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第167話 伯爵の死と女王の決定

 『伯爵である私に何たる仕打ち!』


真っ赤な顔で叫ぶ。 


 『貴族の扱いも知らぬ未開人共め!』


 怒りのままわめく伯爵は手足を縛られ、地面に這いつくばっている。

 その様は収穫祭で饗される、豚の丸焼きを連想させた。

 伯爵の周りには村人達が円を描き、囲んでいる。

 その目は生贄の羊を見るようで、気づいた伯爵は思わず肝が冷えた。

 

 「で、どうなるんだ?」


 そんな彼らを城壁の上から見下ろし、豊久が尋ねた。

 当事者ではないので席を外し、ネイル達が結論を出すのを待っている。

 道雪は疲れた体を休めているようだ。

 どんな決定にせよ異議を唱えるつもりはないが、選ぶ道は絞られる。

 

 「人質として身代金を取るか、イングランドへの断固とした決意を示すかでしょうね」


 勝二が答えた。

 要領を得なかったのか豊久が重ねて尋ねる。


 「それはつまり金か死かって事か?」

 「端的に言うとそうなります」


 人質を取ればイングランドからの心証は悪くなるが、国同士の関係性に決定的なダメージを与える訳ではない。

 しかし、断罪を選ぶ場合、アイルランド側の士気はもれなく高まるだろうが、イングランド王国との関係は途絶するだろう。

 元商社マンの勝二としては、今後の選択肢を多く保つ意味でも、人質にする方向でまとめて欲しいところである。


 「そもそも身代金ってのが分からねぇ」

 「全くです」


 豊久の呟きに宗茂が頷く。 

 同盟国に人質を出す事はあるが、金を払って取り戻すなど聞いた事がない。

 それに、である。


 「戦に負けて城が落ちるなら、その大将は潔く腹を切るか、打って出て敵に首を切られるのが筋じゃねぇのか?」

 「その通りです」


 勝二のいる世界では起きていないが、明智光秀に攻められた信長は本能寺で果て、羽柴秀吉に攻められた柴田勝家はお市と死を共にした。

 また、秀吉に包囲された備中高松城では、城主が腹を切る事で家臣の命乞いをしている。


 「ヨーロッパでは違うようですね。戦に負ければ賠償金、つまり償いのお金を払う事はありますが、大将の首でケジメをつけるような事はありません」 

 「戦で負けた上に金まで取られるのかよ!」

 「強欲にも程がありますな!」


 二人は驚いた。

 

 「第一、金を払ってまで人質を取り戻す意味があるのか?」

 「左様。名君、名将であるならば兎も角も……」


 村人達に詰め寄られ、悲鳴を上げている男を見つめる。

 いくらになるのか知らないが、身代金を払う価値があるのかさえ疑問に思った。

 ポツリと勝二が言う。 


 「失敗には死で償う」

 「何?」


 不意に出た言葉に豊久は戸惑った。

 勝二が続ける。


 「取り返しのつかないあやまちには腹を切って責任を取る。命で償う行為を良しとする我が国は、世界の中では異端です」

 「そういうもんか?」

 「確かキリスト教では、自ら死を選ぶ事を禁じているそうですね」

 

 名誉を守る為には腹を切るのが当たり前。

 そんな二人にはピンとこない話だった。

 

 「自死を選ばないのは神への信仰も影響しているのでしょうが、ヨーロッパの貴族は政略結婚を繰り返し、敵国であっても案外と血縁が近いのも、人質となる事を選ぶ理由の一つだと思われます。貴族は誰もが遠い親戚同士だから、暗黙の了解として貴族の人質を手荒には扱わないのでしょう。次は自分の番かもしれませんから」

 「はっ! 意気地がねぇ奴らだぜ!」


 豊久が笑い飛ばした。

 宗茂は別の疑問を持ったようだ。


 「娘を嫁に出す、出来の良い者を婿に取るのは我が国でも普通です。ヨーロッパはどのようにしているのですか?」

 「たとえば日ノ本の同盟国であるスペインですが、国王フェリペはハプスブルク家の出身で、記憶が正しければ4人の女性と結婚しています」

 「側室のような形式で?」

 「いえ、違います。キリスト教徒は一人の夫に一人の妻です。病気で亡くしたり離婚を経て、再婚を繰り返した形です」

 「成る程」


 勝二がフェリペの事を説明する。

 

 「初めの結婚相手はポルトガルの王女で、次にイングランドの女王メアリーと、

続いてフランスの王女と、最後にオーストリアのハプスブルク家、自身の姪と結婚しました」

 「王家ばかりですね」

 「ヨーロッパの各王家は政略結婚を繰り返し過ぎて複雑怪奇です」

 

 勝二は主としてスペイン、フランス、イングランドの王家について述べた。

 続く形で、各国がどのように統治されてきたかをざっと見る。


 「とこのように、彼らは長年に渡ってヨーロッパを支配しております」

 「何だよそれは!」

 「国はその者らの駒ではありませんぞ!」


 勝二の話に二人は憤る。

 領地は命を懸けて守り、命を懸けて相手から奪う物だ。

 結婚の土産として気軽に与えられたり、与えたりする物ではない。

 

 「それも良し悪しでしょう。その地に執着が強すぎれば出さなくても良い被害を出すやもしれませんし、思い入れがないからこそ冷静な開発が出来る事もあります」

 「だからってよ!」


 豊久が異を唱えるのと同時に伯爵の大声が響く。


 『神への信仰は聖書さえあれば完結する!』

 

