第81話 忠臣道雪
「豊後をどうするかであるが……」
集まった諸侯の前で信長が言葉を濁す。
宗麟(50)は樺太への島流しと決まったが、大友家の処遇がいまだ定まっていなかった。
宗麟との仲が良くないという現当主、義統(22)とは面会したのだが、終始優柔不断ではっきりとした意志を示さず、とてもではないが豊後を任せられそうもない。
九州は南半分を島津、西の半分を龍造寺、北九州の一部を毛利が治める事で概ね合意を得た。
すなわち薩摩大隅日向、肥後の南半分を島津が、壱岐対馬、肥前筑前筑後、肥後の北半分を龍造寺が、筑前と豊前の一部を毛利が領有する。
残りの豊後をどうするか、それで諸侯は揉めていた。
それぞれが自分の領地であると主張し、一歩も引かない。
このままでは早晩次の争いの元となるだろう。
信長としては豊後を三者の誰かに与えるのも、分割する案にも反対である。
誰かに与えれば他が妬み、分割すればあと腐れがなさすぎる。
出来れば有能な大友家の後継者に引き継がせ、三者の間に緊張感を出してもらいたいのだ。
毛利、龍造寺、島津にとり、大友家は長年の宿敵である。
大友家がある事で時に手を結び、時に争い、鎬を削ってきた。
ここで取り潰してしまえば、今までの均衡が崩れてしまいかねない。
九州を一国が支配すると力が大きくなり過ぎるので、大友家を残して安定を図りたいのだ。
しかし、である。
それを任せられそうな傑物が一門にいない。
「戦神とやらを呼べ」
信長が命じた。
戸次道雪の名は尾張にも届いている。
かの武田信玄が、一度戦場で手合わせしたいものだと口にした、歴戦の古強者だ。
宗麟の目に余る振る舞いにも諫言し、忠義を尽くす偉丈夫だと聞く。
領内からの評判も高く、豊後を任せるには打ってつけに思われた。
「戸次道雪殿、参られました」
数人が抱える輿に乗り、道雪は広間へと現れた。
神輿のような肩の高さではなく、腰の位置くらいである。
輿に乗ったまま道雪が言った。
「手前、足が不自由にて不作法はご容赦下され」
「構わん」
信長は鷹揚に応える。
嘘か本当か雷に打たれて下半身が動かなくなったそうだ。
信長の言葉に部屋の中まで輿で進み、降ろしてもらう。
「戸次道雪にござる」
背筋を伸ばして頭を下げた。
成る程、確かに眼光鋭く、纏う佇まいは並の者ではない。
「その方、雷を切ったというの真か?」
興味本位で尋ねた。
嵐で光る稲妻は一瞬で、とても目で追い切れるモノではない。
法螺を吹いているのか大袈裟か、そのどちらかではないかと。
「夢現でしたので確かな事は言えませぬが、切ったと自負しております」
「左様か」
そこには何の虚勢も誇張も含まれていないように思われた。
ありのままを述べている、そう感じられる。
そんな流れで信長が問うた。
「その方が仕える男を島送りに処したが、これからどうするつもりだ? 何ならうちで取り立ててやるが、どうだ?」
信長直々の指名とは名誉な事だろう。
その実績から見ても十分である。
しかし道雪は首を横に振る。
「手前、大殿に付いて樺太とやらに行くつもりにござる」
「何?」
思ってもみない答えであった。
言葉を重ねる。
「道に降った雪は消えるまでその場に止まると申す。一度主君と定めたからには、死ぬまでお仕えするのが武士の本分と心得る」
そこには何の衒いもなかった。
ただの事実を口にしている、そんな印象である。
仕える先そのものがなくなりうる当時、死ぬまで仕えると言い切るのもどうかと思うが、上に立つ者としては感心する。
「天晴な忠臣なり!」
信長は道雪の忠義を褒めた。
「その方、息子はおるのか?」
