16.引きこもりぐうたら生活は、絶体絶命……か? いや、でも、あきらめませんよ!
1.
ヴィクター・ロイスデンの馬車に押し込まれたブリジットは恐怖で生きた心地がしなかった。
どこに連れて行かれるの?
これからどうなるの?
二度とお母さまには会えないの? あんなお母さまだけど恋しいわ。
ブリジットは不安で冷や汗が止まらなかった。
そして「何でこんなことになったんだっけ?」と自問する。
一番直接的な理由は、ヴィクター様がグレッグ様と自分の関係を誤解して精神的に追い詰められ、全ての煩わしさを振り切って強行突破したというところかしら。
そしてグレッグ様の話が浮上したのは、どうもクリスタル・ネルソン嬢のお喋りが原因だったらしい……。まさかそんなところに爆弾があるとは。あんのお喋り娘めぇ~っ!
でも、そもそもヴィクター様との接点は自分が声をかけたところから、だ。誰でもいいから浮気(仮)の噂が欲しいという理由だった。
ああ~あのときに自分に言ってやりたい。ヴィクター・ロイスデンは地雷だからやめときなさいって!
―――あくまでも、浮気(仮)の噂を作ろうと行動に出ようと思ったことは否定しない、完全自分都合主義なブリジットなのであった……(超迷惑)。
でもさあ?
そりゃ私も悪かったけどさあ?
誘拐するなんて、ヴィクター様もちょっとやり過ぎじゃない?
ああ~これで私の引きこもりぐうたら生活は、絶体絶命……か?
……いや、でも、あきらめませんよ!
だって、何のためにここまで頑張ってきたのよ!?
ブリジットはふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。
あの壮大な趣味の類(笑)をまた初めっから集めなおし??? とんでもないっ!
寝れるならどこでも一緒とかいう便利な体の持ち主さんもいるみたいだけれど、私は枕が変わるとどうも睡眠の質が変わるのよね!
しかもヴィクター様が夫になる……? 全然ピンとこないっ! 夫婦生活(?)ってやつが叶うとマジで思ってんのかしら。
とにかくヴィクター様には何がどうなっても諦めていただかねば。
ブリジットは頭をフル回転させていた。
脳内議題はもちろんどうやって逃げるか。
まあ、お父様か、スローアン様か、王太子様か、グレッグ様かに居場所を知らせれば、あとは彼らが何とかしてくれるはず(他力本願)。
クリスタル・ネルソンのあんぽんたんには内緒にしなくちゃ。
彼女は私に「独身令嬢の敵」って言ってきたもの。私を厄介払いできて喜んでるはずだから、私を救い出す計画なんて知ったらぜ~ったい邪魔してくるに違いない。
あ、いや、話が逸れた。クリスタルのことはどうでもいいわ。
とにかく、お父様やスローアン様、王太子様、グレッグ様にどうやって居場所を教えるか、よ。
暗号文でも発明してみる?
伝書バトを調教する?
忍者を雇う?
ブリジットは何だかワクワクしてきた。
そうだわ。直接伝えようとしなくても、私が連れていかれた場所が話題になっちゃえば、不審に思った誰かが調べて見つけ出してくれないかしら。
連続放火(未遂)事件とか起こしてみる?
通貨の偽造(未遂)とかやってみる?
内乱(未遂)とか起こさせてみる?
い~や、ダメダメダメ! 犯罪は絶対に、絶対に絶対に、ダメっ!
良い子が真似したらど~すんのよっ!
もっと楽しい感じで話題にならないと!
毎日花火でも打ち上げてみる?
ご当地グルメで一山当てて全国区で噂になってみる?
アイドルのライブでも開催しちゃう?
あ、うん、こっちの方が断然いいわね!
みんなが笑顔。観光客も増えて税収アップ。羽振りの良い町に、貴族たちも「なんだその土地は!?」って関心を寄せること間違いなし。なんなら視察まで来ちゃって、そして視察団が不自由で可哀そうな私を見つけるって寸法よ。
私は誘拐犯罪の被害者。
みんな可哀そうがって、きっと腫れ物に触るような扱いをしてくれるわ。
スローアン様だって、私が「心的外傷がひどくて普通の日常は送れません」とか言えば、さすがに婚約を破棄してくれるに違いない。
そうしたら私は堂々と元の自室に引きこもって、一生のほほんと安泰に暮らすのよっ!
