第71話 歓迎かと思いきや
『愉快だ』
美しい女から注がれる酒を一気に飲み干し、ドレークはにこやかに笑った。
初めは用心深く警戒していたが、歓迎は本物だと気づき、それからは積極的に楽しんでいる。
世界一周の航海で訪れた、言葉も通じぬ異国の地で、表面上は友好的に見える部族であっても、振舞われる飲み物に毒を盛られていた事もある。
その時は寸でのところで事なきを得たが、それからは上陸する際には細心の注意を払い、自分達に敵対心を持っていないかどうかを慎重に判断している。
邪な企みを抱いている場合、何気ない視線や態度にそれとなく現れるモノだ。
ドレークは自分の観察眼に自信を持っていた。
そして今回のシマズにはそれがない。
船長としては一安心である。
そんな彼の目の前ではシマズによる踊りが披露され、女達に誘われるまま、太鼓のリズムに合わせて仲間達も見よう見まねで体を動かしている。
仲間の一人が足をもつれてさせて転び、それを見たシマズから明るい笑い声が響いた。
「どれーく殿」
隣に座る、ヨシヒサというシマズの王が声を掛けてきた。
出来上がりつつあるドレークは、若干眠そうな目でヨシヒサを見る。
「がん、かのん」
ヨシヒサはまずドレークらの持つ武器を指さし、次に彼らの宝を指さした。
両手を交差させて交換したいとの意思を示す。
『帰国せねばならぬから今は無理だが、次の機会に必ず持って来よう!」
ドレークは残念そうに首を振る。
その顔に察するところがあるのだろう、ヨシヒサは大人しく引き下がった。
勘違いしてないだろうなと、焦り気味に言う。
『次だぞ?』
「ねくすと?」
『そう、次だ!』
ここでシマズと手を結んでおけば、武器を売って財宝を集める事も出来るし、他の勢力を攻めさせてシマズを大きくする事も出来よう。
ヨシヒサによればここはサツマで、キューシューなる島の一部らしい。
他にもオートモ、リューゾージなる王がいるとの事。
それを聞いてドレークは思わずほくそ笑んだ。
サツマの町だけでも相当な大きさである。
仮にイングランドの支援するシマズがキューシューを統一出来れば、シマズにどれだけの富が集まるのか想像もつかない。
銃や大砲と交換したいとヨシヒサが差し出した銀だけで、スペイン船を襲って得られる財宝の4分の1くらいはありそうだった。
『我々がシマズを助ける。シマズはキューシューを統べる。どちらも幸せになるんじゃないか?』
「島津が九州を?」
『そうだ!』
ドレークの言葉を何となく理解したのか、ヨシヒサはガハハと笑った。
その笑いは豪傑のそれであった。
笑いながら酒を並々と注ぎ、空けるように促す。
勧められるまま杯を飲み干し、限界を迎えてドッと崩れ落ちた。
そんなドレークを見下ろすヨシヒサの目は驚く程に冷たい。
自分は何かとんでもない思い違いをしているんじゃないか?
ヨシヒサの表情を見たドレークは、遠のきつつある意識の中、ぼんやりとそんな事を思った。
「異人如きに言われるまでもない」
虫けらに向けるような目でドレークを見る義久の言葉は、勿論彼には届いていない。
草木も眠る丑三つ時、闇に紛れて動く多数の影があった。
黒装束に身を包んだ影達は、墨を塗られた小舟に乗り込み、音もなく櫂を漕いで海面を進む。
舟が向かう先には、寝ずの番を立てて警戒するゴールデン・ハインド号がある。
灯りを灯して歩哨が立ち、光の届く範囲で海上を照らし、周囲を見張っていた。
闇と同化した舟は光が届かない手前で止まり、息を殺してその時を待つ。
暫くするとゴールデン・ハインド号で動きがあった。
別の者が船内から現れ、歩哨役を交代したのだ。
それでも影達は動かない。
見張りが交代して四半刻(約30分)は経っただろうか、遂に動いた。
影の一人が黒く塗り潰した弓を構え、矢を番える。
僅かな月明かりを頼りに狙いを定め、矢を放つ。
矢は目にも止まらぬ速度で飛んでいき、闇を切り裂いた。
その音に気付いた歩哨だったが、異変を察知する前に胸に矢を受け、声を上げる間もなく絶命した。
それからの影達は素早かった。
スイスイと舟を進め、夜の海に浮かぶゴールデン・ハインドに取りつき、鉤付の縄を船に投げ入れ瞬く間に甲板へと侵入する。
背中に差した刀を抜き、閉じた扉を蹴破って一気に船内へと押し入った。
『て、敵だぁ!』
船内でも寝ずの番をしていたらしい。
居合わせた男が目を丸くし、叫ぶ。
同時に腰の剣を引き抜こうとしたが、間に合わずに影の突きを受けて死んだ。
その声を聞きつけたトーマスらがワラワラと集まってくる。
誰もが剣を抜いていた。
『な、何だこいつらは!?』
『強過ぎる!』
