17.浮気(仮)相手の求愛……吹き飛ぶ。
1.
ブリジットとヴィクターを乗せた馬車は人目を避けて遠回りをしつつ、田舎の里でこっそりと宿泊を重ねながら、数日掛けて目的の屋敷にたどり着いた。
ヴィクターとブリジットの名誉のために言っておくが、この道中ではヴィクターはけっしてブリジットに手を出そうとはしなかった。
ただでさえ落ち着かず不安な道中であるので、ヴィクターは必要以上にブリジットに配慮していた。
そのため、元来おめでたい頭の持ち主であるブリジットはさらに安心しきってしまい、もう自分の“町おこし計画”は100%成功するかのように思っていた(※まだ言ってる)。
さて、日が上り切る前に目的の屋敷についたヴィクターとブリジットだったが、屋敷の管理人の方は主人の突然の来訪に転がるように走り出てきた。
ヴィクターは購入以来この常駐の管理人に最低限の手入れだけはしておくよう言い含めてあったので、管理人にとっては特別困った状況ではなかったのだが、まあそれでも一報くらい欲しかったと心の中で毒づいた。
さらに管理人は、主人の後ろにお連れ様を見つけて、途端にものすごく緊張した。
何だ、この美しいご令嬢は!?
しかもこの気品!
こんなご令嬢、こちらの田舎屋敷なんかで大丈夫なのか!?
ヴィクターは管理人がブリジットを見て驚いていることに気づいた。
さらに管理人が何となく恥じている様子を感じ取り、確かにこの屋敷に名門の公爵令嬢ともなるブリジットが住まうことは違和感があるなあと改めて思った。
「すまないね。こちらは私の妻になるブリジット嬢だ」
ヴィクターは管理人に手短に紹介した。
「しばらく滞在するからよくお世話をしておくれ。人手を増やすつもりではいるけれど」
ブリジットは『妻』という言葉に顔を顰めた。
そしてとにかく一人になってゆっくりしたいと、
「疲れましたわ。休みたいから、どこか日当たりのよい部屋を用意してちょうだい」
と管理人にぶっきらぼうに言いつけた。
「か、かしこまりました。すぐに準備いたします!」
管理人はブリジットが不機嫌そうなので緊張して改まった。それから、すぐに作業に入ろうとしながら、ふと気づくことがあり、ヴィクターの方を向いて確認した。
「ええと、ご主人様。そのあと寝室の準備も致しますが、奥様ということは、寝室はご一緒でよろしいのですよね?」
ブリジットは飛び上がった。
「それはなし!」
「はっ」
あまりの勢いに管理人は驚いてしまった。
「あ、ああ、そうでございましたか。それは失礼いたしました……」
管理人は平伏した。
そして管理人は、ご主人とこの女性はいったいどんなご関係?と心の中で首を傾げた。
ヴィクターもブリジットの全力拒否に呆気にとられたが、まあそこは初日から無理強いしようとはしなかった。
「……ということだ。構わない。別に準備しなさい」
「はあ」
管理人は「どこに地雷があるか分からないや」と肩を竦めながら、隠れるようにすすっと仕事に戻っていった。
さて。
ヴィクターはふうっと小さくため息をついてから、意を決して熱意を込めた眼差しをブリジットに向けた。
言わねばならないことがある。
「……ブリジット様。どうぞここで私と一緒に暮らしてください。決して苦労はさせませんから」
ブリジットは困った顔をした。
ヴィクターは跪き懇願した。
「お願いします! 私はあなたを愛しているのです。あなたも、私のことを想っていると仰ってくれた! あなたには形式上は婚約者がいるし、これが最良の形ではないことも分かっています。それでも、もう走り出してしまった。受け入れて、ここで二人で暮らしませんか」
ブリジットは申し訳なさそうな顔をする。
ヴィクターは誠意ある目でブリジットの手を取った。
「ブリジット様……! ずっと……ずっと好きだったのです。あなたも同じ気持ちでしょう? 私と一緒になってほしい。絶対に幸せにするから。今はこんな形で申し訳ないが、いずれ必ずご家族にも会えるように、許していただけるように、私も頑張るから」
ヴィクターはブリットの手の甲に口づけた。
「ええ~っとぉ……」
ヴィクターの熱のこもった言葉とは裏腹に、ブリジットは上擦った声を出した。
「それって、私に拒否権あるの?」
「え……」
拒否権という言葉にヴィクターは情けない顔をした。
「はっきり申し上げると、ヴィクター様と一緒になるのは嫌。というか誰とも結婚したくない。スローアン様? 王太子様? グレッグ様? 全部ヴィクター様の妄想ですから」
ブリジットは両腕でバツを作って見せた。
―――スローアンは妄想だけではないが。
「も、妄想!? というか、え? 誰とも結婚したくない!?」
ヴィクターが驚いて聞き返した。
私を想っているというのは……!? それは……え?
