第65話 兵法
誤字のご指摘ありがとうございます。
「信親君はどうして大坂に?」
夕食時、勝二が尋ねた。
当時の食事は庶民から大名に至るまで、基本的に朝夕の一日二回、量を食べるのが一般的であったが、勝二の屋敷では朝昼晩の一日三回、回数を増やす代わりに量を減らして食べていた。
一日二回なのは薪の節約といった理由がある。
朝夕で腹がもったのは、その分たっぷりと食べていたからだ。
しかし、現代人である勝二に大食いは慣れず、空腹に目を覚ます事も多かった。
体調が優れない時などは特にそうで、少量しか食べられずに夜中ひもじい思いをした事もある。
その為、自分の屋敷ではたとえ余計な費用がかかっても一日三回、朝昼晩の食事とした。
また、家族らと一緒に食べる事を基本にしている。
妻と娘達、弥助や重秀、幸村や信親、お陽に至るまで、出来る限り同じ場所に集まって同じ物を食べるようにしていた。
滅相もないと断るお陽は、家長の権限で強制している。
尤も、洗い物などもあって同席する事は少なかったが。
「日ノ本に起こった異変を確かめる為、南蛮人と同盟を結んだ信長公の下を訪れました」
「そうだったのですか」
信親が大坂にやって来た理由は、これまで詳しく聞いていなかった。
聞く暇がなかったのが一番の理由である。
「日ノ本がその位置を変えた。俄かには信じられませんが、状況から考えるに確かにそうだと思います」
「父上が伯父上に教えたのですわよ」
「ねー」
茶々が得意げに言い、初と江が頷き合った。
通常であれば女が出しゃばるなと一喝されるところだが、勿論勝二はそんな事をしない。
寧ろ、誰でも言いたい事があればいつでも言って欲しいとお願いしているくらいである。
それもあって茶々らも口を開くようになり、今では積極的に発言しているのだ。
そんな勝二の話を聞き、世間を知らない女の意見などと陰口を叩く者もいたが、世間を知らない者だからこそ見える物があると家では反論している。
五代家のやり方に初めは戸惑った信親らであったが、今ではそれも慣れた。
「そんな中、信長公は南蛮国であるスペインと同盟を結ばれました。そうなれば長宗我部家としてどうするべきか、それを考える為にも参った次第です」
「成る程」
頷ける話である。
信親が続けた。
「アメリカとやらから南蛮船が堺にやって来るとして、土佐はその直前に訪れる港となる場所にあります。今回の同盟により交易が盛んになれば、我が長宗我部家の繁栄にも関わっているのではないでしょうか」
「そこに目を付けるとは凄い!」
信親の着眼点を褒めた。
新大陸からもたらされる産物を、堺経由で買うのとスペイン人から直接買うのでは大違いである。
その後の展開次第では競争相手にも成り得るが、今はその先見性を賞賛した。
「俺は未だに信じられねぇが……」
幸村が誰に言うでもなく口にする。
普通はそうであろう。
「まだそんな事を?」
「何ぃ?」
軽蔑の目を向ける茶々に幸村が反発する。
勝二は娘をたしなめた。
「意見は自由に述べて構いませんが、人の考えを否定するのは駄目です。反論する場合は事実に基づき、矛盾点などを指摘するのみに努めて下さい」
「申し訳ありません、父上」
「謝るのは私にではないでしょう?」
父の言葉に渋々謝罪する。
「……すみません」
「いや、いいけどよ」
茶々に頭を下げられた幸村は、ボリボリと頬を掻いてそっぽを向いた。
「過ちは気づいた時に改める。これが出来る人は中々おりません。茶々さんは立派ですね」
「そ、そんな!」
尊敬する父に言われ、娘は顔を赤く染めて喜んだ。
実母に褒められた記憶がない勝二は、家族であれ部下であれ、褒めて伸ばす教育方針を取っている。
やってみせ、言って聞かせてさせてみせ、褒めてやらねば人は動かじで有名な山本五十六の格言は、勝二が大切にしているモットーであった。
それはそうとして幸村に向き合う。
「日ノ本が移動したかしていないかは、空から見てみないと実際のところは分からないでしょう」
「だよな」
その言葉に納得する。
見てもいないのに軽々しく判断出来ない。
「ですが、備えあれば患いなしです。もしも日ノ本が大西洋に移動していたとして、何も備えていなければどうなるでしょう?」
「近くなった南蛮が船で押し寄せるって話か?」
「そうです。既にその兆候は琉球から報告されています」
「本当かよ?!」
幸村には初耳であった。
「孫氏の兵法にもこうあります。兵は国の大事にして存亡の道、察せざるべからざるなりと」
勝二にとり、孫氏の兵法はビジネス書でお馴染みだった。
クラウゼヴィッツの戦争論などと共に、教養として一通りの内容は身につけている。
「大将、こいつらに聞きたい事があるんだが、いいか?」
「勿論ですよ」
重秀が口を挟んだ。
彼が途中で加わるのは珍しい。
「オメェら、孫氏の兵法はどのくらい知ってるんだ?」
幸村らに尋ねた。
「風林火山だろ? 知ってるぜ」
幸村が自信満々に答えた。
武田の風林火山は孫氏の軍争篇から取っている。
「その意味は?」
「疾きこと風の如く、静かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如し」
スラスラと口にした。
「なら、兵法で最も大事な教えは何だ?」
「最も大事な教え?」
重ねて問われて答えに窮する。
兵法の研究が盛んになるのは江戸時代に入ってからの事であり、当時は漢文を読める者に内容を解釈してもらって理解する程度だ。
言葉に詰まった幸村に代わり、信親が答える。
「兵法の要とは、いかに戦を起こさないで済むようにするかです」
「ご名答」
「何だよそれ!」
信親の答えに唖然とした。
勝二がその後を引き受ける。
「幸村君の仕えていた武田家は織田家との戦に敗れ、滅びてしまいました。戦は国の存亡に関わる重大な問題であり、やらずに済むに越したことはありません」
「それは分かるけどよ、兵法なのに戦をするなってのかよ!」
「誤解です」
「誤解?」
どういう意味かと勝二の顔を見た。
「戦わずして勝つ道を最大限目指し、それでもやらねばならない時には必ず勝てと言っているのです。その為には準備を怠るなと」
「準備か……」
織田家との決戦を前に、武田家の内情はボロボロであった事を思い出す。
徹底抗戦を主張する者、和睦を説く者、諦めている者と様々であった。
幸村は直接知らないが、父昌幸が悲し気に話していたので良く覚えている。
「西洋諸国との戦は船で行う砲撃戦になってくるでしょう。その為の船、大砲、火薬、砲弾を準備するには莫大な費用が必要となります」
「南蛮船ってヤツか。そんなにスゲェのかよ?」
幸村も信親も西洋の船をまだ見た事がない。
「大坂にいれば直ぐに見る事になりますよ」
「楽しみだぜ!」
「来た甲斐がありますね」
二人は年相応にはしゃいだ。
勝二の言葉通りその機会は直ぐに訪れ、両名は肝を潰す事になる。
「敵を知り己を知れば百戦してあやうからずです。西洋の船を我が物とし、操船にも大砲の扱いにも慣れなければなりません」
「望むところだ!」
「兵法では戦わない事が上策ですが、備えが肝心ですからね」
そこは武家の男児であろうか。
強い武器の存在に期待が高まる。
「ようやくお戻りですか!」
「お久しぶりです宗久さん」
翌日、堺の商人兼茶人の宗久が息せき切ってやって来た。
色々と適当ですがご容赦下さい。




