幕間その15 ヴュルツブルグの異端審問
信長「延暦寺とは比べ物にならんぞ」
目の前の光景にポツリと呟く。
生臭坊主を山ごと焼き払った事があるが、ここまでの惨状ではなかった。
氏郷「整然としている事に恐ろしさを感じます」
戦では、その戦いとは直接関係のない婦女への乱暴、盗みや殺人等が発生する。
それらも戦の惨劇とは呼べるだろう。
しかし、眼前に広がるのはそのような狂乱とは違い、冷静さや秩序を感じる。
そこが信じられなかった。
忠勝「それにしてもなんて数だ……」
道沿いには数十を軽く越える、焼け焦げた十字架が並んでいた。
黒く煤けた十字架には、物言わぬ亡骸が残されたままである。
弥助「誰が誰なのか分からないよ……」
それらの遺体は年齢も性別も判然としないが、それでも分かる事があった。
幸村「随分と苦しんで死んだようだ」
十字架に括りつけられた中、炎から必死に逃れようとしたのか首をあらぬ方向に伸ばし、少しでも新鮮な空気を吸おうとしたのか、口を大きく大きく開けた遺体ばかり。
幸村は彼らの受けた苦痛を思い、静かに手を合わせた。
与幡『どうしてこんな……』
イサベル「ひどい事が……」
若い二人には悪夢としか思えない光景で、声にならない声しか出ない。
カルロス『一体何が起こったのでしょう?』
この村を出たのは数日前の事だ。
その僅かな時間で、このような惨劇が起きた事を不審がる。
信長「村人に尋ねてみるより他にあるまい」
一行は村の生き残りを探した。
村人A『客人らが出ていって直ぐだよ!』
村人B『町から兵隊がやって来て牧師様達を捕まえたんです!』
村人C『牧師様も女子供も火あぶりにされました!』
悲しみか怒りか、村人達は顔を歪ませて訴える。
信長「何の罪だ?」
村人A『カトリックを冒涜した罪だと言った!』
イサベル「そんな事でこのような虐殺を? あり得ません!」
信長「捕まった者は全員火あぶりに?」
村人B『町に連れていかれた者も多いです!』
村人C『お願いします!』
村人一同『仲間を助けて下さい!』
氏郷「いかがされますか?」
忠勝「一宿一飯の恩があるとはいえ他国の事だしな……」
忠勝「約束は出来ぬが善処はしよう」
イサベル「私が断固、抗議致します!」
一行はヴュルツブルグの町に向かった。
ヴュルツブルグの町。
忠勝「何だこれは!?」
氏郷「これが人のやる事なのか?」
幸村「度し難い……」
弥助「怖いよ……」
信長「正気を失っておる」
町を包んでいたのは熱狂で、その中心には教会があった。
教会の前にはずらりと十字架が立ち並び、それらを囲うように町の住民が集まっている。
その様子はまるでゴルゴダの丘のようだったが、磔にされたナザレのイエスとは違い、足元に積まれた薪が勢いよく燃えていた。
そうかと思えば絞首刑も行われているようで、麻袋を頭から被った者が多数、大木の枝から吊るされている。
その死体に向けて町の子供達が石を投げつけ、遊んでいた。
町に来るまでは大いに憤慨していたイサベルであったが、その異常な光景に恐れをなし、与幡と共に声を無くして震えていた。
氏郷「どうなさいますか?」
信長「下手に関わらぬ方が賢明だ」
忠勝「左様! 触らぬ神に祟りなし!」
燃え盛る十字架を見つめる民衆の表情は、長島の一向宗門徒を想起させた。
信仰心に陶酔して恍惚状態となり、説得も脅迫も意味をなさないのである。
領内に多数の門徒を抱える信長や忠勝にとっては冷や汗ものな状況で、近づく事さえ躊躇われた。
しかし、そういう時こそ放ってはおかれないらしい。
神父『これはこれは、神の国からお越しのお客様方ではないですか』
一行はヴュルツブルグの町でも歓迎を受けている。
バチカン公認の神の奇跡、日本から来た客という事で、町を挙げて歓待された。
そこに悪意を感じた事などなく、気持ちの良い滞在であったが、今は逆にそれが恐ろしい。
信長「その方ら、一体何をしている?」
神父『何、と申しますと?』
信長「それだ」
信長は十字架を指さした。
神父『ああ、これですか』
神父は質問を理解した。
神父『カトリックを貶めた者へ罰を下しただけですよ』
信長「罰?」
神父『そうです』
信長「カトリックを貶めたとは何だ?」
神父『この者らは不遜にも、カトリックの在り方に批判をしたとの事。カトリックこそ神の教えを広める唯一正当なる教会であり、それを邪教などとは言語道断!』
牧師との会話は筒抜けだったようだ。
それにしてもと思う。
信長「火あぶりにするような罪ではなかろう」
神父『何を仰いますか! カトリックを守る為には必要な処置ですぞ!』
信長「隣人への愛はないのか?」
神父『カトリックを貶めるような者は良き隣人とは言えません!』
そのやり取りにイサベルが正気を取り戻す。
イサベル『異端審問にしてもやり過ぎです!』
神父『やり過ぎとは思いません!』
イサベル『追放すれば済む話でしょう!』
神父『追放された先で同じ事を繰り返すだけです!』
イサベル『そうだとしても、その何が問題なのですか!』
神父『それではカトリックを守れないからです!』
イサベル『異端審問でカトリックを守れるとは思いません!』
神父『何を仰います! 王女殿下の父君こそ、カトリックの守護者として異端審問を進めておいでではありませんか!』
イサベル『それは……そうですが……』
日本の位置が移動した事により、神の存在が証明されたと人々は考えた。
民衆の信仰心は強まり、聖職者の持つ権力は増大している。
プロテスタントに苦々しい思いを抱いていたカトリックは、この絶好の機会に攻勢を強め、ヨーロッパからプロテスタントを追い出そうと画策していた。
信長「批判した者を殺さなければカトリックは守れないのか? それ程までに弱いのか?」
神父『弱い訳ではありませんが……』
信長「ならば火あぶりまでする必要はあるまい。財産を没収するなり、金山にでも送って働かせれば良かろう」
神父『しかし、カトリックの復権は皇帝陛下も求めておられるのです!』
信長「ならば我々がその方らの主君に尋ねて来よう。異端は火あぶりに処すべしなのかとな。それまでは処刑を待つが良い」
神父『しかし』
信長「黙れ! それが我が国のやり方なのだ! その方らの言い方に倣えば、神の国のな」
神父『わ、分かりました!』
信長「幸村!」
幸村「ははっ!」
信長「その方はここに留まり、処刑が行われぬよう見張っておれ」
幸村「承知しました」
信長「我らは先を急ぐぞ」
氏郷「責任重大ですな」
一行はプラハを目指して進む。
ヴュルツブルグで実際に起きた魔女裁判を参考にしました。
1625年から1631年にかけ、900人くらいが処刑されたようです。




