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第28話 毛利からの帰路

 「茶でもどうですか?」

 「ありがとうございます」


 宗易の淹れてくれた茶を飲み、勝二は夕餉ゆうげを終えた。


 「つかぬ事をお尋ね致しても宜しいですか?」

 「何でしょう?」


 ホッと息をついた勝二に宗易が声を掛けてきた。

 他の者は湯を浴びに出ており、部屋には二人だけである。

 毛利を発つのを明日に控えた夜だった。

 勝二らが泊っている宿は、隆景がわざわざ手配してくたモノだ。

 村の有力者の家屋だろうか、生活感がそこかしこに残っている屋敷であった。

 急いで住人達に家を空けてもらったのだろう。

 家財道具など片づけるのも間に合わず、慌てて退去した様子が見て取れた。 

 申し訳ないという思いと共に、旅が一般的ではない当時、大きな町でもなければ宿屋といった便利な存在はありはしないので、感謝して家を使わせてもらっている。

 礼金を書置きと共に、直ぐには見つからない場所に隠しておいた。

  

 「勝二様の見ている世界はどのような物なのですか?」

 「え?」


 面食らう質問であった。

 まさか霊が見えているのかとか、そういう類ではなかろう。


 「いえ、遥か遠くの事まで見据えていらっしゃるように思えましたので」

 「あぁ、そういう事ですか」


 やはりであった。


 「私は一介の商人に過ぎない身ではありますが、物事に多少の目端はつくつもりです。この度の天変地異に際しましても、その原因などは兎も角、儲けられる筋道は付いておりました」

 「はい」


 他の会合衆えごうしゅうが三好氏との関係性を重視する中、信長の持つ卓越した力をいち早く見抜き、積極的に近づいたのが宗易らである。

 それもあって信長の庇護の下、特権的な地位を得る事に成功、手広く商売を繁盛させてきた。

 代わりに色々な形で戦費を要求されるが、幸いな事に破綻する事なく過ごしてこれている。

 幸運があったのは勿論だが、自分の才覚も多少は役立っていよう。

 今の成功は他の者に比べて目端が利いたからだと自負していたが、今回の交渉に同席してその自信も消えてしまった。  

 

 「しかし、勝二様が小早川様にされたお話は、私が想定していた商売の規模など軽々と超えていらっしゃいました。この国の括りを大きく越え、広く南蛮諸国との交易を考えていらっしゃる」

 「海の向こうでは普通に行われていた事で、それを目の当たりにした、それだけです」


 勝二の言葉を宗易は素直に受け取らない。


 「異国の事情を見てきただけで、この国に起こった異変を正確に把握するのみならず、異変が起きた事によってこの国が備えるようになった、その優位性にも気づいたと仰られるのですか?」

 「何と申されましても、現にそうなのですから仕方ありません」


 宗易の指摘にも慌てる事なく口を動かす。

 内心の動揺を気取られては取引の場で下手を打つ。

 まだまだ修行が足りない勝二であったが、今回はそこそこ上手く出来たと思う。

 尤も、そう思っているのは本人だけで、宗易は全く違ったが。

 しかし、これ以上は問い詰めても無駄だろう。


 「貴方様は不思議なお方ですね」

 「そうでしょうか?」  


 正体を怪しまれたのかと冷や汗が出た。

 乗っていた船が嵐に遭い、遭難して海を漂っている所、偶然通り掛かった南蛮船に助けてもらったというのが勝二の言い訳である。

 どの船に乗っていたのか、どこ出身なのか、そういう事を突っ込まれればすぐさまボロが出よう。

 その場合、長い漂流で記憶が曖昧となっておりまして……と言い逃れるつもりだ。

 そんな焦りに包まれた勝二に向かい、宗易が言う。


 「武を以て国を治めんとする、お武家様の覇気は微塵も感じません」

 「それはそうです。私は武家の生まれでは」

 「また、田畑を耕して日々の糧を得んとする、お百姓のそれとも違っていらっしゃる。海に出て漁をする、漁師においては言うまでもありません」


 勝二の言葉を遮り、話す。

 言外に、貴方が漁師な訳がないでしょうとあった。

 新たな言い訳をしようと勝二が口を開きかけるのを待たず、続ける。

 