―――ブリジットの妄想は、もはや天まで届くくらいの勢いでふくらんでいった。
まさか、父や母、スローアン、王太子、レベッカにグレッグまで、みんなが寄ってたかって夜も眠れず心配しているとは露ほどにも思わず、ブリジットは何だかすごく壮大な“町おこし計画”を練り始めたのだった……。
2.
さて、ヴィクターの方は何と自ら御者台の上り、御者の男にあーでもないこーでもないと道を指示していた。
行先はもう決めていた。
王都からはだいぶ離れた土地にある、母ロイスデン侯爵夫人が子どもの時から使っていた避暑地の屋敷だ。ロイスデン侯爵夫人の生家の資金繰りが悪くなり売り出されようとしていたところを先日ヴィクターがこっそりと、周囲の山岳地を含めて土地ごと丸々買った。
本当は母の老後の楽しみに取っておいてやろうと思っていたものだ。
もちろん後悔してはいないが、成り行きでこんなことになってしまったとき、ヴィクターはすぐさまその土地のことを思い出した。
田舎暮らしになるが土地はある。ブリジットと二人、人を使って細々と生きていくくらいは何とかなるだろう。
いや、何とかする。
行動を起こしてから少し時間がたってきたので、自分のしでかしたことの重大さに目が覚めてきたところであるが、ヴィクターはそれでも愛を貫く気持ちは変わらず、こうして馬車を操りながらも必死で頭をフル回転させて今後のことを考えていた。
ヴィクターはこれを『誘拐という犯罪』とは考えておらず、『駆け落ち』と捉えていた。
なぜならブリジットと自分は公衆の面前で想いを伝えあった仲だからだ。
両想い、つまり双方の同意の元、とヴィクターは信じて疑わなかった。
しかし、さすがにブリジットの実家のヘルファンド公爵家やブリジットの正規の婚約者スローアン・ジェラードが大人しく黙っているとは思わなかったので、ヴィクターは人目についてしまうことを極力気にした。
だから人目のある道は避けるよう徹底した。
こんな地方都市では貴族の馬車が走れば否が応にも目に付く。
ヴィクターは少し遠回りをしても普段人の往来のないような道を選び、慎重に馬車を進めた。
一方で、先を読んだグレッグが最短の距離を全速力で行っているとは、ヴィクターはからっきしも想像していなかった。
3.
さて、ヴィクターがブリジットを誘拐したという噂が王宮中に流れ、ブラッドフォード公爵はほくそ笑んでいた。
やっとの思いで婚約させることができた娘を放っておいて、王太子がブリジットにご執心だというので、ここのところブラッドフォード公爵はずっと不機嫌だったのだ。
ロイスデン侯爵を呼びつけては、「おまえの息子のヴィクターは何をしているっ! さっさと王太子とヘルファンドの娘を離れさせろっ!」と怒鳴り散らしていた。
しかし、こうして願い通りになり一気に気分が良くなったブラッドフォード公爵は、ヴィクターの功を労うためにロイスデン侯爵を呼びつけ、打って変わった猫なで声で一枚の証書を手渡した。
「いやあ、よくやってくれたねえ」
ロイスデン侯爵は、ブラッドフォード公爵のこの顔は見たことがあった。
庶子グレッグが当時の王太子妃候補キャスリーン・ウィルボーン嬢を誘惑し妊娠させたときに。
そうして、今回も全く同じことになった。嫡子ヴィクターが王太子の想い人(仮)ブリジット・ヘルファンド嬢を誘拐……。
いや、これは『誘拐』ではない、『駆け落ち』だ! 犯罪では、犯罪では決してないぞ……!
