20.悪役令嬢(仮)、謝罪する。
1.
さて。ブリジットとスローアンの婚約再表明と時を同じくして。
ヘンドリック王太子殿下とレベッカ・ブラッドフォード公爵の『婚約破棄』が正式に発表された。
正直なことを言うと、キャスリーン嬢とブリジット嬢の事件の幕引きとして、王太子はこのような大がかりな結末は望んでいなかった。(だからこそブリジット嬢にこっそり頼んだくらいである。)
しかし、ヘルファンド公爵やロイスデン侯爵が出てきてブラッドフォード公爵の陰謀を明るみに出してしまったので、王宮の貴族たちのブラッドフォード公爵への批判が一斉に湧きおこってしまったのだった。(ブリジットの誘拐事件が呆気なく解決したので貴族たちは少し拍子抜けして、非難のやり場をもとめていたところもある。)
国王陛下がすぐそれに呼応して、王家の求心力が失われるとの懸念を表明すると、この機を逃すものかとレベッカ嬢が王太子との婚約破棄を強く希望した。
レベッカ嬢としては、王太子の心内に別の女性がいる(まさかそれがキャスリーン嬢だとは気づいていなかったが)上に、あちこちで女性を口説きまわるのがずっと癇に障っていたらしい。
ことを穏便に済ます気だった王太子は急な展開に驚くばかりだったが、国王が半分命令の形で王太子とレベッカ嬢との婚約を破棄したので、大人しくこれを受け入れた。
そして、ブラッドフォード公爵は遠方の同盟国の駐在大使として左遷されることになった。実質の国外追放である。
しかも駐在大使の補佐役にはウィルボーン公爵の若い甥っ子が当たる事となったので、監視付き国外追放である。
もうブラッドフォード公爵は王宮で花開くことはないだろうと誰もが思った。
ブラッドフォード公爵は政権争いで自滅したのだった。
さて、そんなこんなで王太子の縁談が白紙に戻ったので、貴族たちは「レベッカ嬢の後釜は誰だろう」と楽しそうに噂し合った。
そして、「王太子妃候補といえばキャスリーン・ウィルボーン嬢って方もいましたわよねえ。どうしているのかしら」なんてひそかにキャスリーンの名前が挙がったりしていたところ……。
そのキャスリーン・ウィルボーン公爵令嬢と、グレッグ・ロイスデン侯爵令息の縁談話が発表されたのだった。
キャスリーン・ウィルボーン!
久しくその名を聞かなかったこのご令嬢! まさかここにきて、このタイミングで、キャスリーン嬢と別の男性との縁談の話を聞くことになろうとは!
貴族たちは、また社交界に一躍名を馳せることになったこの令嬢を好奇の目で見た。
特に相手となるグレッグ・ロイスデン侯爵令息に至っては、今まで嫡子だったヴィクターが廃嫡され、庶子のグレッグが勘当から呼び戻され嫡流に決定されたという経緯らしい!
さらに、さらには! キャスリーンとグレッグの間にすでに子どもがいるという!
いったいどういうことか!と王宮中の貴族たちは興奮して噂し合った。
実は、当のロイスデン侯爵ですら、まだ夢見心地だったのだった。
ロイスデン侯爵は、ヘルファンド公爵やウィルボーン公爵との間に、ブラッドフォード公爵の陰謀を証言する約束と引き換えに、愚息グレッグがキャスリーン嬢を孕ませて逃げたことを(これもブラッドフォード公爵の指示だったので)公には断罪しないという取引をしていた。
しかし、ロイスデン侯爵がヘルファンド公爵やウィルボーン公爵に全て曝け出して喋ったとき、ウィルボーン公爵の方から思いがけない提案があったのだった。
「お宅の息子さんがキャスリーンの相手だと言うことは知っていた(ブリジットのスキャンダルのおかげで)。もちろん今でも悔しい気持ちは残っているし、娘の気持ちを踏みにじった行為を許すわけにはいかないが、それでも娘が言うには、娘とグレッグ殿の気持ちには偽りはなかったと。慰謝料などいらんから、できれば娘キャスリーンとグレッグ殿との縁談をまとめてくれ」
ロイスデン侯爵は、こんな『棚ぼた』があるだろうかと思った。
あんなに必死でブラッドフォード公爵家の腰巾着になろうとしてたのに、いざ決別してみれば、名門ウィルボーン公爵家と姻戚関係になれるなんて!
