理沙
「んで? 右足の膝でも痛いの?」
あっと言う間に着替えを終えた奈緒は、僕の妙に片足を庇うような動きに気付いたらしく訊ねて来た。
「怪我してんのにバイトは休まないって、将来は立派な社会の歯車になるんじゃない?」
その社会の歯車っていうのは、褒め言葉でもなんでもないんだよなぁ。もうちょっと優しい言葉を投げ掛けてくれたって良いと思う。年下のクセに生意気である。
「できれば、なりたくないな」
かといって、年下の皮肉に対して真っ当に答えるのも子供っぽいので、やめておく。
「お前さ、僕がこれをどこで怪我したのか知りたいか?」
「んー、べっつにー。まー、訊いて欲しそうだから訊いてあげる。どこで怪我したの?」
「VRゲーム」
「“また”現実との区別が付かなくなったのか」
「違うからな」
「真っ当な頭なら、ゲームで怪我をしたとか言わないっしょ。涼の兄貴は一回、ゲームをやり過ぎて“頭がおかしくなっちゃった”からなぁ。もう驚かないぜ」
どうやら僕は訊く相手を間違えたらしい。そもそも、僕の悩みを綺麗に解決してくれるとは思っていなかったが、ここまで過去についてワンツーパンチを入れられると、凹みそうになる。
「あーそういやテレビで、成長途中の脳はVRゲーム内で負った傷と現実で負った傷の区別が付かず、ちょっとした痛みや傷がリアルに戻った時に現れるとか言っていたっけかなぁ」
「それ、なにか理由はあるって言っていたか?」
「思い込みじゃなくて、没入感。ゲームの世界に深く入り込み過ぎて、脳がリアルに戻っても、勘違いしたままだから、それが体に現れるとかなんとか」
「没入感、か……」
脳の混乱によるもの、なのだろうか。確かに没入感は人それぞれであるし、感受性も人それぞれだ。
一部の人に起こりやすく、大勢の人には特になにも起こらない。あり得る話だ。
けれど、そこまでの脅威というわけではない。痣が出来る程度だ。肉体や脳の成長と共に、それらが薄れるのならば、一時のものだと安心できる。これまでがそうであったわけでもない。今回が初めてだったために、妙に不安だっただけだ。これからも、こういったことが起こるかも知れないが、一度、体感してしまえば動じることもないだろう。
痛いのは勘弁だが、実際に死ぬわけでは無いのなら、こんなものは些細な弊害に過ぎない。
ただ、理沙にもこういったことが起こるようだったら、VRゲームはやめるべきだろう。ゲームで怪我をするなんて、ゲームに全力を注いでいる僕なら寛容に受け入れられるが、彼女はそういうわけにも行かない。その時は僕も一緒にVRゲームには手を出さないようにしよう。
「貴重な情報、助かったよ。お前でも役に立つことを口にすることがあるんだな」
「涼の兄貴だから許せるけど、他の奴が言っていたらぶん殴っていたからな」
なにやら怒っているように振る舞っているが、「助かったよ」と言われたことが妙に嬉しいらしく、顔はにやけている。扱いやすい子だ。変な男に絡まれないことだけを切実に願う。
「この怪我が理由ってわけでもないんだけど、今日は理沙が来るからバイトは早めに切り上げるから」
「理沙お姉さんが来るの?」
「なんで僕は涼の兄貴で、あいつはお姉さんって呼ばれてるんだよ」
「主に社会性を持っているか否かで判断してるんだ」
じゃぁ、僕は社会性を持っていない方ってことか。
不思議なことに怒りは込み上げて来なかった。むしろ感心してしまっていた。その歳で、もうリア充と非リア充を見極められるようになっているなんて凄いことだ。
「こんにちはー」
「いらっしゃいま……、来るの、早すぎないか?」
条件反射として出た言葉を途中で止めるほど、僕は驚いていた。
「六時間目、サボっちゃった」
「それ、親には話してる?」
「話してない」
子供の頃からいつも傍に居た彼女は、そう返答した。
最悪だ。サボったことが僕のせいだとバレたら、両親に呼び戻されるどころか彼女の両親にまで申し開きが立たない。
「……ちゃんと根回しはしてるんだよな?」
「でなきゃサボんないし」
要領の良い彼女のことだから、信じて良いとは思う。
「えへへ、久し振りだよね。高校に入ってからは会ってないし」
やや首を傾げつつ、理沙は微笑む。ルーティと髪型は同じくショートボブ。制服の袖口から見えるのは中学の頃から続けている陸上部の活動によって、健康的で、適度に引き締まった腕。スカートから覗く足だって逞しく見える。でも、筋肉質というにはやや物足りない。あくまでも、周りの女の子に比べたらってだけ。
だって実際、触ったら柔らかそうだし。腕も足もだけど、胸の辺りだって――