 「かと言って、儲けを第一とする我ら商人のそれとも若干違う。勝二様は確かに商売の事情を良くご存知ですが、必要以上に商売相手の利益も重視されているようです。たとえこちらが損をしようとも。その姿は、利益が相反して争う両者の言い分を聞き、時には自らが損失を補填してまでも平和裏に治めんとする、いにしえに伝わる賢王のようです」

 「言い過ぎです」

 

 孔子の理想としたぎょうしゅんとでも言うのだろうか。

 

 「貴方の正体が何であるか、それは別に構いません。事情は人それぞれ、言いたくない事も、言えない事もおありでしょうから」


 問い詰めるつもりはないようだった。

 

 「それに我々堺の商人一同と致しましては、勝二様のお陰で大変助かっております。お礼は口に出来ても、その身を怪しむような物言いが出来る筈がございません」


 となるとどういう事か、問うまでもなく宗易が言う。


 「ですからなおの事心配なのです」

 「心配、ですか?」

 「ええ。信長公のご不興を買われないかと」


 それは正直今更である。

 毛利に塩の作り方を教えに行くと言い、不快にさせてしまった。


 「今回の事で既に……」

 「やはりですか!」


 宗易は天を仰いだ。

 宗久はその事について何も言わなかったが、その時の様子は手に取るように分かる。


 「取引相手の商売が大きくなればなるほど、こちらの儲けもまた大きくなっていく事は、商人であれば説明するまでもない事です。しかし、お武家様にとっては違います。相手が大きくなる前に潰し、将来の不安の芽を予め摘み取ってしまおうとなされがちです」

 「そ、それは……」


 宗易の言う事は腑に落ちた。

 共存共栄という考え方は早過ぎるのかもしれない。


 「武力があれば、相手が持つ物は問答無用で奪ってしまえば良い。反対に、奪われたくなければ防ぐしかありません」

 「成る程」


 それもまた真理ではあろう。 


 「敵にくれてやるには惜しい人物など、いっそ殺してしまえば、その後にこうむるかもしれない被害は未然に防げます」

 「余り感心する考え方ではありませんが……」


 恐ろしいがあり得る話だ。

 自分の庭では全く鳴かない鳥が、嫌いな相手の庭で鳴けば憎さ百倍であろう。

 鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス、かもしれない。


 「織田家だけでなく他の者まで儲けさせようとする人物は、信長公にとっては目障りなのではありませんか?」


 勝二は何も言う事が出来なかった。

 宗易は結論に入る。


 「考えて頂きたいのはその事です。己の身を護る為、他の者にまで気を回し過ぎないで頂きたいのです」

 「気を回し過ぎない?」


 その意味を尋ねた。


 「頼まれてもいないのに先回りして他の者に配慮をし、それで信長公の怒りを買って勝二様が罰せられれば、その者はどうすれば良いのでしょう?」

 「責任を感じる必要は全くありませんが、困ってしまいますよね……」


 その前に、配慮された事に気づくのかという問題もあるが。


 「片方だけが儲かる商売は長く続かず、恨みを生じさせもする。双方が得をするから長く続き、結果として争いを生む事もない。勝二様はそうお考えなのでしょう?」

 「売る方に良し、買う方に良し、世間に良し。公益までも考えた取引をする事が大事だと教わりました」

 「それは近江の……」


 近江商人の三方良し。

 勝二は入社以来、企業の方針としてしっかりと叩き込まれてきた。

 それによって出自が分かってしまうのではと宗易は思ったが、近江は安土の隣であるし、それ程関連はないのかと考え直して言及はしない。

 

 「信長公を含め、お武家様に商人のやり方や考え方は好まれないようです。まずは仕える君主の利益を第一に考え、商売相手への思いやりは取引で与える程度に止めて頂きたい。過度なそれはあるじの不興を買い、かえって相手にさえも不利益を与えてしまうでしょう」

 「成る程……」


 長年、気難しい信長に仕えてきた商人の助言であるので心して聞く。


 「大きな額が動くと予想される取引であるなら尚更慎重になるべきです。誤解や早とちりから国を傾けるとも、敵を利するとも受け取られかねません」

 「それは、そうですね……」


 現代社会でも取引は無制限ではなく、大量破壊兵器に転用可能な物資は輸出に厳重な規制が掛けられている。  

 怪しい動きには容疑が掛かって当然であろう。


 「互いの繁栄を想う勝二様がその身を危うくする事になってはいけません。信長公のご気分を損ねぬよう、どれだけ心を配っても足りぬ筈です」

 「分かりました。ありがとうございます」


 その忠告を感謝して受け取る。

 

