第48話 実証実験
「その前に場所を移させて頂きたいと思います。構いませんか?」
「望むところ!」
「余り多いと向かう先で迷惑となりますから、なるべく少なくして頂けると助かります」
「承知!」
勝二は館の前から移動した。
減らした筈が後からゾロゾロと付いて来る。
数を限るのは無理かと諦めた。
その行列はまるで、蟻の大群が列を成して歩ているようだった。
「ここは最も多くの患者を出している村で、その者達に共通しているのがこの川に浸かる事が多いというモノでした」
目的地へと到着する。
そこは甲府盆地の底部に位置し、年中水が抜けないような湿地が集積している一画だった。
貧しい小作人が多く、粗末なボロ屋が立ち並ぶ集落である。
説明会に詰めかけた者が多いのか、この前に立ち寄った時よりも閑散としていた。
鼻を垂らした幼子が一人、口をポカンと開けてこちらを見ている。
残っていた村人に押される形で、この村の長が勝二を出迎えた。
この日に訪ねる事は事前に伝えてあったが、予定人数はもっと少ない筈だった。
「一体何事でごぜぇますだか?」
勝二の後ろに並ぶ人の列に目をやる。
まるで秋のお祭りと錯覚するような人の数だ。
「申し訳ありません。ここまでの規模になるとは思いませんでした」
「はぁ」
「やる事は前にお話した通りなので、彼らの事は気にしないで下さい」
「へぇ」
考えても仕方がない。
予定通りに進めていく事にした。
と、群衆の中の一人が川の中に何か見つけたのか、手を突っ込もうとしている。
「川の水には触れないで下さい!」
勝二の言葉にビクッとし、慌てて手を引っ込めた。
目には見えない小さな虫の事を思い出したのだろう。
周りの者も恐怖に駆られ、水の傍から後ずさる。
過剰な反応ではあるが、今はそれくらいで丁度良い。
ひとまず安心し、病気を多発させている沼を見た。
前にも一通り確認したが、やはり小さな巻貝が多数、土の上を歩き回っている。
それがタニシなのか、それとも中間宿主であるミヤイリガイなのかは分かりかねたが、この水があの恐ろしい病を生み出しているかと思うと背筋がゾッとする。
これから自分がやろうとしている事の安全性を頭では分かっていたが、やはり気分の良いモノではなかった。
しかし、ここまで来たら腹を括らねばなるまい。
覚悟のない者の言葉など、死に怯える者に届く筈もないのだから。
「では今から、目には見えない虫の存在を目に見える形で実証します!」
「この沼の水を汲み、二つの鍋に分けます」
実証実験が始まった。
重秀に持たせていた桶を受け取り、沼の水を一杯に汲む。
見た目は一応透明で、住血吸虫が生息しているようには見えない。
その水を二つの鍋に分けた。
「片方は火にかけます」
火は事前に熾してもらっている。
竈に鍋の一つを掛けた。
煮沸すれば住血吸虫の幼体セルカリアは死ぬ筈だ。
セルカリアの状態では小さ過ぎて目に見えないが、それが皮膚から侵入して体内で成体へと成長し、産卵を始める。
その卵が血管を塞ぎ、様々な症状を引き起こすのが住血吸虫による健康被害である。
「残った片方はそのままです」
比較として何もしない。
この鍋の中ではセルカリアが元気に泳いでいる筈だ。
ウヨウヨいるのか密度は低いのか、見ただけでは分からない。
沸騰するまでの時間、チラチラと弥助の方を見ている者のフォローをしておく。
「夏の日差しを浴びれば皆さんでも肌が黒くなっていくでしょう? 彼は年中真夏の国から来たので、冬でも色が薄くならないだけです」
「おぉぉぉ」
遠くからでも目立つ弥助の存在感は大きい。
「沸騰しましたね。ここで火から下ろし、冷まします」
そうこうしているうちに鍋が沸騰したので加熱を止めた。
そのままでは冷めるのに時間が掛かるので、盥に入れた水に鍋ごと浸けて熱を取る。
「冷めましたね。では、この両方に腕を浸け、様子を見てみましょう」
「何ぃ?!」
観衆は幽霊でも見るかのような顔で勝二を見つめた。
先程、川の水に触るなと警告したのがその勝二である。
いくら桶で汲んだとて、その水に触ろうというのだから驚きだ。
「お止め下せぇまし!」
「え?」
何を思ったか群衆の中から一人の女が進み出て、地面に頭を擦りつけて叫んだ。
用心の為に重秀と弥助が間に立つ。
「どうしました?」
「オラはこの病でお父もお母も亡くしました! 五代様が同じ病になってしまうかもしれねぇのに、黙って見ているなんて出来ません!」
勝二の説明によれば、虫の棲む川の水に触れれば病になるとの事だった。