「そうよ。あなたちっとも私を分かってないわ」
ブリジットは憤慨して言った。
「私を幸せにする? 私の幸せが何かご存じなの?」
「え~っとそれは……」
ヴィクターは口ごもる。
「私はあなたを心から愛していて、浮気はしないと誓うし……私たちの子どもでも生まれれば家も賑やかになって……」
「全然違うっ!」
ブリジットはパンパンっと掌を打った。
「そんな浅はかな考えで私を誘拐したというのだからよほど呆れるわ。私はねえ、ヘルファンドの家から一歩も出たくないのよっ!」
ババ~ンっ!
ブリジットはふんぞり返って堂々と宣言した。
―――なんと薄っぺらな理由……。堂々と宣言するような内容ではない。
「は……?」
ヴィクターは素っ頓狂な声を出した。
そして気味悪そうな目でブリジットを見る。
「ど、どういうことなのです? ヘルファンドの家から一歩も出たくない!?」
ヴィクターは完全に混乱している。
「ふんっ。とにかく私をヘルファンドのおうちに帰してちょうだい。あなたがこんなことをする人だなんて思いもしなかったわ。私の見る目が間違ってた」
「なんてことを仰るんです!」
ヴィクターは「見る目が間違ってた」とまで言われては黙っておれず、思わず声を上げた。
「私だってこんなことをするつもりはなかった。だが、あなたと私の愛を守るためには、もはやこうするしか道がないと思ったのだ!」
「愛なんてありませんっ! 全部間違いですわ」
ブリジットは首を振った。
ヴィクターが目を見開く。
「愛がない!? 間違い!?」
「ええ! 私たちの出会いから、ぜ~んぶ間違いだったのですわ!」
ブリジットは身もふたもなく断じた。
「そんな……」
ヴィクターはへなへなと体中から力が抜けるのを感じた。
「私は、いったい何を信じて……」
ブリジットは美しい顔でヴィクターを睨んでいる。
「やっと分かりました? さあ、私をヘルファンドの家に帰してちょうだい」
ヴィクターは戸惑った。
え? 帰す?
私はいったいどうしたら……。私のこの気持ちは……。この気持ち……。
ヴィクターは目を上げた。
「それはできません」
「え……」
ブリジットは断られたので少し怯んだ。
ヴィクターは真っすぐにブリジットの目を見て言った。
「私はあなたを愛している。私にもチャンスをください。一緒に暮らしたら分かる。きっとあなたも私の愛の深さを理解してくれるはずだ」
「全然わかってないのねっ」
ブリジットはヴィクターを睨みつけた。
「でもいいわ、あなたが私を解放しないことくらい予想済みよ。私は勝手にやらせていただきます」
ブリジットはそっぽを向いた。
やっぱり駄目だったわね。
こうなったら私の居場所をお父様たちに知らせて、ここに踏み込んでもらうしかないわ。
いやあね。何か具体的な計画を練るしかないじゃない。
「はあああ~」
ブリジットは面倒に感じて大きなため息をついたのだった。
―――しかし、ブリジットが計画を練る必要はなかった。その日の夕方前には来客が一斉に訪れることになったからだった。
2.
急に主人の滞在が決まりバタバタしているのに、さらに見知らぬ来客が現れて管理人は露骨に嫌そうな顔をした。
しかし無視するわけにもいかない。
「一体何なんだろうね、今日は」
なんていいながら門へ出ると、そこにはグレッグがヘルファンド公爵の護衛兵に付き添われながら立っていた。
管理人は怪訝そうな顔をした。
「どちら様です」
「ヴィクターの兄、グレッグ・ロイスデンと申します」
グレッグは丁寧に挨拶した。
管理人の顔がパッと慌てた。
「あ、これはこれは! ご主人様のお兄様でしたか!」
―――管理人は田舎者だった。人を疑うことをせず、兄弟ならと普通に客間に通してしまった。
そして管理人はヴィクターのもとへ駆けていく。
「ご主人様。お兄様が来ていますよ。客間にお通ししておきましたから」
「えっ!?」
ヴィクターの顔色が変わった。
兄上!?
なぜここが分かった? しかも自分たちが到着してすぐとは?
