第168話 アルスター解放
反乱軍改めアイルランド解放軍はダブリンを発ち、アルスター地方を奪還すべく、まずはアントリムへと進んでいた。
同地方は島の北東部に位置し、ノース海峡を挟んで対峙するイングランド王国から、直接的な支配を受けている地域である。
イングランドの船が出入り港町ベルファスト、アイルランド島最大の湖、ネイ湖の湖岸に栄えるアントリムが主要な町となる。
解放軍を迎え撃とうと、イングランド軍はネイ湖のほとりで待ち構えた。
「矢を放て!」
状況を素早く判断し、道雪は次々と的確な指示を飛ばしていった。
鉄砲だけに拘らず、場と目的に応じた武器を巧みに用いて相手を翻弄する。
「敵が浮足立ったぞ! 鉄砲隊の出番じゃ!」
伏兵を配し、陽動し、奇襲や夜襲を仕掛け、時に正面突破を試み、後退したと見せかけて敵の側面に回り込む。
この進軍は道雪の戦遍歴の集大成と言えた。
娘婿である宗茂に己の知見を余すことなく伝授しつつ、ややもすると馬鹿正直に戦いがちなアイルランド人を戦巧者に育て上げていく。
根が真面目で正直な両者は、道雪の教えを瞬く間に吸収していくのだった。
「敵が退却していくぞ! 畳みかけよ!」
自らが率いる戦では負けた事がない。
その実績はアイルランドでも健在であった。
『アントリムを取り戻したぞ!』
『残るはベルファストだけだな!』
這う這うの体で逃げていくイングランド軍を見送り、解放軍の間には歓喜に満ちた声が飛び交う。
しかし、喜びに湧く彼らは直ぐに豹変する事となる。
『小麦が?!』
その報告がネイルの下へと届いたのは、町の解放を宣言してから暫くの事だった。
城の貯蔵庫へと急行する。
そこには青ざめた表情で立ち尽くす、食事係のイーファら女達がいた。
『何という事を……』
一目で状況を理解する。
貯蔵庫の前には広場があり、麻袋から取り出された小麦で地面がすっかりと隠れていた。
惨状はそれだけではない。
辺り一面、鼻の奥をツンと突き刺す悪臭が漂っている。
兵士らの排泄物を小麦の上にばら蒔いたのだろう。
城から撤退するのに合わせ、解放軍に利用させないよう意図したのだ。
『中は?』
ネイルの問いかけにイーファは答えず、ただ首を静かに横に振るのだった。
それで察したが、確認の為に足を踏み入れる。
『酷い……』
およそ利用出来る状態ではなかった。
『憎きイングランド人達は城の去り際、貯蔵庫にしまってあった小麦の多くを駄目にしてしまいました!』
話を聞きつけ、血相を変えて集まった者達にネイルは事情を告げた。
城に貯め込まれた穀物をあてにし、解放軍に加わった者達も多く、その話には落胆が広がった。
その後に覚えたのは、空腹を忘れてしまうような猛烈な怒りである。
『この島で穫れた物は我々の物です!』
ネイルの訴えには誰もが頷いた。
アントリムを含め、ネイ湖の周りは豊かな農地が広がる穀倉地帯である。
それなのに、そこに住む農民達は皆やせ細り、満足な食事さえとれていない。
監視の目が緩い田舎とは違い、統制が行き届いていたのだろう。
働くのに支障が出ない程度に飢えさせ、反乱を起こす気力を奪うのだ。
『豊かなこの島に住む我々が、どうして飢えねばならないのでしょうか!』
それは慟哭に似た叫びであった。
アイルランドの大地は実り豊かである。
また、助け合いを良しとする住民達の気質も合わさり、大規模な飢饉が起きる事は稀であった。
それが、外からやって来たイングランド人に理不尽な税を課されて収穫物の多く を奪われ、貧しい農民は冬を越えるのに必要な薪や食料にも事欠く有様となっている。
ひとたび天候不順でも起きようものならたちまち困窮し、飢え死にする者を多く出した。
そんな惨状を憂いつつもネイルが言う。
『なるほど、島を治めるのに税が必要な事は認めます』
その言葉には戸惑いを浮かべる者も多かった。
税と聞くだけで拒否反応が出たのかもしれない。
説明するように続けた。
『村の橋が壊れた時、その村に住む者達がお金を出し合い、直す筈ですから』
その言葉には群衆も頷くしかない。
どの家も金に余裕はないが、生活に直結する橋や井戸の修理時には進んで協力する。
