第170話 王家の軍
『イングランド軍は本島から来た援軍と合わさり、この町に向けてベルファストを出ました!』
報告の内容に道雪が首を傾げた。
戦に援軍など当たり前だが、島を越えてやって来る事にピンとこない。
アイルランド島とブリテン島は九州と本州の距離とは違うので、いまいち想像力に欠ける。
気を利かせて勝二が尋ねる。
『援軍の紋章は分かりますか?』
紋章が分かればどこの誰が率いているのか把握出来る。
尤も、聞いたところで勝二がそれを出来る訳ではないが。
複雑化した紋章の分類、識別はその専門家が当たる事になっており、紋章官と呼ばれる。
報告者にその知識はなかったが、特徴は捉えていたようだ。
『3頭のライオンに3つの百合の花です!』
場に衝撃が走る。
『3頭のライオンに3つの百合だと?!』
『イングランド王家の紋章じゃないか!』
愕然とした表情で互いの顔を見る。
そんな彼らを道雪は不思議そうに眺めた。
「皆は何を騒いでおる?」
「ブリテン島から来た援軍は、どうやらイングランド王家直属の部隊のようです」
勝二が事情を説明した。
少なからず自身も驚いている。
辺境の地にそのような部隊が来るとは思えなかったのだ。
しかし道雪には馴染みのない言葉である。
「王家直属とはなんじゃ?」
「王の命令だけを聞く精鋭軍の意味だと記憶しております」
「織田の母衣衆のような者か?」
「そのような理解で差し支えないかと」
母衣衆とは信長が厳選した近侍の家臣団で、黒母衣衆、赤母衣衆がいた。
有名どころでは前田利家、佐々成政がそれに当たる。
ようやく道雪もその意味を理解したようだ。
「つまり相手方は本腰を入れてやって来た訳じゃな」
「そのようです」
そんな二人に宗茂が声を掛ける。
「ちょっといいですか?」
「どうしました?」
何事かとその顔を見れば思いつめた様子で勝二を見つめている。
固唾を飲んで待っているとおもむろに口を開いた。
「ライオンは弥助殿が相撲で倒した獣でしたな」
「え?」
真剣な表情からは想像も出来ない質問だった。
「確か百獣の王でしたか」
「え、ええ、そうですね」
一瞬呆気に取られたが、ようやく思い出す。
大友征伐の際、弥助を紹介するのに信長が大法螺を吹いた事を。
今更あれは嘘だったとも言えず、勝二は曖昧に頷いた。
しかしそれに食いついたのが豊久だった。
「百獣の王だと?!」
意味は良く分からないが兎に角強いのだろう。
「虎に優るとも劣らない猛獣らしいですよ」
「何ぃ!?」
強きを重んじる薩摩者にとり、見過ごせる話ではない。
「虎退治は俺の夢だったが、この際ライオンでも構わねぇ!」
「素晴らしい考えです!」
二人は意気投合し、キラキラとした目で勝二を見つめる。
「ブリテン島には、そのライオンとやらがいるのですね?」
「え?」
どうしてという言葉が出るよりも早く、興奮気味の豊久が叫んだ。
「そりゃあいい! ブリテン島に行けば、虎狩りならぬライオン狩りが出来る訳だな!」
「ライオン狩りですか! 是非ともお願いしたい!」
物語で聞かされた虎退治に、幼心を刺激されて育ったのがこの二人らしい。
ここにきて小さな頃の夢が叶うかもと勘違いしたようだ。
興奮しきりの二人に勝二は悲しい事実を伝える。
「残念ながらブリテン島にライオンは住んでおりませんよ」
「え?」
「何?」
愕然とした顔で凝視した。
「我が国に虎は住んでいませんが、強さの象徴になっていますよね?」
「そうですね」
「だな」
だからこそ憧れたと言える。
「ヨーロッパにおいてもそれは同じで、ライオンは住んではいませんが強さの象徴になっています」
「そう、なのか……」
「勘違いでしたか……」
分かってみれば納得の話だった。
紋章は旗印と同じだと理解していたが、その図柄に用いられている事からその地に住む獣だと勘違いしてしまったらしい。
残念がる二人であった。
勝二はそんな二人を鼓舞するように言う。
「ブリテン島にライオンは住んでいませんが、やって来るのはライオンの群れよりも厄介な相手だと思いますよ?」
「それもそうだな!」
「確かに!」
途端に元気を取り戻した。
「立ち向かう敵は打ち破るのみ!」
「次で決着をつけてやるぜ!」
決戦を前に士気が上る二人だった。
「しかし王家直属の部隊ですか……」
勝二は一人呟く。
その意味するところが読めない。
それだけ事態が深刻だと受け止めたのか、力を入れざるを得ない問題でも生じているのかと考えを巡らす。
それとも他に理由でもあるのか。
「まさか女王自ら!?」
単なる思いつきだが気になった。
アイルランドに圧政が敷かれたのは彼女の意向とされており、反乱に際しては徹底して弾圧し、数万人にも及ぶ餓死者を出した事で知られている。
その女王が思い立った可能性もあろう。
もしもそうであるなら大いなる危機であると同時に、アイルランドにとっての仇を討つ絶好の機会でもある。
勝二は報告者に尋ねた。
『女王の姿を見たとか、そのような噂はありませんよね?』
返ってきたのは素っ気ない返事だった。
『そのような噂は全くありません!』
『それもそうですか……』
当たり前だよなと納得した。
エリザベス女王は政治に口を挟まなかったと聞く。
ましてや戦争を前線で指揮するなど考えづらい。
一人で頷く勝二に報告者が言う。
『女王の噂はありませんが別の噂はあります』
『それは一体?』
続きを促す。
『援軍は女王との恋仲が噂されている男が率いているようです』
『女王と恋仲!?』
それにはビックリした。
驚く勝二に、そのやり取りを聞いていたイーファが口を出す。
『その噂ならこの町で聞いた事があるよ』
『どんな噂ですか?』
洋の東西を問わず各家庭に水道が引かれるまで、庶民であった女性達の社交の場が共有の井戸であり、真偽不明のゴシップから精度の高い情報まで活発にやり取りされていた。
ただの噂として聞く耳を持たないのは勿体ない。
『これまで誰とも結婚しなかったあの女王が、秘かに男の子を産んだって話さ』
『あの女王が子供を?!』
今度こそ跳びあがるくらいであった。
史実を知っているからこそだ。
そんな勝二を不審げに眺める。
『そんなに驚く事かい?』
『いや、だって、あの処女王ですよね?』
若干焦りながら言い訳する。
イーファはいくらか非難めいた顔で言った。
『処女王が処女じゃなくなったってだけじゃないのかい?』
『それはそうですが……』
女なんだから子供くらい産むだろうとでも言いたげである。
史実と違うんですと叫びたい勝二であったが、それも今更かと思い直した。
『歳が歳だから嘘かもしれないけどさ』
『ええと、女王は今何歳くらいでしたっけ?』
『正確には知らないけど50歳は越えてる筈だよ』
『高齢での出産は珍しいですが、ない訳ではありませんからね』
『まあね』
イーファが念を押す。
『あくまで噂だからね?』
『分かりました』
たとえ根も葉もない噂であっても、部分部分には真実が含まれている事もある。
正しい情報を繋ぎ合わせれば見えてくる物もあった。
大抵の場合、伝言の途中で余計な情報が加わっていたり、逆に必要な要素が消えてしまっている。
公的文書などで裏付け出来ないこの時代、情報の真偽を判定するのは厄介だった。