影達の攻撃は激烈だった。
反撃する暇もなく防戦一方である。
乗組員達は驚愕に目を見開いた。
当時の海賊は大砲で戦うだけではなく、直接相手の船に乗り込んで白兵戦を仕掛けるのが常である。
何度もスペイン船を襲ってきた彼らは、船上での戦闘にも自信があった。
それが、為す術なく押し込まれている。
信じられない思いだった。
『こ、降伏する!』
堪らずトーマスは剣を捨て、両手を上げてそれ以上の抵抗を止めた。
『何やってんだ!』
『殺されるぞ!』
それを見て仲間が叫ぶ。
野蛮人にそのような意図は通じず、むざむざ斬られるだけに思えた。
そんな仲間の言葉は理解出来る。
しかしトーマスには予感があった。
死を覚悟しても尚勇敢に戦った、初めに訪れた村の戦士達を考えると、降参した者を徒に殺すようには思えない。
それに、顔を覆っている為その表情は分からないが、隙間から見える目に凶暴な光は宿っておらず、理性を感じさせる。
十分に勝算のある賭けだと思った。
すると、トーマスに向き合っていた黒装束は床の剣を蹴り飛ばし、他へと向かうのだった。
『お前達も降伏しろ!』
賭けに勝ち、ホッとしたトーマスが即座に命令する。
彼の無事な姿を見て、他の乗組員も次々に剣を捨てた。
こうしてゴールデン・ハインド号は島津の手に落ちた。
「起きろ」
朝になっても大きな鼾をかき、涎を垂らしなが眠るドレークを義久が蹴り飛ばした。
『な、何だ?!』
慌てて飛び起きる。
寝ぼけ眼をこすり、辺りを見回した。
完全武装をしたシマズの兵が自分達を取り囲んでいる。
見れば他の仲間達も叩き起こされていた。
シマズはどこから用意したのか、明らかに自分達の物ではない鉄砲までも装備している。
その数は多く、一目では総数を把握しきれない。
ここにきてようやくドレークは事態を把握した。
『おのれ! 騙したか!』
怒りで眠気が吹っ飛ぶ。
しかし、時すでに遅し。
これだけの敵を前にどうする事も出来ない。
「村を焼かれて歓迎すると思うたか? いんぐらんど人とは随分と呑気な事だ」
ヨシヒサが口を開いた。
何を言っているのかは分からないが、馬鹿にされている事だけは分かる。
怒鳴り返したいのを必死に我慢する。
ここで軽率な振る舞いは不味い。
まだ手はあるのだから。
そんなドレークの心を読んだのか、ヨシヒサが言う。
「船の仲間が助けてくれるとでも思っているのか?」
『何?』
そう言って手下に合図を出す。
すると、船に残っていた筈のトーマスらが連れて来られた。
一列に並ばされ、手足を縄で縛られている。
ドレークは何が起こったのか悟った。
『トーマス!』
それでも叫ばずにはいられなかった。
「大和武尊が熊襲に取った策だな」
義久が誰にでもなく言った。
義弘がそれに異議を唱える。
「それでしたら兄上は女の衣装を纏いませんと」
「違いない」
兄弟四人でワハハと笑った。
「さて、久道と焼かれた村の仇を取らんとな」
「どうなさるおつもりで?」
ひとしきり笑い、真面目な顔つきになる。
当主の考えを義弘が尋ねた。
「全ての首を切り落とせと言いたいところだが、船やカノンの扱いを知る為にも何人かは残しておきたい」
「そうですな」
飛んで火にいる夏の虫。
大友に対抗するにはもってこいだ。
とりあえず大砲の取り扱いは早急に習熟せねばなるまい。
気になる事は他にもある。
「船には大量の金銀財宝が積まれていたそうだな」
「そのようです」
目もくらむ程の宝が船底に山と積まれていたという。
「商人か?」
「それにしては武器が多過ぎるかと」
当時の航海ではそれで普通だが、義久達が知る筈もない。
「では何だ?」
「船を襲っているのではありませんか?」
「船を?」
それには心当たりがある。
「そういえば信長がそのような事を言っていたな」
「アメリカとスペインを結ぶ航路には海賊が出没するとの事。この金銀財宝はその航路を行くスペインの船から奪ったという事でしょう」
「成る程」
それならば筋が通る。
琉球でも異国船が村を襲う事件が起きているそうだ。
「ならばこやつらの宝を用いて村を再建せよ」
「畏まりました」
襲った者達に償わせるのは当然である。
「家族を殺された者らはどうされますか?」
それもまた必要な事だ。
親しい者を殺されたのに、お金だけで解決すれば苦労はしない。
「大将でひえもんとりだな」
義久の言葉に場が静まる。
その意味するところを遅れて理解し、狂気に似た興奮が広がっていった。
突然地鳴りのような歓声に包まれ、自分達に血走った目を向ける島津達に、ドレークは怯えた顔をした。
熊襲って薩摩隼人の祖先ですよね・・・