どうしても金の都合がつかなければ力仕事を引き受け、共同体の一員としてその責務を果たした。
『村の橋ならばそれで良いでしょう! それぞれがそれぞれの出来る事で協力すればいい事です』
ネイルの演説は続く。
『では、この島を侵略しようと企む輩がいる場合はどうでしょう?』
群衆は言葉に詰まった。
すぐさまネイルが答える。
『兵を鍛えて備えるしかありません!』
勝二から聞いた話を己の中で消化し、導き出した答えだった。
『この島を守るのは私達しかいないのですから!』
同じカトリックだからといって、他国に援軍を求めても叶わなかった。
口では同情めいた言葉を並べるのだが、何かと理由を付けて先延ばしにされ、一向に実現しない。
自分達でやらねば誰がやってくれるというのか、その事を痛感した。
『島を守るには費用が必要です! 武器を買うにもお金がかかりますから! そを賄うのが税です! 税は必要なのです!』
一同、口を挟む事は出来ない。
『しかし、納めた税は全て我々の為に使われなければなりません!』
それは全く新しい発想であった。
初めて聞く考え方に聴衆は心を奪われる。
『以前の我々はこの島の貴族達に税を納め、島の事を任せていましたね。彼らは屈強な騎士団を率い、この島を守ってくれていました』
遥か遠い昔のように思えるが、実際には最近の話だ。
『生活は決して楽ではありませんでしたが、村の皆で協力し、助け合って暮らしていました』
戦争の事など考えもせず、長閑な農村の暮らしがそこにはあった。
『それがどうなったでしょう? あれだけ強そうな騎士団も、あえなくイングランド軍に破れてしまったのです!』
陽光を受けて虹色に輝く鎧を身に纏い、刃こぼれ一つなく磨き上げられたロングソードを装備した、おとぎ話に登場するような騎士の集団を思い出す。
子供心に憧れた存在であったが、現実は無情だった。
『異国の者に島を支配されればどうなるのか、今更言う必要はないでしょう』
言葉では表せない怒りや悲しみ、苦しみや痛みがあった。
俯く一同にネイルは一際大きな声を出す。
『しかし、そんな屈辱と痛みに耐えかね、遂に我々は決起しました! 相手は屈強な騎士団を打ち破ったイングランド軍です! 勝ち目なんかありません!』
畳みかけるように言う。
『それがどうでしょう? 貧しい農民の集まりでしかなった我々が、蓋を開けてみれば彼らを見事に打ち破り、ダブリンからも、このアントリムからも追い払う事が出来たのです!』
『おおぉぉ!』
ネイルの言葉に大きな歓声が上った。
耐え忍んだ痛みが大きかった分、それから解放された喜びはひとしおである。
しかし彼は安堵に浸る時間を与えない。
『屈強な騎士団でも勝てなかったのに、どうして勝てたのでしょう?』
その問いかけに、一人の男が右手を高く挙げて叫んだ。
『銃だ!』
手には日本製の火縄銃が握られていた。
ネイルは手を叩いて喜ぶ。
『そうです! 我々の手には今、銃があります! それが答えです!』
火縄銃がなければ、抗う道を選ぶ事さえ出来なかっただろう。
併せて戦う術を教えてもらったからでもあるが、その事実は口に出さない約束となっている。
誰もが知っているが決して口に出さない、公然の秘密だ。
イングランドやバチカンの耳に入れば日本の立場が悪くなるので、恩に報いる為にも秘匿する事にした。
『銃があれば剣を扱う技術は要りません! 騎士団がなくとも敵を追い払えるのです!』
それはこれまでの実績で証明されてきた。
むしろ、見栄や名誉に縛られず、共同体の一員として自己を律して暮らす事の多かった農民の方が、個人の技量に重きを置かない、鉄砲を主体とした戦い方に合っていると感じる。
勝二が力説していた事だが、これからは銃器の時代であり、備えあれば憂いなしという日本のことわざを教えてもらった。
『島を我々の手で取り戻しましょう!』
自信を深めた農民達は決意を込めて頷く。
そんな彼らを頼もしく思い、ネイルはアイルランドの将来を語る。
『我々の手で我々の国を作るのです!』
北条早雲に感化されたネイルが率いる、国造りの始まりであった。
何となく書けずにいたところ、時間だけが過ぎてしまいました。
完結まで辿り着きたいと思っています。