ロイスデン侯爵は大喜びで、グレッグの勘当を解き、ヴィクターを廃嫡し、グレッグを次期当主とすると宣言した。
キャスリーン・ウィルボーン嬢との縁談に当たり、ロイスデン家でできる精一杯の体裁を整えたことになる。
そうしてキャスリーンとグレッグの二人は、相当な注目を浴びながら社交界に復活した。
久しぶりに着飾り、グレッグにエスコートされて、王妃様への挨拶にと月曜定例の舞踏会に出てきたキャスリーン・ウィルボーン公爵令嬢は、光り輝くように美しかった。
長年の引きこもりブランクなど微塵も感じさせない堂々としたふるまいだった。
しかも! 舞踏会会場中の貴婦人が皆そろって目を見張ったのは、キャスリーンのドレスだった!
見たこともない華やかで格式高いデザインのレースがふんだんにあしらわれていた。
ややもするとスキャンダル色強めのキャスリーン・ウィルボーン嬢の社交界復帰で、貴族たちも「どれ、少し様子を見てやろう」という嘲り入りの視線を投げかけたが、このキャスリーンの佇まいとドレスは、これらの貴族の思惑を完全に裏切った。
キャスリーンは全く、唯一無二の貴婦人だった。
グレッグの方もぴしっとした礼装に身を包み、柔らかい物腰でキャスリーンをエスコートしている。
ようやく愛する者と結ばれた幸福感が二人を包んでいた。
王宮中の貴族たちが「あの二人だよ」と目配せし合う。
「ようやく一緒になれたわね」
とキャスリーンはグレッグに微笑みかけた。
「そうだね。私たちが結婚できるように、ブリジット嬢がウィルボーン公爵を説得し倒してくれたそうだよ」
グレッグは少し可笑しそうにした。
「何て啖呵を切ったか聞いたかい? 『代わりにこの私がおとなしくスローアン様との婚約を受け入れてあげるって言ってるのよ! 私がまだ問題を起こすところを見たいの!?』だそうだ」
「お母さまや叔父様が真っ青な顔になったのが目に浮かぶわ」
キャスリーンはふふっと笑った。
「本当にあの子ったら……なんて頼りになる従妹なのかしらね」
そうして、キャスリーンは今日の戦闘服を愛おしそうに優しく撫でたのだった。
2.
さて一方で。
廃嫡されたヴィクターも文句は言わなかった。
ブリジット・ヘルファンド公爵令嬢誘拐未遂事件のことは深く反省していたから。
もっともこのブリジットの件に関して言えば、世論はみなヴィクター・ロイスデン側の味方だったが。
なにせ、相手はブリジット・ヘルファンド嬢である。
社交界一の貴公子スローアン・ジェラードを婚約者に持ちながら、王太子からも寵愛を受けていた女性(※世間の噂)。しかもヴィクターと想いを伝えあったところを幾人かに見られている。
人たらしブリジット嬢、こりゃーブリジット嬢が悪い、と貴族たち(主に独身令嬢たち)は思っていたから。
話が逸れた。ブリジットのことはどうでもいい。ヴィクターの話である。
ヴィクターは兄グレッグとキャスリーン嬢の関係に驚いてもいた。
そして兄グレッグが当時、勘当され行方を晦ませることを条件に、弟の自分はソフィア・ブラッドフォード公爵令嬢という高位の令嬢との縁談が約束されていたのだということを知った。
これを知って、ヴィクターは何も知らなかった自分を恥じた。
兄グレッグの絶望はいかほどのものかと同情した、
ならば、ここは自分が身を引くしかあるまい。
ヴィクターは全てを承知で、ロイスデン侯爵の名を捨てたのだった。
そんな折、ヘルファンド公爵がヴィクターを呼び出した。
ヴィクターは驚き、神妙な面持ちでヘルファンド公爵の前に跪く。
「この度は申し訳ありません! 娘さんを誘拐しまして……」
「いや、ちがう、ちがうちがうっ!」
ヘルファンド公爵はヴィクターに謝る隙を与えず、手を振った。
「謝るのはこっちの方だ、ヴィクター殿。本当にうちの娘が、もう……」
最後の方はため息と一緒になっていて、聞こえない。
「え……」
思っていた反応と違うので、ヴィクターが戸惑っていると、ヘルファンド公爵はヴィクターに近づき、膝を折り、ヴィクターと目線を合わせた。