ロイスデン侯爵は必死で自身を慰めた。
ブラッドフォード公爵はほくほくしている。
「これでレベッカの王太子妃の立場も安泰というものだ。おまえの功に報いたくてねえ。土地と財宝を用意した。受け取るように」
「う……」
ロイスデン侯爵は分かっていたことだったが、思わず口惜しくて唇を噛んだ。
本当はグレッグとキャスリーン嬢のスキャンダルのときに、ヴィクターとブラッドフォード公爵の次女ソフィア嬢との婚約の話が約束されていたはずだった。
しかしそのヴィクターは今やブリジットと駆け落ちしている。
ロイスデン侯爵には他に男児はいなかったから、ソフィア嬢を迎え入れる当てが完全に外れてしまった。
ロイスデン侯爵が無言で下を向いて証書を受け取ろうとしないので、ブラッドフォード公爵は少し不満そうな顔をした。
「どうしたのだね? 受け取りたまえよ」
「はあ……」
ロイスデン侯爵はまだ迷った顔をしている。
ブラッドフォード公爵はせっかくのお祝いの気分が削がれた気になった。
少し不機嫌になってくる。
「不満なのかね?」
ロイスデン侯爵は心を見透かされたようで「うっ」と呻いたが、意を決してブラッドフォード公爵を見た。
「公爵……」
ロイスデン侯爵の目が据わっているので、ブラッドフォード公爵は腹立たしそうな顔をした。
「なんだね、その反抗的な目は」
「公爵……。うちの娘のクレアを公爵の次男のラッセル様と婚約させてください!」
ロイスデン侯爵は勇気を出してはっきりと言った。
ロイスデン侯爵がブラッドフォード公爵に加担したのは金のためではない。
王宮内での地位を上げるためだ。
ブラッドフォード家と姻戚関係を結んでくれるという話だったから、グレッグの件も了承したし。ヴィクターの好きにもさせた。(でなければヴィクターは家に閉じ込めてでも止めていた! 嫡子なのだから!)
しかしこうしてブラッドフォード公爵は金で解決して済ませる気だ。
そんなのはロイスデン侯爵の期待したところではない!
ブラッドフォード公爵の方は嫌そうな顔をした。
正直、ロイスデン侯爵は使い捨てる気だったからだ。
まあ、嫡子ヴィクターにならソフィアはやってもよいかと思っていたが、そのヴィクターがスキャンダルを起こした以上、これ以上ロイスデン家と繋がっていてもあまり得はない。
ブラッドフォード公爵はさんざんロイスデン侯爵家を利用しておきながらもう見切っていたのである。
「うう~ん……えーっと、それはだな……」
ブラッドフォード公爵は言葉を濁した。
どうやって断ろう。
その表情を少しも見逃すまいとロイスデン侯爵は鋭い目でブラッドフォード公爵を観察している。
ブラッドフォード公爵は冷や汗が出た。
「う~ん、な、なに、ラッセルには婚約の話がすでに出ていて……水面下で交渉中でねえ……」
ブラッドフォード公爵はなんとか口から出まかせを言った。
眉毛がぴくついている。
ロイスデン侯爵は全てを理解した。
そして絶望した。
『交渉中でねえ』と言うが、交渉中はただの交渉中であって、いくらでも撤回しようがあるではないか! もし本当に私の功績を認めてくれているのであれば、な!
娘のクレアはロイスデン侯爵の最後の頼みの綱だった。
ブラッドフォード公爵に恩を売った見返りでブラッドフォード公爵の派閥内で存在感を強め、さらにはブラッドフォード公爵家と姻戚関係によりその立場を公のものにするという計画だった。こうして発言力を確固たるものにしてから、仕事では税務上の改革で実績をつくり(この改革案では政敵ヘルファンド公爵と意見が分かれているがブラッドフォード公爵の後ろ盾があれば推進できるだろう)、実績を作った上でヴィクターをしかるべきタイミングで呼び戻そうと思っていた。
しかし、ブラッドフォード公爵は目を泳がせながら姻戚関係を拒否する。姻戚関係になることはずいぶん前から何度も頼んできたことなのに。
これは……自分を切り捨てる気だ。
ロイスデン侯爵は完全に目が覚めた。
ロイスデン侯爵はすうっと肩の力が抜けるのを感じた。
「ブラッドフォード公爵、私はもう用済みということですね?」
ロイスデン侯爵は冷ややかな声で聞いた。
「あっ」
ブラッドフォード公爵はその通りだったのでドキッとした。
「い、いや、そんなことは、なあ、あるわけないじゃないか」
ブラッドフォード公爵は作り笑いを浮かべた。
「公爵様は、ご自分の立場が良く分かっていらっしゃらないようだ……」
ロイスデン侯爵はぼそっと呟いた。
「ん? な、なにか言ったか?」
ブラッドフォード公爵は努めて愛想よくしようと上擦った声を出す。
「いいえ、何も」
ブラッドフォード公爵と決別することを固く決めたロイスデン侯爵は、もう脳内では次打つ手を必死でシミュレーションし始めていた。
お読みくださいましてありがとうございます!!
ここまでお付き合いくださるとは、本当に感無量です。
ブリジットに“町おこし”なんて、作者が絶対にさせませんから、安心(?)してください!
次回、浮気相手(仮)がヒロインに縋りつく回となっております。
浮気相手(仮)可哀そう……。(←最近こればっかり言ってる気がします)