川の水を生活の中で用いている村人にとり、誠に恐ろしい話ではあるが、呪いの類ではなかったと知れてホッとしている。
両親を奪った憎き病である事に変わりはないが、心ない者達が噂していた、前世の悪行が祟ったのだとか、娘である自分のせいとか、根も葉もない中傷にも傷ついてきた。
同じ村の中でも病気になる者、ならない者がいたから尚更である。
そんな彼女にとり、この前までは確かに敵であった筈の織田家から、はるばる甲斐までやって来た勝二は救いであった。
しかし、自分の心を救ってくれた恩人が、その説明に反して自ら病気になろうとしている。
身分を弁えない出過ぎた真似だと重々承知していたが、到底そのままにしておけない。
「名は何というのですか?」
女の優しさと強さに頬が緩み、名前を尋ねた。
問われた女は慌てて顔を上げる。
見たところ十代くらいの、整った顔をした若い娘であった。
「よ、陽でごぜぇます!」
ここにきて緊張したのか、ひどく上ずった声で答えた。
「お陽ですか、良い名ですね」
「あ、ありがとうごぜぇます!」
支配階級に属する者が農民にさん付けは具合が悪い。
重秀にも厳しく注意されていた。
「お陽の気遣いは誠にありがたいのですが、心配には及びません」
「だ、だけんど!」
陽は優しい言葉を掛けてもらえた事で尚更食い下がる。
勝二の姿が亡くなる前の両親とダブって見えた。
「それは勘違いですよ」
「勘違い?」
言う意味が分からない。
ポカンとしている陽に勝二は事の次第を説明する。
「この病は何度も虫の棲む水に浸かる事によって感染を重ね、初めて重篤化します。桶に汲んだ水に腕を浸ける程度では、感染しても軽い症状で済む筈です」
「そ、そうなのでごぜぇますか!?」
感染とは何なのか理解出来なかったが、大丈夫そうとだけは分かった。
「では改めて両方の水に腕を浸けたいと思いますが、その前にどちらの腕も同じ事をお確かめ下さい。昌幸殿、お願い出来ますか?」
種も仕掛けもございませんというヤツである。
尤も、これからやるのは実験であり、手品でも何でもない。
昌幸は念入りに勝二の腕を調べる。
「油を塗って水をはじくようにしているかもしれません。薬草を染み込ませている可能性もあります。よぉくお調べ下さい」
「何もない。見たところは同じだ」
臭いのしない薬など使われれば分からないが、昌幸には同じに見えた。
「では始めます」
陽を含め、観衆は固唾を飲んで見守った。
躊躇う事なく勝二は腕を鍋の中に突っ込む。
バンジージャンプでもそうだが、時間を置く程に恐怖は増していくからである。
躊躇のない動きに観衆はざわめく。
まさか本当にやるとは思わなかったのだ。
呆気に取られたままの者達に勝二が叫ぶ。
「見て下さい! 煮沸していない水に浸けた腕だけ、小さな赤い斑点が出てきました!」
「何だと!?」
昌幸が鍋にかじりつく。
目を凝らして水の中を見つめた。
「真!」
確かに煮沸していない方の腕だけ、虫に刺されたように赤くなっている。
勝二はこれくらいで十分かと思い、鍋から腕を出した。
虫が入り込んだのだと思うと、吐きそうなくらいに気持ち悪い。
気を取り直し、陽の前まで進む。
「お陽、これに心当たりはありますか?」
そっと己の腕を突き出した。
陽は一目見て気づき、叫ぶ。
「泥かぶれでごぜぇます!」
病気の出る地域で田や川に入ると、水に浸かったところが赤くかぶれる事を、この地方の農民は経験的に知っていた。
「皆さんも見て下さい。煮沸してない水では赤い斑点が出来ていますよ」
勝二は人々の中を進み、自分の腕を見せていった。
一通り見せ終わると再び元の位置に戻り、皆に向き直る。
「どうして同じ水に浸けたのに、煮沸した水ではかぶれないのでしょう?」
そう尋ねた。
答えを待たずに述べる。
「目には見えない小さな虫とはいえ、沸騰する程の高熱では死んでしまうからではないでしょうか?」
ボロが出ないうちに終わらせる。
「これにて目には見えない虫の存在を、目に見える形で証明しました」
厳密に言えば色々と穴のある実験である。
偶々煮沸していない方にだけ虫がおり、煮沸した方には初めからいなかった可能性もあるからだ。
しかし顕微鏡がない現状、その疑念を持たれても晴らす事は出来ない。
そして約一か月後、発熱を伴った下痢が勝二を襲う事になる。
体内に侵入したセルカリアが成長し、産卵を始めた事による症状だ。
勝二は気持ち悪さで、この実験を強く後悔する事となる。
次話で住血吸虫関係は終わります。




