バイト
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翌朝になって、僕は高校に遅れて登校する旨を電話で伝えたのち、病院へと足を運んだ。右膝の痛みは引いてはいないが歩けないほどではない。しかし、骨にヒビが入っていないとも限らない。こういう自分の体調にだけは酷く心配性なところがあるのも僕の心の弱さ、だろうか。
医師の診断によれば、どうやら酷い打ち身であるだけで骨に異常は無いらしい。
どこでぶつけたのかと訊ねられたが、僕は答えることができなかった。VRゲーム内でぶつけたと言ったところで、鼻で笑われるのが目に見えている。
知らない内にまたぶつけたりしないようにと念を押されつつも僕は診察室をあとにし、処方箋で薬局から湿布薬を出してもらい、右足に負担にならない程度の早足で高校へと向かった。
遅刻で、途中から授業に入ることを考えると気が滅入る。
だが、それ以上に気掛かりなのは、一体どうして、こうして現実の肉体にまで現れたのかということだった。
ネットでの傷がリアルにまで及ぶというのなら、世界的に問題視されてそもそもゲームが発売されることさえ無いと思うんだけど。
それなのにVRMOやVRMMO――体感型オンラインゲームが業界としても定着しつつある。
ごく一部の人にしか起こらないこととか? というか、本当にこの右膝はゲーム内でぶつけたのだろうか。それすら悩み過ぎて分からなくなって来た。考え過ぎると、よけいに痛みを強く感じる気がする。
プラシーボ効果? いや、でもあれは強い“思い込み”から来るものだ。僕はゲーム内での怪我がリアルに及ぶなんて、これっぽっちも“思い込んじゃいない”。
「僕だけが考えたところで分からないこと、か」
ボソッと呟き、考えることを諦め、歩くことだけに集中する。
それでも幾つもの疑問と幾つもの仮定を立ててしまったが、その間に高校へ到着した。勉強に集中してしまえば、一先ずは措いておくことができる。
遅刻の理由として医師の診断を受けた旨を再度伝えて、二限目からの授業に参加することとなったものの、休み時間が終わるギリギリで教室に入ったせいでクラスメイトの視線を一身に受けるという痛いことになってしまった。
目立ちたがり屋でもなければ、この注視に堪えることのできる猛者は居ないだろう。半ば帰りたいという気持ちに振り回されつつも、自身の座席まで辿り着き、安堵の息をつく。
二限目の授業が終わったあとの休み時間は、クラスメイトの何人かに遅刻の原因を訊ねられてしまい、それだけでてんてこ舞いだった。普段はゲームのこと以外で僕に声を掛けることもないくせに、遅刻したときだけフレンドリーに声を掛けてこられても対応に困る。それでも、無視されるよりはよっぽどマシなのだが……腫れ物を触るように扱われていると感じざるを得ない。
帰りのSTも終わり、掃除当番でも無かったので僕は早足で高校をあとにした。
そうして向かった先は中央通から二つ三つほど離れた、人気の少ない路地にある小さな個人経営のゲーム屋である。
VRゲーム、オンラインゲームと名の付くものなら一先ず掻き集めた流行の最先端が詰まったブースのみならず、もはや骨董品と呼んでも差し支えないような世代交代を終えて、前線で活躍しなくなった据え置き機や携帯ゲーム機も、そのゲームソフトと合わせて新品、中古品問わず置いている店だ。広さは有名店舗よりも圧倒的に劣るが、マニアックさでは負けていない。
ここで僕はアルバイトをしている。趣味を活かした仕事とはまさにこのことだが、正規雇用は考えていないらしいので、就職のアテにはならない。それでも好きなゲームに囲まれて作業ができるのはまだマシと言えるだろう。中央通から離れているおかげでお客の波も比較的少ないので、人見知りの僕でもまだなんとかこなせるからありがたい。
「うわ、もう来てるよ。涼の兄貴」
ソフトを置いている棚の整理と在庫のチェックをしていると、聞き慣れた声が耳に入る。
「部活は?」
