舞台は整った
「そういうメール、誰かに送ったことある?」
「はっ?! なんでそういうことになんのっ!?」
「いや、だって……なんか慣れているし」
「なんで今日に限って、ゲームの中でも意味無く卑屈なのよ……」
一週間前に僕は理沙の理不尽な嫉妬心で辟易したことがある。これはいわば仕返しだ。
「どうなの?」
「まともな神経していたら、こんなあざといメール送れるわけないでしょ! ってかスズは送信する前の私の打っては消して打っては消しての苦悩を知らな……あーもう! 私の乙女心が掻き乱されるーっ!」
最終的にルーティが叫びを上げて、この会話は終わりを告げた。その僅か数秒後に、開きっ放しだったルーティのコンソール画面にメールの受信を告げるアイコンが点滅する。
「これ……幾らなんでも、早過ぎない?」
「どれだけ女性プレイヤーに飢えてるの、この人。スズでもこんな早くないよ」
僕は誓って異性に飢えちゃいない。
ゲーム内じゃ送られてきたメールへの返信はできる限り早い方が良いけど、これだけ喰い付きが良いと引いてしまう。こういうのって、リアルでもそうなんだろうか?
「うーわ」
「なんて書いてあるの?」
「ドン引きするだろうから教えない。要約すると、すぐに来るってさ」
「……なんて書いてあるの?」
「教えないって言ってるでしょ」
「……なにか、卑猥なこととか書かれているんじゃ」
「あのねぇ……さっきからなんなの?」
「書かれているのか……」
「あーもう! リアルに戻ったら○○な言葉の一言でも二言でも聞いてやるから、今は私になにも言わせんな!」
自身の発言した単語はそのまま自身の耳にも入るが、相手には制限が掛かって聞こえる。僕の「卑猥」という単語はルーティには聞こえず、ルーティの「卑猥」という単語は僕には聞こえないのである。ブロックワードは実に優秀だが、容易に想像できる単語だと、その意味を成さないんだな。
しかし、僕はなにもルーティに卑猥な言葉を浴びせたいわけではない。むしろ卑猥な文章の詰まったメールを寄越したパッチペッカーに対する怒りの方が強い。よくも、僕の幼馴染みに……みたいな。断じて「僕ですら理沙に性云々の話なんてしたことがないのに」という怒りではない。うん、きっと違う。違うと思う。
「ファーストキャラにアカウントを切り替えてくる」
「うん、できるだけ早くね。実際はそういうことへの耐性なんて無いんだから」
珍しいほどに弱腰な彼女に微笑みつつログアウトを選択し、十数秒のシステムシークエンスを経て、意識は現実世界に戻される。すかさず別のログインIDとパスワードを入力し、僕は『Armor Knight』の世界に舞い戻る。
僕を待つルーティの傍に未だパッチペッカーの姿が見えないことを確認しつつ、ログイン広場から格納庫エリアに移る。
一つ以上のアカウントを持っている場合、格納庫エリアにはそのプレイヤーキャラの乗る機体とは別に、セカンドキャラやサードキャラが乗る機体が収納されている。そんな心憎い演出に人知れず感動しつつ、僕はスズとして乗っていたオルナを眺める。
理沙と一緒に『Armor Knight』をまた始めて、それからコツコツと武装や装甲を取り替え、そして強化している機体。まだまだ発展途上だけれど、乗っていて楽しくて仕方が無い。
けれど、その機体はスズが乗るべきものだ。リョウである僕が乗る機体じゃない。
オルナの横にあるもう一つの機体には、別の意味で思い入れがある。
楽しかった頃と、苦しかった頃。強くなっているという実感。そしてその先に待っていた、どうしようもない絶望感。自分らしく、そして中学生らしく、自分に甘えて自己満足だけでプレイし続けた結果、投げ出してしまった。
でも、こうしてこの機体は変わらず僕を待ってくれている。そして僕は『リョウ』に置いてしまっている本来の自分を、いつだって取り戻す機会が与えられている。その“本来の自分”がどれほど歪んでしまっていたとしても、こうした機会に拾ってしまっても良いだろう。
『Armor Knight』は“たかがゲーム”だし、ただのゲームだ。だけど、そんな言葉だけでは表現することのできない様々なものが、ここには詰まっている。
