第84話 アメリカ
「アメリカは豊かです」
「どういう事だ?」
先ほどの内容とは真逆の言葉に武将達は戸惑った。
「阿蘇には草原が広がっておりますよね?」
「う、うむ」
阿蘇の草千里。
九州に住む彼らにとっては馴染み深い。
「アメリカの大地は、阿蘇が屋敷の庭に思えるくらいに広大です」
「何?」
馬鹿にされているのかと思い、気色ばむ。
そんな彼らに勝二は言った。
「アメリカは南北に分かれているのですが、北アメリカで日ノ本全体の66倍、南アメリカで48倍の大きさになります」
「何だとぉ!?」
その数字に衝撃が走る。
想像も出来ない大きさだ。
「北アメリカには九州が二つ入るくらいの湖がありますよ」
「じょ、冗談が過ぎるぞ!」
九州は約3万7千平方キロメートル、一方のスペリオル湖は8万2千平方キロメートルとなる。
ミシガン湖、ヒューロン湖を併せればそれよりも大きい。
「南アメリカを流れるアマゾン川の河口は、対岸が見えないくらいです」
「なん、だと?」
嘘も大概にしておけ、そう言いたくなるような話だ。
「冗談、ではないのか……」
しかし、勝二の顔は嘘を言っているようには見えなかった。
「その地に住まう動物達も桁外れです。平原には総数で数千万頭のバイソンが群れを作り、空には数十億羽のリョコウバトが舞う、それがアメリカです」
「数千万頭? 数十億羽?」
ピンとこない数だ。
「ばいそんとは何だ?」
「野生の牛です」
「数千万頭、数十億羽とは一体どうやって数えた?」
「あくまで推計です」
リョコウバトの肉は美味しく、乱獲によって20世紀に絶滅した鳩であるが、西洋人が入植するまでの間、北アメリカだけで50億羽くらい生息していたのではと考えられている。
バイソンも乱獲によってその個体数を急激に減らし、一時は絶滅の危機にあった。
いずれもヨーロッパ移民によって引き起こされた人災である。
「さて、アメリカは豊かでしょうか?」
勝二が問う。
「恐ろしい程の豊かさだな」
軍馬の確保に汲々としている自分達が馬鹿らしくなるような数字であろう。
「馬はいるのか?」
戦に馬は欠かせない。
それが気になった。
「残念ながら馬はおりません。アメリカには馬がいなかったのも、インディアンが西洋人に破れた要因の一つでしょう。情報を素早く伝達する事が出来ませんので」
「そ、そうか……」
武将達は落胆した。
「因みにですが、西洋の乗用馬は日ノ本の馬よりも体格が大きいですよ」
「何だと?」
勝二の言葉にざわつく。
「最も大きくなるペルシュロンという種になりますと、肩の高さで人の背丈を越えます」
「何?!」
松風、黒王号という名前を飲み込む。
日本の在来馬はポニーで、肩の高さが147センチメートル以下の種である。
ポニーの中もバラエティーに富み、人を乗せられない小さな種から人を乗せて走る種まで様々だ。
「ペルシュロンの足はそこまで早くありませんが、力が強いので大砲を引かせる役に打ってつけかと思います」
「成る程!」
納得の話である。
イングランド船から大砲を降ろしてみたのだが、重すぎて運ぶのが容易ではなかった。
馬に引かせても悲鳴を上げる始末。
それを迅速に展開させた道雪の統率力は見事に尽きる。
「馬に車を牽かせれば、人の移動や物の輸送も楽になります。その為には街道を整備し、広く平らな道路を通す必要があります」
「それは確かにそうだが……」
諸侯はそれぞれの顔を伺った。
人の行き来が容易くなれば、攻めるのにも苦労は少ない。
大友家がなくなった今、次の敵は目の前の相手だ。
そんな彼らに喝を入れる。
「狭い日ノ本の中で争ってどうしますか! 外の世界に目を向けて下さい!」
「外の世界?」
意味が分からず武将らは首を傾げた。
「海の越えた先には、どこまでも広がる巨大な大地が横たわっております!」
「おぉ!」
そういう事かと理解した。
しかし、である。
「それはいいが船がないだろう?」
「そうだ! どうやって行くのだ!」
それが問題だった。
そもそも見えない先に向かうという感覚が分からない。
基本、島影を頼りに船を漕ぐからである。
どこへ向かえば良いのか心細くはないのだろうか。
「スペインより船の作り方、扱い方を学ぶ事になっておる」
信長が補足した。
武将らは唸る。
流石だと感心した。
「兄上、我らも南蛮船を作るべきでは?」
「うむ」
義久、義弘が小声で話す。
島津家は琉球や大陸と交易し、その為の船も持っていたが、ゴールデン・ハインド号の性能には目を見張っていた。
「南蛮船、彼らが言うところのガレオン船ですが、スペインの船は性能が宜しくありません。船の作り方は似ているでしょうが、形としてはイングランドの船を参考にすべきかと思います」
「む?」
勝二の言葉に驚いたのが信長だった。
そのような話は聞いていない。
