでください。ちょっとずつ、あなたの中にある黒い物を白く塗り返してしまえば、ひょっとすると独り立ちできるかも知れません」
可能性は示唆されても、現実になるかどうかは酷く曖昧である。そんなことぐらいは分かっているので、深く話を掘り下げる気は起こらなかった。
「二つほど、気になることがあるんですけど、良いですか?」
「なんでも仰ってください」
「僕は、一定の距離まで空間にある物の数やその挙動、重さ、形に厚み、そういったものを見抜くと言いますか、本当に全神経を集中した時だけ、分かるようになるんですけど、これはなんなんですか? 自分でも最近、これを少し気味の悪いものだな、なんて思ったりしているんですけど」
「仮想現実は、現実にはあり得ないことを体感させてくれます。君のように若い脳はそういったあり得ない経験によって、働きが活性化されるんです。VRゲーム中は仕事や勉強に比べて、圧倒的に脳が活発に信号を送り続ける量が多いという研究データもあります。なので、一概にVRゲームが人格を歪ませる原因になるとは言い切れません。逆に、非常に優秀な才覚を持った人物があらゆる分野で活躍し始めています」
「なら“愚者”はその中でも、行き過ぎて自我が崩壊した方たちということですか?」
「大体は合っています」
「じゃぁ、僕のさっき言っていたことも?」
「いわゆる“直感力”の延長ですね。そういった状態に入った時、あなたは人よりも人らしくない速度で物事を判断します。ランナーズハイやゾーンといったものと同等とまでは言いませんが、その状態に入ったあなたはあらゆる情報を視覚だけで回収し、距離感すらも掴み取り、不可能を可能とします」
そこで臨床心理士は溜め息をつく。
「それもかなり強い“直感力”です。現実においても実は働いています。要するに、そんなクソ面倒な感覚を持っている君にマーク式の質問を行ったところで、全て“直感的”に良い傾向にある選択にマークをしてしまう。こんなクソ面倒な患者は診察した中であなただけですよ」
クソクソ言うのやめてくれませんか……とは言えない。
「なにか、これで現実に他に影響が出たりは?」
「特には無いでしょう。君は本能的に勉学を大切なものだと認識しています。私の用意するようなマーク式の質問と違い、勉学の成果を見せる場では、それは表に出ません。残念ですか?」
「いいえ、ズルをしているような気持ちになるので、逆にホッとしました。実力で高校に入学できたんだな、と」
「そうやって現実で大切にしようと思っていることには働かない。けれど、ゲーム内においては、あなたの中にある『現実じゃないんだし』という気持ちが、“直感力”を働かせるんでしょう。でも、『現実じゃない』という気持ちはむしろ大切なものですから、これについては文句の言いようもありません。それで、もう一つの訊きたいこととは?」
「ゲーム内で傷付いたことを、脳が勘違いをしてリアルでも怪我を引きずることって、どれくらいの頻度で起こるんでしょうか」
「……言い切ることはできませんが、頻発するのであればゲームはやめた方が良いでしょう。けれど、稀に起こること程度ならば、気にしなくて構いません。青春とは痛み、苦しみがあってこそですから」
「冬美姉さんは『人を殺すかも知れない』という不安からゲームをやめたらしいんですけど」
「それを聞いたあなたは?」
「殺すわけがないだろ、と」
「だったら殺しもしませんし死なせもしないでしょう。そんなことが起きたら全てのVRゲーム会社は倒産ですよ。そういう普遍的且つ当たり前な思考を持つことが大切なのかも知れませんよ? 不安に思えば逆に痛みはリアルにまで及びやすい、という推論もあるくらいですから」
「詳しいですね」
「カウンセリング対象はVRゲーム関連ですから、これぐらいは勉強しておかなければこっちの話すらまともに聞いてくれませんからね」
そこで時計のアラームを鳴った。
「そろそろ時間です。他に訊きたいことはありますか?」
「いえ、もう特に訊きたいことはありません。ありがとうございました」
椅子から立ち上がり、僕は小さく会釈して後ろのドアに向かって歩き出す。
「では私の方から三つほど。まだ、人と話すことは怖いですか?」
「はい」
「まだ友達は作れそうにありませんか?」
「無理だと思います」
「そうですか。では、これが最後です。信頼できる人を新たに作れそうですか?」
考える。
深く、深く考える。
「一人だけ、信頼できそうな人が居ます」
「そうですか。それは良かった。それと、今日のあなたは二ヶ月前のあなたよりずっと良い顔をしていますよ。とは言え、人生はまだまだ長い。無理せずにゆっくりと、ただゆっくりと進めば良い。後ろを振り返れど、人は前にしか進めないのですから」
「……はい」
ドアを出て、大きく息を零す。
このあとはカウンセリング代を払って、下宿先に帰るだけだ。
僕にとっては一週間振りの落ち着ける場所である。
VRゲームを再開して二ヶ月ちょっと。三月頃に始めたのに気付けばもう六月の中旬を過ぎようとしている。七月に入れば期末試験が待っている。その対策にそろそろ乗り出さなければならない。
しかし、その前に寄るところがある。そこは僕にとっては未知の世界で、未だ経験したことのない場所だ。
それでも、まぁ、頑張ってみようと思う。そこさえ乗り切れば、部屋で寝転んで、今日一日をのんびり過ごすことができるだろう。




