11.私、世間じゃ悪役令嬢らしいわ!
王太子がしばしば来訪するようになってからしばらくした日のことだった。
急に侍女のウィニーが
「クリスタル・ネルソン男爵令嬢がみえてます」
とブリジットに告げた。
「クリスタル・ネルソンって誰だっけ?」
ブリジットはポカンとした。
「こらっ! お嬢様っ! お嬢様がスローアン様を誘惑させるとかいって依頼したピンクブロンド様じゃないですかっ!」
ウィニーはブリジットの薄情さにカンカンになって怒った。
「あ、ああ。悪かったわ。そんな人もいたっけね」
ブリジットは冷や汗をかいて謝った。
そこへクリスタルが入って来る。
「ごきげんよう、ブリジット様」
クリスタルは言葉こそ丁寧だったが、その言い方はひどく棘のあるものだった。
ブリジットは「忘れてたこと、バレたかしら」とドキッとした。
しかし、クリスタルは別の理由で怒っていたようだった。
「ブリジット様。3人も独身系色男をご自分のものになさるなんてどういうつもり?」
「は?」
ブリジットは急に思いもよらない容疑をかけられて聞き返した。
「ちょっと待って。どういうこと?」
「どういうことじゃあございません。いいかげん、スローアン様かヴィクター様か王太子様か、決めていただかないと」
クリスタルはプンプン怒っている。
「えっ! 王太子様~っ!? どっから出てきた、王太子っ!」
ブリジットは宙を仰いだ。
「王宮じゃあ、王太子様がブリジット様にご執心だって、すっかり噂になっているわ」
「ちっが~うっ!」
「あら、だって、王太子様、こちらのお屋敷にちょくちょくいらっしゃるんでしょう?」
「それは確かにごくたまに来ているけれども」
「ふつう来ないわよ、臣下の屋敷になんか」
「ああ、それは私も思うわ!」
ブリジットはそこは同意した。
「しかも最近じゃあ、何かと細かい手紙が送られてきて、こっちも迷惑してるのよねっ!」
ブリジットは、キャスリーンの相手、グレッグ・ロイスデンについての件で、王太子から手紙で事細かな指示を受け、少々うんざりしていたところだったのだ。
「手紙!? 手紙までもらってるんですの!?」
クリスタルの形相が鬼のように変貌する。
「え? もらってるけど、何か?」
ブリジットはきょとんとする。
「ブリジット様の恥知らずっ! 婚約者がいて、別に好きな人がいるのに、まだ王太子様からの愛のお手紙までウホウホと受け取っていらっしゃるの?」
「え、ちょっと、ちょっと待って!」
ブリジットはクリスタルが何か誤解していることにようやく気付いた。
「それって、もしかして、王太子様から求愛されているとかそんな風に思ってる?」
「違うって仰るの!? 王宮ではすっかり噂の的よ。高位の独身男性3人から求愛されて、あなた、すっかり悪女よっ!」
クリスタルの言葉にブリジットはぎょっとした。
なんか、私、大変なことになってる?
「あ、先日、レベッカ・ブラッドフォード様からも、お手紙いただいていたっけ。何やら話をしたいことがあるって……」
ブリジットは呟いた。
レベッカ・ブラッドフォード公爵令嬢といえば王太子の婚約者。
あれは、果たし状とかそういう意味合いだったのかしら!