妙なことを考えていたが、理沙の顔を見ていると唐突に醒めて、僕は溜め息をついた。
「まだ高校に入ってから二ヶ月ちょっとしか経ってないけど」
四月に入居したから、逆算すると会っていないのは春休み終わりからだ。それでも、たった二ヶ月ちょっとでここまで懐かしさを感じるとは思わなかった。
「高校の制服だけど、似合う?」
チェック柄のスカートと紺のブレザーという、どこの高校でも採用されているような珍しくもない制服だけど、やはり着る人によってはこうも魅力的に映るものなんだなと感心する。女子高校生は制服の着こなし方に四苦八苦するらしいけど、理沙の場合はさしたる苦労もないように見える。
「似合う似合う」
こんなことで一々、褒めていたって仕方が無い。だって基本、理沙は制服が似合うくらいにスタイルが良いし、私服だってスポーティな服装なら大概似合うのだ。そのたびに褒めちぎっていたら僕が疲れる。
「むー、涼っていっつもそうだよね」
「いつもかどうかは分からない」
「あ、理沙お姉さん、こんにちはー!!」
「こんにちは、奈緒ちゃん。涼はちゃんと役に立ってる?」
「むしろ役に立ちすぎて邪魔なくらい役に立ってますよ」
役に立っているのに邪魔と言われるとはこれいかに。
「だよねだよね、涼はゲーム関係にだけは強いから便利だよね」
まさか道具扱いされていないよな、と思ったがすぐにその考えを否定する。さすがにそこまで酷い扱いを受けてはいないので……受けては、いないので。
「それじゃ、行こっか」
理沙が僕の手を掴んで引っ張る。
「ちょ、まだバイト中なんだけど!」
「奈緒ちゃん、今日のバイト代は出さなくて良いってお父さんに伝えておいて」
「分かりました。その分はあたしのお小遣いになるから、大歓迎です」
この問答無用さ加減について、小一時間ほど説教を喰らわしてやりたいところだったが、どうにもこうにも僕の手を理沙が離そうとしないので、早々に諦めた。
「鞄、取って来るから」
そう言うと理沙は渋々と手を離す。僕は急いでバックヤードに行き、そこでバイト用の制服から高校の制服に着替えて、鞄を片手に理沙の元へと戻る。するとまた手を掴まれてしまった。
なんだろう……動物みたいに扱われている気がしないでも無い。リードを離すとどこかに駆けてしまう犬みたいに思っているんじゃないだろうな。
「言っとくけどね、私の肌が白いときに会えるなんて運が良いんだからね」
「夏以外はほとんど白いじゃないか」
理沙は部活動の関係もあって、日焼け止めクリームなどを使って肌荒れ対策を毎年のように行っているが、やはり毎年のようにこんがりと日焼けする。これはもう体質の問題となってくるので、一年くらい前から彼女は諦めを感じ、開き直ってこんなことを言うようになり始めた。
「日焼け跡が残る女の子をどう思う?」
「どうもなにも、毎年のように日焼け跡が残る女の子と顔を合わせているから、これといった感想もない」
「ちぇっ……」
ほんの少しだけ不服そうな顔をしたが、すぐに笑顔になって鼻歌を奏で始める。
「ご機嫌だな」
「涼と会えたからじゃない?」
そんなことでご機嫌になるんだったら、もう毎日会えるところに永住してくれないだろうか。
「料理はちゃんとしてる? 掃除とかも、しっかりとやらなきゃダメだよ」
「お前は僕の親かよ」
「今日は泊まるんだし、ダラしない幼馴染みの生活を見直さなきゃと思ってるの」
幼馴染みとはいえ、男と女の子なのに、よくもまぁ泊まる気になるもんだ。
「着替えとかお風呂とか、どうすんの」
「簡易式のカーテンを持って来たから大丈夫」
それは僕の下宿先の浴槽を使うし、着替えだって平気で行うという宣言だった。そこまでして泊まりたがるのはなんなんだよ。
不測の事態で僕が彼女の裸を見てしまうような展開だけは起こらないで欲しい。
「まぁ、理沙がそれで良いなら良いんだけど、スーパーに寄っても良い?」
「良いよ」
理沙は即答し、歩調を僕に合わせてすぐ傍を歩く。そのとき、言葉にできないほどのなにかが内から込み上げて来て、それを誤魔化すように僕は彼女から視線を逸らした。
僕と彼女の関係は、本当に幼馴染みという言葉だけで片付けられるものなんだろうか。だって、幼馴染みとはいえ女の子だ。それもこんな、面倒見の良い子だ。普通に出会っていたならば好きになって然るべき相手だ。
なのに幼馴染みってだけで、こんなにも無感情でいられるものだろうか。かと言って、無理して好きになろうとするのもそれはそれで違う気もする。
胸の中でわだかまる、この表現し切れないものに答えを見出すことは、できそうにない。




