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第59話 小田原の篤農家達

 北条家の領地に住む篤農家、約十人が集まった。

 研究熱心で観察眼に優れ、常識に囚われない発想力を持ち、進取の気風に満ちた者達である。

 彼らは農法や農具を実践によって改善し、周りへの普及に努めていた。

 そんな中、西洋から作物の種子が届くので、我こそはと思う者は申し出よとの氏政の告知である。

 季節が変わった可能性にいち早く気づいていた彼らは、その理由までも説明していた勅旨の内容に衝撃を受け、それに備えるという領主に深い感銘を受け、真っ先に手を上げた。


 そして期待に胸膨らませて集まってみれば、1株1本植えという、およそ現実的でない指示である。

 所詮は田んぼ仕事を知らないお侍様だなと内心がっかりし、作物の種も受け取らずに帰ってしまった。

 今度は保温折衷苗代という、これまた聞いた事のない技術を教えるそうだが、呼びかけに応じたのは、はっきり言えば保身からだった。

 いくら北条家が慈悲深い領主であったとしても、彼ら農民と武家の間には厳然とした身分差がある。

 氏政直々の招きに応えず、無視する事なんて出来る筈がない。

 自分への罰は甘んじて受けるが、家族や村の者にまで迷惑が掛かってはならない。

 心は種まきの時期をどうするか、雨は大丈夫なのかで一杯だったが、素知らぬ顔でその場に集まった。


 言われた先には重ね着をして縁側に腰かける男がいた。

 体調が余り良くないのか顔色が優れない。

 氏政は部屋の奥でこちらを見下ろしている。

 自分達が控える庭には、竹ひごや油紙が多数置かれていた。

 また、見た事のない4本爪の鍬らしき農具や、木で出来た大きな箱がある。

 不思議に思っていると、腰かけた男が口を開いた。


 「皆さん初めまして、五代勝二と申します。前回は私の認識不足で皆さんを混乱させてしまったようで、誠に申し訳ありません」


 開口一番、勝二と名乗る男はまず頭を下げた。

 それだけで驚きである。 

 武家の者が農民に直接謝罪するなど聞いた事がない。

 この事だけで頭が混乱してしまう。 

 浮足立つ自分達に向かい、その男は話を続けた。


 「前回お話しした事は一旦保留してもらい、今日は保温折衷苗代や開発した新しい農具について説明したいと思います」


 配下に目配せし、横に置いてあった農具らしき物を持って来させる。


 「まずは皆さんにとって身近な道具についてです。田起こし用の鍬、千把扱き、唐棹、唐箕を用意しました。手に取ってご覧下さい」


 言われるまま目の前の農具にフラフラと手を伸ばす。

 気づいたらそれを掴んでいた、そんな印象だ。

 爪が4本だけ残った熊手のようだったが、竹で出来たそれとは違い、先が鉄で出来ているのでごつい。

 手にずっしりとした重さがあった。 

 田起こし用の鍬だそうなので、振りかぶって土に刺して使うのだろう。

 突如、猛烈に土を耕したい気持ちになった。

 しかしそれは出来ない。

 領主の屋敷を勝手に耕したとなると、怒られるだけでは済まないかもしれない。 


 「そこは耕して構いませんよ」


 そんな逡巡を察したのか男が言った。 

 その申し出に躊躇する事なく鍬を振るう。

 心に訴えてくる何かがそれにはあり、居ても立っても居られなかったのだ。

 予感めいた出会いを感じていた。 

 欲しかったのはこれだと何故か分かった。

 ザクっとした音と共に爪が地面に突き刺さる。


 「爪が刺さった状態で、柄を上に持ち上げる要領です」 


 男が指示を出した。

 言われた通りにやってみる。

 余り抵抗を感じる事なく、土がドサッと掘り返された。  


 「力を入れずに土を起こせるべ!」


 驚きに思わず叫ぶ。

 すぐさま仲間も反応した。


 「本当だか?!」

 「貸してみろ!」

 「オラが先だ!」


 最早奪い合いの様相を呈した。

 一通り試し、満足したのか考察に入る。


 「なして軽い力で土を起こせるんだべ?」

 「梃子じゃねぇだか?」

 「そうだぁ!」


 原理は分からなくても体験的に知っていた。

 人の力では持ち上らないような大きな石でも、長い棒を下に突っ込めば動かす事が出来る。

 これも同じ要領であろう。

 そうと分かれば次の道具だ。


 「こりゃあ魂消たまげたなぁ」


 千把扱き、唐箕の頃には感心しきりとなった。

 どれも非常に良く出来ており、作業が便利になる事は明白である。

 開発したという男を尊敬の眼差しで仰ぎ見た。

 一つでも十分な偉業と感じるのに、道具だけで4つもある。

 そして保温折衷苗代という農法も残されている。




 「説明せずとも何の道具か分かるとは流石ですね」


 一方の勝二も集まった農民達に敬意を抱いた。

 使い方を教えていないのに、触っているうちに自分達で気づいたからである。  

 日々の暮らしの中で物事をつぶさに観察し、道理を常に考えているからであろう。


 「驚いたのはワシらの方で」


 初めの雰囲気はどこへやら、まるで真剣勝負に臨んでいるかのような眼差しをしている。

 

 「これはお武家様が?」

 「ええ、まあ」


 自分が考えた訳ではないので曖昧に濁す。


 「お武家様は百姓仕事をなさっていたので?」


 彼らにとってはそうとしか思えなかった。

 実際に農作業をしている中で考え出された道具に見える。 


 「実は海を越えた遠い異国で見聞きした経験を基に、考案した物になります」

 「海を?!」


 その告白に更に驚く。 

 生まれた地すら出た事のない者が多い時代、海を越えた地の事などおとぎ話でしか聞いた事がない。


 「異国の野良仕事を是非とも教えてもらいてぇです!」


 そう強く思った。

 何をどう育てているのか興味は尽きない。


 「これ!」


 ここで氏政が待ったを掛ける。


 「この者は病から快復しきっておらんのでな、無理はさせるでないぞ」

 「へ、へぇ!」


 農民達を諭した。

 そして勝二を向く。


 「そちもそちじゃ!」

 「え?」


 自分もとは思わない。

 その理由を説く。


 「急ぎ信長公の下に帰らねばならぬのであろう? ここで無理をすればその日は遠のくぞ?」

 「そ、そうですね……」


 言われてみればその通りだった。


 「今日のところは保温折衷苗代だけお教えします」

 「構わねぇだよ!」


 勝二の説明が始まった。

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