19.婚約に納得してくれますね?
1.
あれだけ『誘拐』と大騒ぎになった割には、ヴィクターはあっさりとブリジットの身柄を引き渡し、ブリジットは王太子に派遣された護衛兵に囲まれながらスローアンと帰路についた。
一先ずスムーズに解決したということで王宮の貴族たちはほっと一息ついたのだった。
しかし、もちろんヘルファンド公爵家はしばらくバタバタした。
ブラッドフォード公爵と決別したロイスデン侯爵から正式に深い謝罪があったり、国王陛下夫妻や王太子からお見舞いの打診があったりしたためだった。
それ以外にも、たくさんの貴族たちからお見舞いの手紙や品々が送られてきて、またしてもヘルファンド公爵夫妻は昼夜問わず時間に追われることとなった。
さて、ブリジットの方はというと。
実家の忙しさをよそ目に、完全にヘルファンド家の自室に引きこもっていた(※ひどい)。
ヴィクターの誘拐まがいの行動にはショックが隠せなかったし、スローアンの本当の気持ちを知った今となっては、ブリジットは頭の中を整理するのに時間を必要としていた。
まあヘルファンド公爵夫妻も、今回の件はさすがに大事件だったと娘をそってしておくことに決めていたから、ブリジットが引きこもっていること自体にはたいして文句は言わなかった。
しかし、婚約者のスローアン・ジェラード公爵令息との婚約の件については、ヘルファンド公爵夫妻もどうすべきか迷っていた。
スローアンが颯爽とブリジットを救い出した(世間向けにはそう発表していた)部分については美談なのだが、如何せん、ブリジットとヴィクター・ロイスデンの関係は褒められたものではなく、さらにその結果として誘拐事件という王宮中を賑わすスキャンダルにまで発展してしまったとあっては、どうもジェラード公爵家に申し訳が立たない。
特に、この婚約はブリジットの母ヘルファンド公爵夫人のたっての頼みだった。
つまり、立場が低い方のヘルファンド家がスキャンダルを起こしているのである。
このままではジェラード家の威信まで傷つけてしまう。
そして、当のブリジットは婚約を大変嫌がっていた。(※そのせいでこんなことになった。)
ヘルファンド公爵夫妻がこの婚約を辞退させてもらうべきだと考えるのはごく自然なことだった。
スローアンは、そんなヘルファンド家の空気を敏感に感じ取っていた。
毎日のようにブリジットを心配する手紙を送ったが、当のブリジットからではなくヘルファンド公爵夫妻から遠慮がちな返答ばかりが来るからである。
それに、スローアンはヴィクターの話をグレッグ伝いに聞いていた。
ブリジットが『ヘルファンドの家から一歩も出たくないから誰とも結婚したくない』と言っているということを。
やっとブリジットの誤解を解きスローアンの想いは伝えられても、ブリジットの肝心の「結婚したくない理由」は解決していないのだ。
婚約を打診してきたヘルファンドの方から、スローアンの意向を聞かずに勝手に婚約を解消することはないだろうが、こんな状況ではスローアンは少し焦りを感じていた。
スローアンはブリジットの『ヘルファンドの家から一歩も出たくない』理由を何とかしようと居ても立っても居られなくなった。
ここで婚約破棄なんかになってたまるかっ!
ヴィクターによるブリジット誘拐事件が解決し王宮中がほっと一息ついたのも束の間、スローアンは別の案件を解決すべく行動を開始したのだった。
2.
スローアンはヘルファンド公爵邸にブリジットを訪ねた。
案の定ブリジットからは「気分がすぐれませんのでお会いできません」というつれない返事がきたが、決意を固くしているスローアンは一歩も引かない。
ヘルファンド公爵夫人にかなり無理を言って、一目ブリジットに会わせてもらえるよう頼み込んだ。
ヘルファンド公爵夫人はそれでも、ブリジットは誘拐事件の後で気が塞いでいるだろうから、と躊躇っていた。
しかしスローアンが仕方なく、「今回の誘拐事件は私も巻き込まれていますからね」と恩着せがましく言うと、ヘルファンド公爵夫人はかなり迷った挙句、侍女のウィニーを呼んだ。
ウィニーの方はけろりとしている。
ブリジットが誘拐事件にかこつけて引きこもっているだけというのをよく分かっているので、
「たぶんブリジット様のお部屋に直接伺っても問題ありませんよ」
と宣った。
「あの部屋に!?」
とヘルファンド公爵夫人は金切り声を上げたが、ウィニーは澄ましたままだ。
ヘルファンド公爵夫人は「えー本当にあの部屋に?」とぶつぶつ言っていたが、何か覚悟を決めたようでようやく了承した。
ヘルファンド公爵夫人とウィニーに案内されてブリジットの部屋にたどり着くと、ウィニーはいつものようにブリジットに声をかけた。
「お嬢様ー。入りますよー」
「はあい」
と中から声がする。全然気が塞いでいる声ではなかった。
ウィニーが「ほらご覧なさい」とスローアンに目配せすると、スローアンは躊躇いがちに扉を開け、ブリジットの部屋に一歩足を踏み入れた。
そして、心底驚いた。
な、なんだ、これは……!?