ヴィクターは慌ててグレッグの通されている客間の方に駆け付けた。
青い顔で入ってきたヴィクターを、グレッグは険しい顔で出迎えた。
「ヴィクター。ダメじゃないか。これは誘拐だよ」
「兄上、なぜここにっ!」
「なぜって、ここの土地の購入にあたっては、手紙でさんざん相談してきていたろう。だから人目につかない場所に身を隠すとなったら、きっとここに来ると思っていた」
グレッグは冷静に言った。
―――兄弟間の手紙の文通とは、なかなか意思疎通に便利である。
ヴィクターは唇を噛んだ。
「兄上。やはりブリジット様に未練が……?」
グレッグはきょとんとした。
そして、「あ、ヴィクターの中ではそういう設定になっていたのだったな」と思い出すと、
「違うよ、ヴィクター。誓って言うが、私とブリジット様の間にそういった感情はほんの少しもない。私はおまえを止めに来ただけだ。公爵令嬢を誘拐したとなってはおまえも罪に問われてしまう」
と諭した。
ヴィクターは青い顔を筋張らせて反論した。
「いえ、誘拐じゃない! 駆け落ちです、兄上」
「駆け落ち? ブリジット嬢が了承しているとは思えないが」
グレッグはため息をついて首を振った。
ヴィクターはドキッとした。確かにさっきふられたばっかりだったから。
グレッグは弟のその顔を見逃さなかった。
そして少し心配した顔をした。
「もしかして、ブリジット嬢に何か言われたのかい?」
「あ、いえ……」
ヴィクターは慌てて答えた。
が、その顔は少し苦しそうだ。
グレッグはヴィクターがどんどん心配になってきた。
「全部言ってしまいなさい。話は聞いてあげるから」
恋愛相談に乗るようになり、ヴィクターはグレッグの心配の種になっていたのだ。
「兄上……」
ヴィクターは迷っていたが、まあこれまでも手紙に散々書いてきたのだから、今更隠すようなことでもなかった。
ヴィクターはぽつりぽつりと話し出した。
ヴィクターと一緒になるどころか誰とも結婚したくないと宣言されたこと。
その理由はヘルファンドの家から一歩も出たくないという全く理解に苦しむ内容だったこと。
両想いだと思っていたのに、それは間違いだと言われたこと。
愛しているからチャンスをくださいと頼んだが、話を聞く耳さえ持ってもらえないこと。
ヴィクターの話を聞いていて、グレッグは頭を抱えたくなった。
ブリジット、恐るべし。
何を考えているのか相変わらず全く分からん。
ただ、これまでの状況からも、一つだけ言えることがある。
「いや、絶対おまえ好き合ってないだろ、状況的に」
「兄上っ!」
ヴィクターは涙目になった。
「どう考えてもブリジット嬢はおまえのこと愛していないよ。なんで彼女が以前におまえのことを想っているなんて言ったのかは不明だけどね。おまえは振り回されてばっかりで可哀そうだ。私からもブリジット嬢にはっきり問いただしてあげるから、もう、あきらめるんだ、彼女のことは」
ヴィクターは薄々感じていたことをずばりと兄に言われて、やはりそうかと目が覚めた顔をした。
他の者(特にスローアン)に言われていたら反論もしたくなっただろうが、さすが兄。これまで手紙でずっと心配してきてくれた兄が言うのは言葉の響き方が違った。
ヴィクターはしおらしく頭を垂れた。
「兄上、私はこの想いをずっとどうしたらよいのかわからなくて、一人でずっと苦しかったんです」
「そうだろうね」
私でも、もしこんな状況で恋なんかしていたら、カオスに押しつぶされていたと思うよ。
弟よ、可哀そうすぎる……。
グレッグは決心した。しばらくはヴィクターの傍にいよう。失恋から立ち直るには時間が必要だが、それを一人で過ごすのは耐え難いだろう。
―――こうしてグレッグはヴィクターに恋をあきらめさせることに成功した。
さて、このようにグレッグがヴィクターの肩を叩いて慰めてやっているときだった。
「失礼します」
という管理人の声がして客間の扉が開いた。
そこに管理人と一緒に立っていたのは、ヴィクターのお友達でブリジットの婚約者、スローアン・ジェラード公爵令息だった。
―――もう一度言うが、管理人は田舎者だった。人を疑うことをせず、「ご主人様のお友達ならもてなさねば」と普通に客間に通してしまったのだった。
お読みくださいましてありがとうございます!
だらだらと長くなって申し訳ないです……もう少しで完結します。
浮気相手(仮)ふられました。
ヒーローやっと到着です。
次回、ヒーローがブリジットに……