僕はコンソールを呼び出し、機体名称をリセットする。そして、改めて新しい機体の名前を入力した。それは、倉敷さんに教えてもらった話の中に登場する物の名称でもある。
「ただいま……“テトラ”。僕の自己満足な戦い方に、もう一度だけ協力してくれるかい?」
まるで、絶交してしまった友達に語り掛けるかのように――いや、これはとても億劫だ。僕は現実に居た友達との関係を全て壊してしまっているんだ。こんな表現は回りくどいし、面倒臭い。
ともかくも、薄緑色のカラーリングを施された機体に、僕は挨拶をした。
続いて、放置していた間に行われたアップデートで加わった武装や装甲を見て行き、どれもこれも購入して、改造も行う。テトラが装備していた物も更なる改造が可能になっている物もあり、これも全て改造する。ゲーム内のお金は幾らでもある。むしろこういった時にしか使わないため、永遠に無くならない。
あとは武装の切り替えだが、これは準備時間に行ってしまった方が手っ取り早く済みそうなので、僕は格納庫エリアをあとにする。
「パッチペッカーに負けたら、僕もテオドラさんみたいになるのかな」
痛いのは勘弁だけど、倉敷さんを助けられないのはもっと勘弁だ。
もっと笑っていてもらいたいし、もっと窘めてもらいたいし、もっと励ましてもらいたい。
そして、信じられる年上の人という認識を、僕に持たせて欲しい。
妄想を膨らまして、感情を沸かす。「女性が絡むと、大抵の男は下心のおかげでやる気が増すものだ」とは酔っ払った父の教えであるが、僕に下心があるかどうかは甚だ不明だ。しかし、こうしてやる気が出て来るのだから、少なからずあるのだろう。
着ている水色のマントがとても懐かしい。この格好で、僕を「あの“リョウ”」と見抜けるプレイヤーはどれほど残っているんだろう。そして、僕の罪は未だ、償い切れていないのだろうか?
そうだとしても、怖れる必要なんてない。むしろ怖れるのは僕ではなく、僕を知るプレイヤーの方だろう。迷わず人前を歩く。プレイヤーネームを隠さずに、こうして歩くのは久方振りだ。やっぱりネカマをやっているときよりも心苦しくない。
ログイン広場に戻ると、ルーティがパッチペッカーと話し込んでいる様子が目に飛び込んだ。
「こんにちは、パッチペッカー」
なにもかもを無視して、ルーティを僕の後ろに隠すように割って入る。
「最近、テオドラを倒したそうじゃないですか。どうですか? 僕と一戦、交えませんか?」
真の表情なんて見せ付けず、ただ淡々と作った笑顔をパッチペッカーに向ける。
「俺はそっちの女からメールを貰ったんだが?」
ああ、こいつ、僕のことを忘れているな。
「それなら問題ありません。あなたを呼び出すため、彼女に協力してもらっただけですから」
ルーティは僕の後ろでジロジロとパッチペッカーを眺めている。
「俺を釣ったってことか?」
「はい。あのテオドラを打ち負かしたのに、全然、表に出て来ないので対戦を申し込む機会が無かったので」
「はっ、テメェの対戦なんか受けるかよ」
それは実に困ったことを言う。
「ギルド『スリークラウン』の規則について教えてください」
「規則だと?」
「『スリークラウン』のギルドメンバーとなった者は、どのような相手であっても対人戦を申し込まれたならば、都合の許す限り、その申し出を受けなければならない。まさかテオドラからその座を奪っておいて、知らないなんて言わせませんよ? この規則は割と有名ですし」
「規則にも例外ってのがあるんだよ」
「いいや、『スリークラウン』は例外を認めません」
僕はコンソール画面を開いて、自身のプロフィールタグをパッチペッカーに見せる。
「なにせ僕も、“同じギルドのメンバー”ですので、規則についてはよく知っているつもりなんですよ」
僕のプロフィールタグには所属ギルドの項目に『スリークラウン』と記載されている。それを確認してか、彼の視線が泳いでいる。
「だから例外ってもんがあるだろうがよ。今回みたいに誘き出された相手に、誠意をもって対戦なんかできるか」
「おっかしーなー。そちらさんの言っている規則は確かに『スリークラウン』のものだよー? その規則を知らないバカが居たら、それこそ『炎帝』に怒られちゃうよ。まぁ、その規則はあたしや『炎帝』が定めたんじゃなくて、『炎帝』に全権を委ねた元ギルドマスターが遺した規則なんだけどねー。それを撤回するーなんて話、サブギルドマスターのあたしでも聞いたことがないなー」