「んまあ~っ! レベッカ様からも直に手紙をいただいているのねっ!」
クリスタルはそれみなさいといった顔をする。
レベッカがブリジットに話したい内容は、父ブラッドフォード公爵がロイスデン侯爵としでかした陰謀工作やブリジットへの監視についてのことだったが、今この話の流れでは「王太子様を寝取らないで」とかそんな内容と誤解されても仕方がない。
クリスタルはぷんすか腰に手を当てた。
「先日だって、公衆の面前で王太子様がブリジット様を口説きなさって、レベッカ様がお怒りになったでしょう!?」
「そりゃレベッカ様はあんなこと(婚約破棄するって)仰ったけど、あの場は治まったでしょう?」
ブリジットは冷や汗をかきながら訂正した。
「でも王太子様と続いているじゃないですか!」
「続いているって、私と王太子様の間には何もありませんっ!」
「よく言うわ! スローアン様が謹慎なさっている間に」
「もう~っ! スローアン様の謹慎はいつ明けるの~!?」
あんまりクリスタルが詰るので、ブリジットはきいいい~っとなって叫んだ。
「そのうちスローアン様がきちんと否定してくださるわ。なんだかよく分からないけど、あの人、私周りの火種を消すことにかけちゃあ一流なのよ」
「……」
ブリジットの言葉に、クリスタルは急に押し黙った。
「……何よ?」
ブリジットが居心地悪そうに聞く。
クリスタルは息をふうっと吐いた。
「なんだかんだブリジット様が頼りになさっているのは、スローアン様ってことでよろしいの?」
「えっ!」
急に言われたのでブリジットは動きを止めた。
「スローアン様を選ぶってことでよろしいのね!?」
クリスタルは念を押してくる。
「い、いや、そんなことは、別に……」
ブリジットはもごもごした。
「でも、もうだめよ。誰か一人選んでくれなくちゃ。スローアン様や王太子様が気に入ってるってどんな女性かと、世の独身男性たちが興味を持ち始めているのよ」
クリスタルは理解に苦しむと言った顔をしながら言った。
「あんな酔っ払った醜態を見せといて何が魅力的な女性かって、私は思ってますけどね!」
自分が興味を持たれ始めているとクリスタルが言いだしたので、ブリジットは恐怖に慄いたが、『醜態』のくだりで少しほっとした。
「それよっ、クリスタルさん! 私がどんなにダメな女か、あなたが王宮中の男性に知らしめるのよっ!」
「前々から思ってましたけど、ブリジット様って変ですよね」
クリスタルは呆れて言った。
「いや、本当に全く分からないの。なんでブリジット様がスローアン様やヴィクター様やヘンドリック王太子様に愛されているのか」
「だ~か~らっ! 王太子様は違うって! いや、スローアン様も違う!」
ブリジットは叫んだ。
「じゃあ、ヴィクター様を選ぶの?」
クリスタルは聞く。
「それも違うっ!」
ブリジットはぶんぶんと大きく首を横に振った。
「とにかく、レベッカ様のお父様もカンカンよ。あなたのお父様だって白い目で見られてかわいそうじゃない」
クリスタルは諭すように言った。
「前も言ったじゃない。私は結婚とか嫌なの」
「だから、それは何でよ、ブリジット様?」
「あなたには正直なことを打ち明けるわ。それはね、のんびりぐうたら引きこもり生活を送るためなのよ!」
ブリジットが意を決して告白したのに、クリスタルはポカンとした。
「ブリジット様、私をバカにしてるの?」
「バカになんてしていませんっ!」
「だって、そんな理由? 意味不明だわ」
部屋の隅の方で控えていた侍女のウィニーもクリスタルの言葉に大きく頷いた。
「なんで一刀両断なさるのよ……」
ブリジットは涙目になる。
「私にとっちゃ一世一代の大事なのに」
それからブリジットはため息をついて、厭味っぽく聞いた。
「あなたこそ何をしに来たのよ。まさか本当に誰か一人を選べと思ってきたわけ? スローアン様はまあこちらがお願いした縁もあるけど、ヴィクター様や王太子様はあなたとは関係ないじゃない」
「関係大ありよ! 私だって隙あらば……と思うことだっていっぱいあるわ」
「あなた、それ、大それた野望ね」
「まあいいでしょ。思う分には。でも、このままじゃブリジット様がイケメンを独り占めしてしまうんですもの。文句くらい言わせてよ。イケメンウォッチャーのささやかな喜びを……」
「え、あなたイケメンウォッチャーって言った!?」
「言ったわよ。それが何よ」
「じゃあさ、ロイスデン侯爵のご子息のこと何かご存じ?」
「バカにしてるの? あなたのヴィクター様でしょ?」
「あ、いや、その人のことはいいの。他にはいない?」
クリスタルは「は?」と呆れた顔をして、
「ヴィクター様以外に公表なさっている息子さんはいないでしょ」
と答えた。
「息子さんじゃなくてもいいのよ。縁の者でもなんでも」