「ブリジットが、スローアン殿との婚約が嫌で、婚約を破棄してもらうために浮気の噂を流そうとしたらしいんだ。自分で白状した。相手は誰でもよかったと。だから、君は100%被害者なのだ。本当に申し訳ない!」
「え!? 浮気の噂ってのを作りたかったってことですか!?」
ヴィクターもブリジット本人から「愛などない」と聞いてはいたが、まさか自分たちの出会いがそんな理由だったとはと呆気にとられた。
なるほど、それなら愛などあるわけがなかった……。
ヴィクターはつい自嘲気味に笑ってしまった。
ヘルファンド公爵は気の毒そうにヴィクターを眺め、
「それに私の姪のキャスリーンの関係で君は次期侯爵家当主の立場もなくしてしまったようだね。……ヴィクター殿。なあ。……君には財政担当大臣の副官の一人に推薦しようと思うのだがどうかね?」
と打診した。
「えっ! それはさすがに……。わたしなどでは実績が足りませんっ」
「実績はこれからしっかり積んでもらう。いい縁談も紹介しよう。―――いや、もう本当にうちの娘が申し訳なかった……」
こうしてヘルファンド公爵がヴィクターに頭を下げているとき、この客間に、ヘルファンド公爵夫人に首根っこを掴まれてブリジットが引き摺りだされてきた。
「いたいいたい、お母さまっ」
「ブリジット、ちゃんとあなたからも謝りなさいっ!」
ヘルファンド公爵夫人は相変わらず鬼の形相でブリジットを睨んでいる。
ブリジットは客間にヴィクターを認めた。
「あっ」
と小さな声をあげると、
「申し訳ありませんでした……」
と深く頭を下げた。
なんだかすっかり吹っ切れたヴィクターは苦笑した。
「スローアン様ともう一度正式に婚約を宣言されましたね」
「あ、ああ、はい……」
ブリジットはバツが悪そうな顔をした。
「いいんですよ、そんな顔をしなくても」
とヴィクターは笑顔を見せた。
本当はまだ少し胸が痛いけれど。
「あなたの一件では、王太子様と美味しいお酒が飲めそうですよ」
「お、王太子様!?」
「ええ。王太子様の婚約が破棄された際、『どうせならスローアン殿とブリジット嬢の婚約も破棄されないだろうか。そしたらブリジットをもらうのに』と呟いたとか呟かなかったかとかでスローアン殿と喧嘩していました」
ヴィクターは笑った。
ブリジットは青ざめた。
ヴィクターは明るく手を振った。
「いいんですよ。こないだスローアン殿が一生懸命口説いていたという噂の巨乳美女が私を口説いてきてね。『スローアン殿ふられたんだな、ざまあみろ』って思ったので」
「クリスタル・ネルソン嬢……今度はヴィクター様を狙うことにしたのね……」
ブリジットは呟いた。
「え?」
「いえ、何も」
ブリジットは慌てて取り繕った。
そんな顔をヴィクターは何も言わずに眺めていた。
確かに好きだったんだ。
でも、もう終わった。
彼女は別の人のものなのだ。
「まあ、あなたのことは一生忘れられそうにありませんけどね」
ヴィクターは小声で呟いた。
ブリジットの傍にはハラハラした顔のヘルファンド公爵夫妻が佇んでいる。
まあいいか。
ヴィクターは思った。
自分もあっち側でブリジット嬢を遠目から守ることにするよ。
だって、ブリジット嬢の今後の人生が一筋縄でいくわけない……のだから。
これで一先ず完結です。
最後までお読みくださいましてありがとうございました!!!
たくさんの方に読んでもらえたのが、とってもとっても嬉しかったです!
短いはずが長々とお付き合いいただくことになりまして、どうもすみませんでした。
もし少しでも面白いと思ってくださいましたら、
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今後の励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。
番外編、書けたらいいなあ~。
『お姑さん(ジェラード公爵夫人)の憂鬱』とか……。
せっかくイケメンに育った息子があんな女性の趣味を持っていて、きっと驚いてると思うので……。