 「良い湯だったぜ」

 

 重秀らも帰ってきたので宗易の話は終わった。




 「博多に向かわれるのですか?」

 「ええ」


 翌朝、勝二の問いに宗易が頷いた。


 「同じ商人として、博多の者らの窮状を打開する手助けが出来ればと思います」

 「それは私としても助かりますが……」

 

毛利を発つ日、暫しの別れを告げた宗易であった。

 



 「立花山城を捨てなさるのか!?」


 臼杵城で戸次道雪べっきどうせつ(66)が吼える。

 宗麟の命令で呼び出され、その真意を質す為にも城へとやって来ていた。

 数々の武功を立てた大友家の重鎮でありながら、主君の軽率な行動には諫言を躊躇わない道雪は、宗麟から大きな信頼を受けると共に煙たがれてもいる。

 

 「明との交易がなくなった今、殊更に博多を守る必要はなかろう!」

 「それはそうかもしれませぬが、立花山城は筑前の押さえでもあり申す!」

 「南蛮の武器が多く手に入った今、奪われた所で後から取り返せば良い!」

 「南蛮の武器ですと?!」

  

 それは道雪にも初耳だった。

 朝鮮半島を目指した船が陸地を見つけられずに帰って来ている事や、明国の船が全く姿を見せなくなった事、豊後沖に現れているらしい南蛮の船の噂から、日本が異変に巻き込まれている事には気づいていた。