「娘に跡を継がせております」
男児に恵まれなかった道雪は、娘の誾千代(11)を後継者に充てていた。
「婿は取らぬのか?」
「友人の息子をと願っておりますが……」
同僚の高橋紹運に、息子を是非にとお願いしている。
「ええい、その者らも呼べ!」
「何故!?」
訳が分からず道雪は戸惑った。
「高橋紹運と申す」
「ほう?」
その面構え、道雪に似て堂々たるモノだった。
「こちらが愚息の宗茂(13)です」
「成る程、納得だな」
道雪が婿に欲しがる理由が分かる。
その体躯大柄にして礼儀作法にも通じ、受け答えから頭も切れるようだ。
「娘の誾千代にござる」
「ほほう? これは……」
一方の道雪の娘。
顔立ちは整っており、目を惹く美人である。
気が強過ぎるきらいがあるが、後継者として育てられたのであれば致し方あるまい。
「その方、体が大きいな。力はあるのか?」
信長が宗茂に尋ねた。
「相撲が得意です」
「相撲だと?」
その答えに相好を崩す。
信長は大の相撲好きである。
「勝二!」
「ははっ!」
控えていた勝二を呼ぶ。
「弥助を呼べ!」
「え?」
「聞こえなんだか?」
「い、いえ、只今!」
勝二は慌てて弥助を呼びに走った。
「何だあの者は?」
「肌が真っ黒だぞ?」
「南蛮人が連れているのを見た事がある」
現れた弥助に場はざわついた。
長崎に近い龍造寺はそれ程でもないが、毛利と島津はヒソヒソと騒がしい。
「それにしてもでかいな!」
一番はそれであった。
見上げる程に背が高く、がっしりとしている。
「弥助、この者とここで相撲を取れ」
「え? この子と?」
信長が命じた。
一体何が始まるのだと周りは興味津々である。
次に宗茂に向き合い、言う。
「この者は百獣の王ライオンですらその手で倒した事があるのだぞ?」
「百獣の王らいおんとは何ですか?」
「アフリカに住む、虎と同じ強さの獣の事だ」
「それは凄い!」
信長の説明を聞き、宗茂はキラキラとした目で弥助を見た。
周りも大興奮である。
「ねえショージ、信長様は何を言っているの?」
「気にしたらいけません!」
土産話としてアフリカの野生動物の事を話した事がある。
いたく気に入ったのはライオンで、一度狩ってみたいモノだと言っていた。
「相手は獣を素手で殺す男だ。全力でやれ」
「はい!」
宗茂に言い含める。
弥助と勝二は呆れた顔で主人を見た。
「始めぃ!」
そんな二人に構わず勝負の開始を告げる。
「もう一回です!」
畳の上で仰向けに倒れた宗茂が起き上がり、叫んだ。
既に何番も勝負を行い、全て負けている。
「も、もう一回!」
再び投げ飛ばされ、荒い息で起き上がった。
畳で皮膚が擦り切れ、血が滲んでいる。
その姿に弥助の心が痛む。
手加減してあげよう、そう思った途端に信長の声が響く。
「弥助、手を抜く事は許さぬぞ?」
「は、はい!」
ビクッとして慌てて応えた。
「くそっ!」
宗茂が畳の上で悔し涙を流す。
結局一度も勝てないまま力尽きた。
自信のあった相撲であったが、まるで歯が立たなかった。
「いや、十分に凄いよ」
慰めではなく正直なところを弥助が言う。
何度か危ない場面もあったのだが、腕力に物を言わせて押し切った。
成長して筋力をつければどうなるか分からないと思う。
その言葉に宗茂もようやく立ち直る。
「また相撲を取って下さいますか?」
「勿論だよ」
二人はにこやかに笑った。
そんな宗茂を見つめ、信長が出し抜けに宣言する。
「これより高橋宗茂と戸次誾千代の祝儀を挙げ、豊後の統治を命ずる!」
「えぇぇぇ?!」
急な展開に宗茂は思考が追い付かない。
戸惑っている間に準備が整った。