髪はベリーショート、校則違反にならないようにその色は黒。背丈は僕より低いが、運動部に所属していて、健康的な肉付きをした体だが、胸は成長途中であるからかそこまで男の目を惹くほどじゃない。蛇足だけど、こいつと腕相撲で一度も勝ったことがない。
インドア派の僕とは比べ物にならないほどのアウトドア派で、活発的。友達も多く、スマホで通話やメールだけでなく、SNSを利用している場面は何度か見たことがある。
「入ってない」
ぶっきらぼうに答えて、『RPG』のソフトが『シューティング』の棚に入っていたので取り出して、元の棚に入れ直す。
「ヒョロいゲーオタも居るには居るけど、涼の兄貴はもう症状としては末期じゃね?」
一々、イヤミを口にしながら中学の制服を着た女の子は僕の後ろを通り抜ける。
「ちょっとは体を鍛えようって気にはなんない?」
「ならないね」
「さっすがのブレなさ加減」
「ここのバイトを推してくれたのは感謝しているけど、さすがに発言にも限度があるからな、奈緒」
店の奥にあるバックヤードに鞄を放り込んで、すぐさま戻って来た女の子――霧崎 奈緒に言い放つ。
「花美ちゃんの兄貴なんだから、細かいことは気にしない気にしない。あたしの言葉なんて昔っから聞いているんだから、気にしない気にしない」
「たまに遊びに来たことがあるくらいで、僕とはここでバイトするまで二、三回しか会っていなかったじゃないか」
「じゃーあたしのことを名前で呼ぶとかすんなよな、涼の兄貴」
「涼の兄貴とかいうわけの分からない呼び方をやめてくれたら考える。お前、手伝いは?」
年上は嫌いだが、年下は嫌いじゃない。実のところを言うと「涼の兄貴」と呼ばれるのも、そこまで嫌ってはいない。
奈緒は僕の妹――花美の友達である。その関係上、彼女は数回ほど家に遊びに来たこともある。そのとき、一緒にゲームをやった、或いはやらされたときに「高校に入ったらあたしんとこでバイトしない?」と誘われたのがキッカケで今に至る。この店は奈緒の父親が趣味で始めた店であり、そして彼女は手伝いとして、帰りにここに寄ることが多い。
「いや、いつも通りやるつもりだけど……中学生のあたしが帰るより高校生の涼の兄貴が先にバイトに入っているとかおかしくない?」
「特段、おかしくない」
高校を出て真っ先にここに向かえば、これぐらいの時間になる。つまり、校内で誰とも喋らずに来たってことになるんだけど。
今日に限って言えば、リア充たちにはゲームの攻略について訊ねられなかったし。
「品切れは無し……これなら下げるパッケージも無いな」
在庫数を記している表を片手に行っていたチェックが終わる。
「奈緒、さっさと着替えて後ろで中古の品質が落ちてないか確かめろ」
「あたしが居なくても涼の兄貴がやってくれると思ったんだけどなー。ま、それだとあたしの仕事が無くなるから、それはそれでお父さんに怒られちゃうし、しょうがないっか」
「バックヤードで着替えろ、ここで脱ぐな。お前は露出狂なのか?」
人目を気にせずに制服を脱ぎ出した奈緒を咎める。
「いーじゃん、どーせ誰も見てないっしょ」
言いながら、恐らくはバックヤードから引っ張り出して来たであろう私服を、上下肌着一枚のまま、両手で持ち、広げながら着始める。
「お前の父親が見てるだろ」
と思ってカウンターに座っている奈緒の父親に目を向けるが、新聞を読むのに夢中なのかこっちには見向きもしていなかった。
中学生だというのに未だ言葉遣いが雑で、どこか男っぽい。思春期に入れば異性の目や耳を気にして、態度も口調も女の子らしくなるものだと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
父親は個人経営のゲーム屋で、やや放任主義的。母親は看護師で家を空けていることが多く、娘である奈緒に構っている時間は少ない。そういった家庭の事情から察するに、寂しさを紛らわすため気丈に振る舞っているのではないだろうか。
そう思ったところで、僕にはこうして話し相手になることぐらいしかできないのだが……。