しかし勝二も前から気づいていた訳ではない。
アルマダの海戦の事を考えている時に思い出したのだ。
スペイン船は見かけの豪華さを優先し、重心が高くなって不安定となり、船足も遅いと。
しかもスペインの基本的な戦い方だが、船をぶつけて相手の船に乗り込み、制圧するというモノだ。
一方のイングランドは船速を優先し、遠くから大砲を当てる、いわば現代戦のはしりである。
弾薬の消費量は莫大だが、造船、操船、砲撃の技術を高める事で、数の不利さえ覆しうる。
「つい最近思いついたのでご報告出来ませんでした。申し訳ありません」
「そうか」
信長もそれ以上は言わなかった。
無言が怖いがそれどころではない。
「船は目的によって適した形がございます。また、あるモノを求めれば何かを犠牲にしなければなりません。例えば、物を大量に運びたいなら船足は遅くなりますし、外海の荒波を越えて行く船なら、構造などを頑丈にしなければなりません。当然、建造には時間とお金が余計に掛かります」
「しかり」
それも納得出来た。
性能の良い物は値が張る。
「また、ガレオン船は海底が浅い港には入れません。建造する場所も十分に考慮する必要があります」
「ふむ」
理解出来る話である。
「帆船の性能には帆も重要です。軽くて丈夫な素材の選定、織り方の研究が必要となるでしょう」
「帆だと?」
言われて意外な物であった。
しかし考えてみれば稲わらを編んだ筵など、水に濡れたら大変に重くなる。
木綿、麻布など、軽くて丈夫、乾きやすい物が良いだろう。
「しかし、そのように苦労して大陸に渡っても、それだけ豊かな国であれば、その、インディアンだったか、その者らが大勢住んでいるのだろう?」
隆信が疑問を述べた。
まさしくその通りである。
そしてそれは勝二が迷いに迷った事だ。
史実では入植した白人達に迫害され、天然痘などもあって壊滅的な被害を受けたネイティブ・アメリカンであるが、それと同じ事を日本人が行うかもしれないという恐怖である。
戦国大名をアメリカに送り出せばどうなるか、正直分かりかねた。
血塗られた歴史を自ら選んでしまうかもしれない、そんな恐怖に長い時間考えあぐねた。
そして、そんな迷いを断ち切ったのも、他ならぬ戦国大名信長であった。
迷信深く、昔ながらの伝統的な生活を、頑なに守ろうとする者らが領地にいた場合、どうやって統治するのかと問うた事がある。
頭にあったのはアイヌだが、アメリカのインディアンでも同じだろう。
信長はあっさりと答えた。
「捨ておけ」
それでは年貢も免除ですかと尋ねると、馬鹿者がと怒られた。
「守るべき決まりを守り、納めるべき物を納めれば後は好きにさせよ」
その答えにアメリカ進出策を決意した。
勝二が隆信の問いに答える。
「インディアンと一口に申しましても、その実態は我が国と同じです」
「どういう事だ?」
「各部族がそれぞれの領地を持ち、熾烈な勢力争いを繰り広げております」
「ほう? 全く同じだな」
隆信の言葉を義久が否定する。
「いや、それは違うだろう。豊かだからこそだ」
「成る程」
持たざる者は持てる者に嫉妬する。
純朴なイメージの北米インディアンだが、その歴史は案外に血生臭い。
勝二がその考えを述べる。
「アメリカに鉄砲と馬を持ち込み、武力で制圧するしかありません。その途中で彼らと同盟を組む事になるでしょうが、彼らは信義を重んじます。誇り高く勇敢な者達ですので、敵としても味方としても信頼出来る相手となるでしょう」
「信頼出来る敵とは、これまた奇妙な事を言う」
小早川隆景が言った。
即答する。
「戸次道雪殿とお考え下さい」
「これは一本取られたな」
隆景は苦笑した。
武士の手本のような忠義を見せた道雪は、成る程、尊敬に値する相手であった。
もしもインディアンが道雪のような者達であれば、相手をするのはご免こうむるが、味方としては大変に心強い。
勝二としてもそればかりは祈るのみだ。
西洋諸国がアメリカに来る前に、彼らに対抗出来るだけの力を備えた国を打ち立てておきたい。
それが、結果としてインディアンを守る方法となろう。
「武力でアメリカを切り取れば良いのです。向こうでも鉄砲を生産し、刀を打ち、田畑を作り、国を作る。日ノ本以上の大きさの国を作る事も可能ですから」
「何と……」
大きく出たモノだ。
九州の中で、その領地を広げようと画策していた自分達が小さく思える。
「それにアメリカで産する銀を押さえれば、南蛮諸国の経済をも牛耳れるそうだぞ」
信長が追加した。
「それは真か?!」
驚き、勝二を見つめる。
ここまでくれば隠す事もあるまい。
「メキシコのサカテカス、ボリビアのポトシ、石見の銀で、世界で必要としている銀貨の多くを賄っております」
「石見もなのか?!」
初めて聞く話である。
勝二はそこのところを詳しく語った。