ブリジットは必死でクリスタルの記憶に縋った。
クリスタルはもう一度う~んと考えて、
「縁の人かな?と思った人はいる」
と答えた。
ブリジットは目を輝かせた。
「だれっ? どんな人?」
しかし、途端にクリスタルが胡散臭そうな顔をしたので、ブリジットは軽く咳ばらいをして見せて、
「いや、ヴィクター様にご兄弟がいないかちょっと気になったもので……」
ともごもご言い訳をした。
「その人が本当にロイスデン侯爵の縁の者か、どんな血筋かははっきりとは知らないわ。私の想像よ。だからあんまり口にしたくないのだけれど……」
クリスタルは遠慮がちに言った。
「それでもいいわ。あなたの感じていたことを教えてちょうだい!」
ブリジットはがしっとクリスタルの手を取った。
クリスタルは気味悪そうにブリジットを見た。
「最近はめっきり姿を見なくなってしまったけど、グレッグ・スラッテリーと名乗っていらっしゃった方よ。侯爵家の縁だと仰っていたし、お若いヴィクター様にそっくりだったから、ロイスデン侯爵の縁の者なんじゃないかと睨んでいたの。でも私の想像よ」
ブリジットは飛び上がりたい気持ちになった。
王太子は『グレッグ・ロイスデン』だと言った。詳細を書いてきた手紙には『ロイスデン侯爵の母方の実家がスラッテリー家』という記述があった。
グレッグはスラッテリー家に預けられた侯爵の息子なのではないか、と。
「その人と面識があったりするの?」
ブリジットは興奮する気持ちを押さえながら聞いた。
「まあ、会えば挨拶はさせてもらっていたわ。侯爵家縁といいながら腰の低い方で……私なんかと気さくにお話してくださるから、侯爵家の正当な血筋の方ではないとは思っていたのだけど」
「なんだかその方のこと、だいぶ気にかけていたかのように喋るのね」
ブリジットはぽつりと言った。
クリスタルは慌ててかぶりを振った。
「ううんっ、違うわよ! そういうんじゃないの。グレッグ様は好きな人がいるって言っていたから!」
ブリジットは大事なことのような気がして聞き返した。
「好きな人がいるって?」
「そうよ。でも身分が離れているから想いは叶わないと言っていたかな」
ブリジットはキャスリーンのことかと思った。
でも意外だった。「好き」という言葉を聞いたから。キャスリーンの相手の男は、キャスリーンをただ騙しただけかと思っていたので。
……でももちろんキャスリーンのことじゃないかもしれない。
ブリジットはそっと探りを入れた。
「あら、侯爵家の縁ならたいていの縁は望めそうですのにね? ほら、たとえば公爵家相手だとしても」
クリスタルは昔のことを思い出すように首を傾げた。
「ええ。だから、たぶんグレッグ様が正当な血筋じゃないことと、相手の身分が相当高かったことを意味しているんじゃないかしら。相手の方に高位の縁談の話がある事も言っていたわね」
キャスリーンのことだっ!
ブリジットはぎゅっと胸が締め付けられた。グレッグ殿もキャスリーンのことが好きだったんだ……。
「……グレッグ様はつらい気持ちを抱えていらっしゃったの?」
「たぶんね。本当に悩んでそうに見えたわ」
とクリスタルは答えた。それから、少ししんみりしすぎたと思ったのか、わざと明るく笑って、
「じゃなきゃ私が猛アタックしてたわよ」
とウインクして見せた。
ブリジットは救われたようにふっと笑った。
聞いた? キャスリーン。
あなたの愛した人は、あなたのこと本当に好きだったみたいよ。
―――まあ、聡明なあなたはとっくに気付いていたかもしれないけどね。
ブリジットは、グレッグに接触するにあたって、少し気持ちが軽くなった。
ただの悪者だったわけではないかもしれないから。
「ところで、クリスタル嬢。今度そのグレッグ様に会いたいなと思っているんだけど、あなたも一緒に来ない? 顔見知りなんでしょ?」
ブリジットは急に思いつきで提案した。
クリスタル嬢は目を丸くした。
それから、「何を企んでいるの」と不気味なものを見る目でブリジットを見てから、
「もうこれ以上目の前でイケメンがあなたに誑し込まれるのは見たくないから」
とぶっきらぼうに断った。
「だれが誑し込むかーっ!」
ブリジットはきいい~っと怒ったが、クリスタルは大真面目な顔をして「このド天然悪女め。だったら一人に絞ってから言いなさいよ」と突っぱねた。
「とにかく、ブリジット様、あなたが今王宮でどんな風に噂になってるかはお伝えしましたからね! あなたは独身女性たちの敵っ! そろそろちゃんと身を固めてくださいましねっ!」
ここまでお読みくださりありがとうございます!
こんなに長くお付き合いしてくださり、本当に嬉しいです。
次回から、キャスリーンの相手の男が出てきて、物語がクライマックスに入っていきます。