なんという……。
部屋の中にいるブリジットが目を上げた。
スローアンの顔を見てぎょっとする。
「えっ!? な、なんでスローアン様がここに……!」
「一目お会いしたかったんですって」
ウィニーはいけしゃあしゃあと言う。
「そういうことじゃないでしょ! この部屋に人を入れるなんて……」
ブリジットはかなり慌てていた。
「何か問題でも?」
ウィニーは平気な様子だ。
スローアンは、
「ブリジット様……。」
と声を発しかけて、そしてもう一度部屋中を天井から床まで、ぐるうりと見回した。
「この部屋は……」
なんと、この部屋の壁から天井から、全ての家具に至るまで、緻密な模様の細かいレースで覆われていたのだった。しかもどのレースの柄も二つとして同じものはなく、色も様々だった。
部屋中に広げてあるレースの外にも、折りたたまれてチェストに収められているレースも山のようにあった。
そしてスローアンはブリジットの手元に大小さまざまな種類の針が置いてあるのを見た。
「もしかして、これは、全て、ブリジット様の手作りなのですか!?」
この時代はまだレースも手編みだ。
これはいかほどの労力がかかっているだろうか?
スローアンはふと目に留まり、美しい装飾が施された猫足のテーブルの方へ歩いて行った。
テーブルの上には、レースのデザインを考えたのだろう、たくさんの模様を描いては直した紙が何枚も何枚も、無造作に積まれていた。
スローアンはその紙を手に取って眺めていた。
なんという繊細な模様だろう。
花を主題にいくつものモチーフを組み合わせて描かれたデザイン。
神話をモチーフにした壮大なデザインのもの。透かし方が斬新で、神々しさが漂ってくるようだ。
コミカルな動物モチーフを様々な色と組み合わせて遊んだ斬新なデザインのものまで。
しかし、もうここまで行くと、ただの装飾品ではない、芸術品だ。
さらに部屋を見回すと、簡易的にしつらえたベッドの上に、技術を学んだのだろう、たくさんの専門書や、たくさんの職人と直接やりとりした書簡が放り出されているのを見た。
ごろごろ寝ころびながらアイディアにふけったりしていたのだろう、ちょうど人型に横になれるスペースが空いていた。
スローアンはごろんと横になっているブリジットを想像して、ぷっと笑った。
スローアンは、「なるほど、こんな趣味があったのでブリジット嬢は部屋に引きこもっていたいわけだ」と納得した。
それから、「確かにここまで突き抜けていると、ヘルファンド公爵が娘の社交を諦める気持ちも分かる……」と心の中で頷いた。
「ブリジット様おひとりで?」
スローアンは絞り出すように訊いた。
ブリジットはスローアンの動きをつぶさに目で追っていたが、スローアンが疑心暗鬼の顔でこちらを見たので、途端に不思議そうな顔をして
「いいえ。一人でやっていては時間ばっかり過ぎて作りたい作品が全然進みませんから、人手を雇って手伝わせています」
とブリジットは答えた。
スローアンは驚いた。
「この部屋で?」
「ええ。それが何か? ごろごろのんびりやらないと、アイディアは湧いてきませんもの」
スローアンは黙った。
『人手を雇って』
確かにこんなレース。貴婦人のサロンでおしゃべりしながらやるのとは少々次元が違う。
スローアンはただただ圧倒されて感服した。
「これらの作品は誰かに見せたりはしないのですか?」
とスローアンは素直に聞いた。
「王妃様に献上したことはありますわ。夜会用のドレスにあしらったと聞きましたが、スローアン様はご存じ?」
ブリジットはちょこっと首を傾げながら言った。
スローアンはピンときた。
「ええ、存じています」
ある舞踏会で王妃のドレスが大変話題になったことがあった。あまりに珍しいものだったので、王妃の取り巻きの夫人たちが皆目を丸くして、王妃様のドレスをつまんでしげしげと羨ましそうに眺めていた。
あれ以来、王妃様はよほどの来賓のあるときにしかそのドレスをお召しにならない。
「ああそう、良かった。では本当にドレスになったのね」
ブリジットは満足そうに頷いた。
「どういう意味です」
ブリジットは首を竦めた。
「私のレースなんかが王妃様のドレスになるなんて、嘘っぱちだと思っていたから」
「とんでもない! 話題の的でしたよ! レースの出どころを知りたいと、かなりしつこく王妃様に尋ねていた夫人もいたくらいです」
スローアンは力を込めて言った。