薄黄色の髪にある薄黄色の猫耳。そして薄黄色の猫の尻尾。その猫耳をピクピクと振るわせ、尻尾をフリフリと揺らしながら、にゃおは疑いの眼差しでテオドラを睨んでいた。
「サブギルドマスターの……『雷狼』か。おい、『スリークラウン』のギルドメンバーに、こんな奴が居るわけねぇよなぁ? 『スリークラウン』を騙ることを許して良いのかよ」
パッチペッカーは僕を指差し、にゃおに同意を求める。しかし、にゃおは数秒と経たずに首を横に振る。
「リョウは、『スリークラウン』の古参も古参。あなたが入るよりも前に入っていた、ひょっとするとあなたよりもずっとずっと偉いプレイヤーだよー」
「嘘だろ……」
僕は、一つだけ見当違いをしてていたことが分かった。
それは、テオドラというプレイヤーにはフレンドが一人も居ないのではないかという想定である。僕は倉敷さんにそれを確認しそびれていた。
が、もう確認するまでも無い。その必要が無くなった。
「BBSのブラリ推奨プレイヤーがテオドラを負かしただと? 信じられないな、パッチペッカー。貴様の声を聞くだけでも虫唾が奔る」
フレンドがこのアズールサーバーでも有名なプレイヤーばかりで、呼ぼうにも呼べなかったのだ。ラクシュミの強さを見せるにしても、彼らはあまりにも有名過ぎる。なにより強すぎて、ラクシュミが目立たない。あの流麗で華麗な機体を見せたいと言っていた倉敷さんには、それはフレンドを呼ぶことよりも辛いことだったのだ。
「サールサーク卿、こんばんはー。まー、そう言わないでよー。一応はあたしのギルドメンバーだからさー」
「だから、その男に見定めさせると? その男も同じ穴の狢ではないか」
僕に辛辣な言葉を浴びせて来るのは、ギルド『オラクルマイスター』のサブギルドマスター、サールサーク卿だ。
「麗しき淑女に言い寄るなど、このぼく以外に居てはならないのだよ。そのような強引なやり口では、女性を落とすことなどできないよ。そうだろう? 仔猫さん?」
「御免ね、グッド・ラック。あなたをあたしはブラリ登録しているから、なに喋っているか全然、分かんないやー」
「失敬だな、君は!」
別の意味での問題児とも面識があったらしい。どういう方向での面識かは、なんとなく分かるけど。
「いやぁしかし、久し振りの友との再会だ。こんな素晴らしいことが起こるなんて、今日はツイている!」
「私を貴様たちと一緒にするな。なにもかもが汚らわしい。どうしてGMも貴様たちを野放しにしているんだ、実に嘆かわしい」
グッド・ラックの独特の言い回しを、サールサーク卿は一蹴する。しかし、これは今日に始まったことではないので、さほど気にすることでもない。大体、いつもこんな感じである。この二人はまさに水と油で、絶対に交わることは無い。
「まーなんか外野がうるさいけど、『雷狼』のあたしが命じるよ。規則に従い、パッチペッカーはリョウの対人戦の希望に応じること。負けた方はすぐに『スリークラウン』から抜けてもらう」
パッチペッカーが苦虫を噛み潰したかのような醜い表情を浮かべ、そして諦めたかのように僅かに首を縦に振る。
「さすがにルールはこっちで決めて良いよな?」
「ご自由に。どんなルールでも、僕は負けないけれど」
「あ、設定で観戦は可能にしておいてよ? でないとあたしたちが見ることができないから。それすらしてくれなかったら、勝ち負け関係無く、あなたを追放するから」
「クソが!」
パッチペッカーはそう言い残し、出撃ゲート近くの端末まで歩いて行った。
「どうにかなったの?」
「どうにかなったよ。行って来る」
「こちらの麗しき美少女は、ぼくに任せたまえ、リョウ君」
「悪いんだけど、グッド・ラック。ルーティには君をブラリ登録させてあるから、その言葉は全て彼女には聞こえていないよ」
「失敬だな、君たちは!」
さておき、こうして舞台は整った。僕はパッチペッカーの作ったルームの暗証番号をコンソールで受け取り、出撃ゲートでそれを入力し、対人戦サーバーへと転送された。