 その流れで南蛮の銃器を手に入れたのだろうが、だからと言って領地を攻められるに任せ、後で奪い返そうとは乱暴に過ぎる。

 気になる事は他にもある。


 「米の収量に領民が不安を抱く中、どれだけの富を使いなさったのか!?」

 「必要な出費だ!」


 南蛮の武器は高額であり、それを多く購入したとなると、それに掛かった費用は恐ろしくなる程だ。

 天変地異に人心が揺れる中、やるべき事ではないと思った。


 「一体何をするおつもりなのか?!」

 「耳川の屈辱を晴らす為、南蛮の武器を用いて島津を攻める!」

 「いくら強力な武器があろうと、雪辱を果たす為に島津を攻めるなど言語道断!」

 「くどいぞ道雪! 余の決定である!」


 諫言はした。

 それでもそう強く言われ、道雪は頭を下げて退いた。


 「我らを取り巻くこの状況の中、島津を攻めるのですか?」


 共に拝命した大友家の猛将、高橋紹運じょううん(31)が自身の懸念を道雪に述べる。

 二人は同僚で、立花山城を守る道雪に対し、紹運は同じ筑前の岩屋城を居城にしていた。

 紹運の息子宗茂むねしげ(12)の器量は素晴らしく、跡取り息子のいない道雪は是非とも養子に迎えたいと切望していた。


 「こうなっては已むをえぬ。全力で戦い、一刻も早く戦を終わらせるのみ」


 道雪がその覚悟を語る。




 「母上がいらっしゃらない……」


 政宗(12)は左右を見渡し、悲し気に言った。

 イングランド船に乗せてもらって彼らの国を訪れる為、米沢城を発つ日が来たのだが、見送りに集まった中に母義姫の姿がない。

 昨夜、父輝宗てるむね(35)は別れを惜しんで激励してくれただけに、その違いを比べてしまう。

 弟小次郎(11)への溺愛ぶりを思い、気落ちした。


 「若との別れが辛いと、陰から見送られているのではありませぬか?」


 補佐役である景綱かげつな(22)が慌てて取りなす。

 病気で片目を失った政宗を義姫が疎んじている事は知っている。

 しかし、命を失う覚悟までして海を渡ろうとしている主君に、そのような事を告げる事など出来はしない。

 信頼する景綱にそう言われ、政宗はうつむきがちな顔を上げる。


 「この家を継ぐに相応しい男にならねば!」

 「若……」


 決意も新たに誓いを述べた。




 『閣下、行って参ります!』

 『お前の能力は確かだ。確実にやり遂げるのだぞ』

 『はい! 必ずや人魚を見つけて参ります!』

 『待て、誰がそんな事を命じた?』

 『同盟の交渉は勿論です! ですが、それだけで日本に行くのは勿体ない! 日本には人魚のミイラがあるそうですので、この目で確かめて来ます!』 

 『そ、そうか、まあ、しっかりとやって来い……』

 『お任せあれ!』


 フィリペは内心呆れつつ、去る部下を見送った。

 波が荒れる冬の来る前に、日本へ向けてカルロスを向かわせる。

 日本と同盟を結ぶ為の前交渉として、信頼する部下を選んだ。

 意気込みは別の方向に向かっているようだが、任せた仕事はきっちりとこなすので問題はないだろう。

 それから暫くし、フェリペは思わぬ客の来訪を受ける。


 『国王陛下、教皇猊下パーパがお越しです!』

 『何?』


 来客はカトリックの最高位者、教皇グレゴリウス13世であった。


 『ようこそ教皇猊下げいか


 王宮に現れた人物をひざまずいて迎える。


 『お元気ですかな?』

 『幸いな事に』


 グレゴリウス13世(77)の問いかけに、フェリペはぶっきらぼうとも受け取られかねない調子で答えた。

 彼の性格を知っている教皇は顔色一つ変えない。 

 

 『教皇猊下がどうして我が国に?』


 今度はフェリペが問う。

 ローマにあって日々神への祈りを捧げている筈の教皇が、連絡もなくスペインまでやって来る理由が分からない。

 

 『大西洋に現れた日本についてです』

 『何ですと?!』


 普段は感情を滅多に表さないフェリペであったが、この時ばかりは驚きを隠せなかった。


 『どういう意味でしょう?』


 その日本へはカルロスを向かわせたばかりである。

 問いかけるフェリペに教皇が言った。


 『日本が大西洋に現れたのは、かの国をカトリックにせよとの神のご意思の現れ、奇跡です。神のご意思を叶える為、彼らの中でキリシタン大名と呼ばれる、九州の諸侯に助力する事を検討して頂きたいのです』

 『奇跡?!』

 

 神の御業その物である奇跡。

 熱心なカトリック信者であるフェリペに取り、奇跡という言葉には名状しがたい興奮を覚えた。

 しかし一方で、冷徹な政治家でもある彼には教皇の言う事が納得出来ない。


 『日本は織田信長という人物が国を纏めつつあり、イエズス会も保護していると聞きました。スペイン国王として彼と同盟を結ぼうと考えておりますので、それで充分ではありませぬか?』

 『それだけでは不十分です。スペインの力添えがあれば、キリシタン大名が日本を統一する事も可能なのですぞ!』

 『そんな事を一体誰に?』


 フェリペはいぶかしんだ。

 カルロスの報告で織田信長の勢力に叶う存在はいないとある。

 勿論、短期間滞在しただけのカルロスに日本の全てが分かる筈もない。

 しかし、当地で長年布教活動をしてきたイエズス会の神父達にも話を聞き、そう判断したとの事だ。 

 教皇が説明する。


 『かの地で活動してきたイエズス会の神父がそう言っております』

 『ほう?』


 カルロスの報告を真っ向から否定するモノだった。 

 

 『詳しく伺いましょう』

 『分かりました』


 いかにイエズス会の神父とは言え、良く知りもしない者の意見よりは、その人となりを十分に知っている部下の目をこそ信頼する。

 しかし、そんな思いはおくびにも出さずに教皇の話を聞く事にした。 

 因みにグレゴリウスに具申したのは、日本人への偏見を抱いていたイエズス会神父、フランシスコ・カブラルである。

 巡察師ヴァリニャーノの求めでバチカンに向かい、教皇に面会して日本の状況を詳しく述べている。

 スペイン艦隊の力を以てすれば簡単に服従させられると進言し、受け入れられて教皇のスペイン訪問となった。


 『安全の為、今は船を出す事が出来ませぬ。春を待って船を出し、その可能性を探らせましょう』

 『おぉ! 神の祝福があらん事を!』


 スペイン王の前向きな言葉に教皇は無邪気に喜んだ。

時系列はスルー願います。

奇跡など、色々と適当な事を述べております。

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