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第26話 毛利へ

 「秀政さん、お手数をお掛けします」

 「まさか交戦中の毛利家を訪ねなさるとは思いもしませんでしたよ」


 再び同行する事となった堀秀政が呆れ顔で言った。

 平時ならばいざ知らず、今は毛利家と山陽で睨み合っている。

 戦時でも和議を結ぶ交渉は普通に行われるが、今回はその経緯も首をかしげるモノだった。

 なんせ織田家最大の敵とも言えた、一向宗を率いる顕如の伝手つてを頼りに、敵対している毛利を訪ねる形だからだ。


 「我々が訪ねる相手は話の通じるお方だとお聞きしましたが?」

 「ええ、まあ、そうですが……」


 毛利の両川、吉川元春と小早川隆景。

 今回訪ねるのは武闘派の元春ではなく、政治面で優れる隆景の方である。

 尤も、交渉のしやすさから相手を選んだという訳ではなく、製塩業が盛んな瀬戸内を治めるのが隆景だからだ。

 とはいえ、果たして交渉になるのかと疑問に思う。

 北条を訪ねた時以上の扱いを受けるような気がした。

 難しい顔の秀政に対し、宗易が声を掛ける。


 「茶など如何ですか?」

 「かたじけない」


 信長に仕える茶堂として名高い宗易は、後に千利休と改名する事となる。

 秀政は有難くそれを頂く事にした。

 船の上なので簡易的な炊事用具しかない。

 しかし、いささかも表情を曇らせる事なく、炭で沸かしたヤカンの湯を使い、迷いのない手さばきで素早く茶を立てた。 


 「美味い……」


 ほろ苦い抹茶の味と甘い菓子が絶妙だった。

 先程までの険しい顔を解き、秀政はホッとした顔で呟いた。

 勝二も早速ご相伴にあずかる。

 あの千利休の淹れた茶を飲んでいるのだなと、秘かに感動していた。

 正直抹茶の味は良く分からないが、成る程、茶道の大家にもなろう男だと思う。

 その立ち居振る舞い、見事であった。

 他の者にも淡々と茶を淹れ続けているのだが、素っ気ないようでしっかりとした配慮が行き届き、けれども全く押しつけがましくない。

 その在りようが凄いなと感じた。

 宗易の入れてくれた茶で一息つけ、一同は頭の切り替えが出来た。 


 「兎も角、毛利を訪ねる前に、まずは羽柴殿に顔を出しましょう」




 織田家の中国方面軍大将、羽柴秀吉(42)は播磨はりまの姫路城を拠点にしていた。

 姫路城は元々、周辺地域を治めていた小寺氏に仕えていた黒田官兵衛(33)の居城である。

 官兵衛は昨年の1578年、信長に反旗を翻した摂津せっつ荒木村重あらきむらしげに主君が呼応した際、翻意を促す為に村重のいた有岡城へと出向いたが聞き入れられず逆に捕まり、牢へと入れられてしまっていた。

 官兵衛が裏切ったと思った信長は、人質となっていた官兵衛の息子(後の長政)を殺すように命じたのだが、竹中半兵衛の尽力によってそれを回避している。

 そして有岡城は既に開城し、官兵衛は牢より救出されていた。

 

 「おみゃーが噂の男かや」


 勝二は姫路城に秀吉を訪ねた。

 中国方面軍にも勝二のアレコレは伝わっており、色々と噂となっていたので会見の場には多くの者が集まっている。

 史実では信長の後継者となる秀吉との初対面であり、勝二も緊張して頭を下げた。

  

 「五代勝二と申します」

 「お館様の下で汗を流す者同士だで、そにゃーに畏まらんといてちょー」


 そう言って秀吉は柔和に笑う。

 人たらしの評判通り、対峙した者の心を掴む笑顔と気遣いだった。

 



 「毛利の塩? あのお館様が良く許したもんだぎゃ!」


 訪問の目的を聞き、場には衝撃が広がった。

 敵には容赦のない信長のやる事には思えない。

 その時のやり取り、意図を詳しく述べる訳にもいかない勝二は、曖昧に微笑むだけだった。


 「はんべ……秀長、どう思うだぎゃ?」


 己の言葉にハッとしたような顔をし、慌てて弟(39)に尋ねた。

 秀吉の懐刀であった竹中半兵衛が病気で没し、間もない。

 両兵衛の片方、黒田官兵衛は牢より救い出されたばかりで、目下療養中である。


 「私にはお館様のお考えはとんと分かりませんが、毛利と戦にならないのならば歓迎します」


 温厚な性格の秀長にとり、戦が起こらない方がありがたい。

 ここで毛利方と和議を結べるならば、それはそれで歓迎すべきだろうと思う。

 双方の領地をハッキリとさせ、以後は統治に専念するのだ。

 そうでなければいつまで経っても国の開発が進まず、民の生活は苦しいままである。

 戦が続いて国は荒れ果て、田畑を失った農民が困窮して流浪している。

 一刻も早く戦乱の世を終わらせなければならなかった。 

 弟の言葉を受け、秀吉が勝二に言う。 


 「交渉が纏まりゃーえーが、纏まりゃーせんでも戦が残っちょーよ。気負いせんでやりゃーえー」

 「お気遣いありがとうございます」


 外交の最終手段が戦争だと言う。

 勝二はそうならないように交渉せねばと思った。

 尤も、心のどこかで安心感を覚えていたのも事実である。

 交渉に際し、軍事力という後ろ盾があるのは心強い。

 商社マンとして世界中を駆け回っていた頃、そのような類のモノは一度として存在した事がなかった。

 生まれて初めての経験に、戸惑いと共に奇妙な安堵がある。

 今も同じように奔走している筈の、かつての同僚達の苦労を偲んだ。 

  