「そう? それは素直に嬉しいわね」
ブリジットはニカっと笑った。
スローアンはその笑顔を眩しそうに見た。
ブリジットは少し誇らしそうに
「少し前は隣国への贈答品にと頼まれたこともあるのよ。外交的に難しい局面だったようで、王妃様が直々にこの部屋を訪れてお選びなさったのよ。王妃様がよ。そのときは私もドキドキしたわ」
と付け加えた。
スローアンは
「ヘルファンド公爵夫人には?」
と尋ねた。
「まあ!」
ブリジットは顔を顰めた。
「あげるわけないわ! 『部屋に引きこもるな、お茶会に行け、舞踏会に行け』と怒鳴り散らすお母さまに、なんで引きこもって作った大事な作品をあげなくてはいけないの」
そのあからさまに嫌そうな顔にスローアンは笑った。
そしてはっきりと伝えることにした。
「ブリジット様。この部屋を拝見させてもらって良かった。私はとても圧倒されました」
「それは良かったわ。じゃあ、私の気持ちを尊重してくださる?」
ブリジットは微笑んだ。
「私、趣味に忙しいの」
スローアンは肯いた。
「そうですね。尊重したいと思いました」
「あ、じゃあ、婚約破棄……」
とブリジットが言いかけたとき、
「あ、いえ、婚約破棄は致しません」
と慌ててスローアンは否定した。
「は!? 今、尊重してくださるって……」
ブリジットは怪訝そうな顔をする。
スローアンは微笑んだ。
「ええ、だって、ブリジット様が部屋に引きこもるのと、私との婚約の話は別ですからね」
「えええ!? どういうこと!? だ~か~ら! 私はこの居心地のいい部屋から一歩も出たくないの!」
「じゃあ、出なくてよろしいんじゃないでしょうか」
スローアンは涼しい顔で言った。
「私はヘルファンド公爵に頼んで婿入りさせてもらいます」
「は!?」
ブリジットは目を丸くした。
「いいじゃないですか。ブリジット様が結婚なさったら誰か親族から養子をいれてヘルファンドの爵位を継がせるつもりだったんでしょう? 私が婿入りして、その爵位、共同でもらって差し上げます」(※ブリジットは一人娘)
スローアンは事も無げに言う。
「ええ? じゃあ、ジェラード公爵家は?」
「別に。弟も従弟もいるし問題なし」
「え~っと、あまりのことに頭がついて行きません」
ブリジットは首を振った。
スローアンはまた笑顔を作った。
「ははは、そうですよね。でもいいです。私は理解しましたよ。私なりの解決策です。ねえ、ブリジット様。もうずっと前からね、私はすっかりあなたの虜なんですよ。言ったでしょう」
ブリジットは黙って目を見開いている。
スローアンは真っすぐブリジットを見つめた。
「だから婚約だって絶対に破棄したくないし、ヴィクター殿にも取られたくなかった。王太子様の噂だって、そりゃお二方を信じていましたけど、全然気持ちは面白くなかったですよ」
「あ、えっと……」
ブリジットは急に声が小さくなった。
先日のキスを思い出して、顔が真っ赤になる。
ブリジットの百面相を見て、スローアンはふっと笑った。
「まあそれにね。ブリジット様って引きこもりと自称される割には大変行動力がおありなんで、あちこち問題を起こされる前に、ずっとこの部屋に引きこもっていてもらった方が私は安心なんですよ」
もうヴィクター殿とか王太子殿みたいなことがあったら嫌なんです!!!
できるだけ、他の男性の目に留まってほしくない!!!
ブリジット様はご自分の容姿にあまりにも無自覚すぎる。
そしてその気取らない真っすぐな性格。
こういうの好きな人は、たぶん本当に好きなんで!
「え~っと……?」
ブリジットはいまいち理解できなかったが、「この部屋にいてもらった方が安心」という部分だけは脳内に響いたらしく、
「それなら利害が一致するかもしれませんわね」
と答えた。
「じゃあいいですか。婚約に納得してくれますね?」
とスローアンは言った。
「あ、え、ええ。え~っと、いいですわ」
ブリジットはもう一度真っ赤になって頷いた。
こうして、ブリジットは婚約に納得し、二人は、正式に婚約していることを再度宣言することになったのだった。
お読みくださいましてありがとうございます!
やっぱり読んでいただけるのが凄く凄く嬉しいです。
すみません、しょーもない引きこもりの理由、出てきちゃいました……。
「そうじゃない!」と思った方……。どうもすみません……。
次回最終話となります。(だいぶ駆け足感……)
よろしくお願いいたします。