 「宗易、折角おみゃーがおるんがや、茶を淹れてちょー」

 「少々お待ち下さい」


 秀吉が茶を求め、とりあえずの顔出しは終わった。

 



 「隆景様!」

 「何事だ?」


 小早川家の屋敷に緊張が走る。

 早馬からの連絡が入ってきた。


 「織田家の者が領地に来ております!」

 「何?」


 船でやって来たというその者らは、隆景(46)との交渉を求めているそうだ。

 

 「直接乗り込んで来ることは大胆だな」


 呆れるような感心するような、そんな気持ちである。

 以前、顕如に勧められて織田家との和睦を考慮した隆景だったが、強硬派の兄元春(49)を説き伏せる事は難しく、諦めていた。

 それが、織田から直接使者がやって来るとは思いもしない。

 てっきりその力で押してくるとばかり思っていた。 


 「如何なさいますか?」

 「追い返すのも芸がない。聞くだけ話を聞こう」


 どうせ自分の一存では決められない。

 兄に伝える為にも、話だけは聞いておかねばならなかった。




 「五代勝二と申します」

 「手前、小早川隆景と申す」


 彼の屋敷で二人はまみえた。

 隆景の勝二への第一印象は、織田家の交渉役にしては善良そうな、覇気のない男というモノだった。

 畿内をほぼその手に収め、南蛮と手を組んで日本を統一しようと企む織田の者にしては、穏やかに過ぎる気がした。

 頭は月代さかやきではなく、僧のように剃り上げてもおらず、中途半端な長さで切り揃えている。

 聞けば西洋の髪形だと言う。

 手を見れば刀で出来たタコがある訳でもなく、気を抜かずにこちらの動きに注意を払っている気配もない。

 少なくとも武人には見えず、かと言って僧侶でもなく、茫洋としてその正体を掴みかねた。


 「降伏でも伝えに来たか?」


 探りを入れる意味で尋ねた。

 織田の軍事力を背景にそれを勧めに来たのだろうが、直接戦ってもいないうちから飲む馬鹿はいまい。

 今は主として調略合戦となっており、互いの境に位置する勢力を自陣に取り込もうと、盛んに駆け引きを行っている最中だ。

 備前びぜん美作みまさか宇喜多直家うきたなおいえは織田に寝返り、代わりに摂津の荒木村重を翻意させた。

 しかし、村重の乱はあえなく潰され、織田軍による播磨一帯の支配は佳境を迎えている。

 それが終わり次第、毛利領に直接侵攻を始める事だろう。 

 手始めは、宇喜多領と接する備中びっちゅう高松城に違いない。 

 けれども、返ってきた答えは隆景の想像を遥かに越えていた。


 「新しいやり方で塩を大量に作って頂きたく、参りました」

 「塩だと?!」


 何を言っているのか意味が分からなかった。

 からかわれているのかと思ったが、その顔は嘘を言っているようには見えない。


 「本気で言ってるのか?」

 「冗談を言いにここまで来るとお思いですか?」

 「いや、それは、そうだが……」


 返答に窮した。

 周りは敵の中、命を懸けて交渉に来ている相手に、冗談は止めろと言うのは無礼であろう。

 そうであれば先程の言葉を、そのまま受け取れば良い事になる。


 「新しいやり方で塩を作れだと? 作ってどうするのだ?」

 「織田で買い取らせて頂きます」

 「何?!」


 それこそ驚くべき提案だった。

 敵対している相手から塩を買おうなどとは理解が出来ない。

 敵に塩を送るという言葉があるが、敵から塩を買うとは聞いた事もない。


 「何を企んでいる?」


 隆景がそう問うのも無理はなかろう。

 その意図がまるで掴めなかった。

 しかし、問うた相手の顔には何の含みも感じ取れない。

 真面目な表情であっさりと答えた。 


 「企むも何も、塩を大量に使う予定だからです」

 「何をする気だ?」

 「それは商売なので言えません」

 「何だと?!」


 醤油を作るとは口が裂けても言えない。

 どうせばれるが、今はまだ早い。


 「毛利で塩を作ってもらい、織田が買う。何か問題がございますか?」

 「い、いや、我らは敵対しているのだぞ!」

 「戦で命のやり取りをするのでしたら、ここで物と金のやり取りをしても全く問題ないのではありませんか?」

 「むむ……」


 隆景は言い返す言葉が見つからなかった。

 しかし、言った当の本人にとり、それは決して心地よい記憶ではない。

 内戦が起きた国の隣国で、頼み込まれて取引を成功させる為に尽力した事があるのだが、蓋を開けて見れば紛争当事者の両陣営が絡むモノだった。

 売りたい側も買いたい側も国の未来には頓着せず、己の私腹を肥やす為だけに取引の場を必要としていたのだ。

 何の事はない、上に立つ者同士は深く繋がっており、憎しみ合うのは下々だけ。

 後で事情を知って愕然とした勝二だったが、これはその遺恨を晴らす儀式と言える。

 やっている事は似ているが、争いをなくす事を目的とし、行う。

 経済的な繋がりが深くなれば、おいそれと武力を用いる事は減るだろう。 

  

 「つきましては現地で実地指導をしたいのですが……」

 「現地で、だと? うぅむ、相分かった。案内いたそう」


 勝二の申し出に、隆景も不承不承頷いた。

この時はまだ竹中半兵衛が生きていると勘違いし、半兵衛との話を作ってました。

よくよく調べたら既に病気に斃れている事が分かり、慌てて修正です。

力が抜けてしまい、筆が進みませんでした・・・

出そうと思っている人物を前もって調べないからこういう事になるのですが、泥縄の癖が抜けません。

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