 見れば、上体を起こした彼の演説が始まっていた。


 『バチカンなんぞを有難がっているから未開なままなのだ!』


 どうやら宗教についてのようだった。


 『お前達が貧しいままなのは、税を納めた上に尚、教会へのお布施を払っているからだろう!』


 反論でもあったのか、伯爵が吼える。


 『馬鹿を申せ! 我々が統治しなくても税は必ず発生する!』


 何を話しているのか分からないが、伯爵の言う事も尤もだと勝二は思った。

 平等を謳う筈の共産党政権であっても税はある。

 

 『お前達カトリックの問題点は、自国の教会のみを支えれば良いのではなく、遠いバチカンをも財政的に支えねばならない事だ!』


 滔々と自説を述べた。

 不意に調子を変え、問いかけるように話す。


 『お前達が苦労して寄付したお布施で、バチカンに住む者共は何をしていると思う?』


 笑みさえも浮かべ、言う。


 『芸術品を掻き集め、美食の限りを尽くしておるのだぞ!』


 太った伯爵に言えた義理ではないなとは思う。

 自分も同じ事をしているのではないかとも。

 しかし、そのようなツッコミをする野暮な村人はいないらしく、言われるがままである。


 『腐敗したカトリックとは決別する事こそ、神の御心に適う行いである!』

 

 神妙に自分の話を聞く村人達に調子づいたらしい。


 『我がイングランド王国がお前達を支配し、正しい道へと導く事こそ、神の御心に沿うのだ!』

 

 言い過ぎだったようだ。

 怒った村人達の手が伯爵に延びる。

 

 『めろ!』


 しかしまらない。

 数人が伯爵の手足を掴み、そのまま乱暴に通りを引きっていく。

 

 『放せ!』


 伯爵の怒声もどこ吹く風、広場へと到着する。

 広場の真ん中には大きく枝を張った木が生えており、その枝から一本、先が輪っかとなった縄がぶら下がっていた。

 縄の下には人が一人、登れるだけの台がある。

 後ろ手に縛られた伯爵は恐怖に怯えた。  


 『こ、こんな事をして許されると思っているのか! 神の罰が下るぞ!』


 膝が震えそうになるのを必死で我慢し、虚勢を張る。

 しかしまるで通じない。

 村人達は嫌がる伯爵を無理やり台に乗せ、その首に縄を掛けた。


 『身代金は要らないのか?』

 

 なだめるように言うが効果はない。


 『止めてくれ! 頼む!』


 涙を流さんばかりに懇願するが聞き入れられない。

 台を蹴飛ばそうと一人の足が伸びる。


 『助けてくれぇぇぇ!』


 伯爵の悲鳴が城内に響いた。




 「……終わったようですね」

 「民から随分と恨まれていた事が伺えます」

 「大人しく投降するからだ。歯向かっていれば俺が殺してやったのに」

 

 反乱は成功し、アイルランドを不当に支配していた男は刑に処された。

 

 「これからどうするのです?」


 宗茂が尋ねるが、答えようとする前にネイルの姿が見えた。

 聖職者でありながらその顔は幾分晴れやかである。

 勝二が声を掛けた。 


 『ひとまず終わりましたね』


 ネイルは頷き、そして言う。


 『しかし、これは始まりです』


 勝二も頷いた。

 この戦いは前哨戦に過ぎない。

 そこでふと、階下でのやり取りを思い出した宗茂がネイルに問う。


 『何か言い争っていたようですが、何だったのです?』

 

 カトリック云々だろう。

 案の定、そのような内容の事を話し始めた。

 

 『自分達が日々の生活にも困っているのに、他の者を助ける余裕があるのかと言われました』


 自分が貧しい時にこそ隣人への愛が試されるとはいえ、カトリックの総本山は贅を尽くしたままに見える。


 『彼の言っていた事にも一理あります』


 ネイルが言った。


 『我々はカトリックとしてバチカンの助けを期待していましたが、それは大きな間違いでした』


 きっぱりと述べる。


 『このアイルランドを守るのは我々しかおりません』


 その決意は後に形となり、ネイルらはバチカンの統制を離れる事となった。

 アイルランド国教会の創立である。

 しかしバチカンは怒り、ネイルらは破門される事となる。

 そして、アイルランド国教会の成立に日本の影があると考えたバチカンは、日本への不信感を募らせていく。


 「誰ぞ、叫んでおったか?」

 「ええ、まあ」


 起きてきたのか、寝ぼけまなこの道雪が問うた。

 勝二が事のあらましを伝えた途端、道雪の目が鋭く光る。


 「という事はいよいよじゃな」

 「え、ええ。イングランドから本格的に攻めて来るでしょう」


 時について行けないと感じる、頭の切り替えの早さだった。  




 ロンドン。


 『アイルランドで反乱ですって?!』


 その報告は女王を苛立たせた。

 スコットランドとの間で起きたいざこざを、解決したばかりでこれである。

 悲報は続く。


 『エセックス伯であるウォルター・ディバルー卿が、反乱軍によって無残にも殺されました! 絞首刑にされ、見世物となっているようです!』

 『何とおぞましく野蛮な者達!』


 怒りで肩を震わせる。 


 『逆らう者には容赦せず! 直ぐに鎮圧軍を派遣しなさい!』


 カトリック教徒にも寛容さを持つ彼女であったが、王国の貴族が殺されたとあっては別だ。

 女王の命令に宰相が意見する。


 『それにつきましては女王陛下』

 『何です?』

 『鎮圧軍は景綱様に率いて頂くべきかと存じ上げます』

 『景綱様に? 一体どうして?』


 愛する者の名を挙げられ、女王は首を傾げた。

 宰相が説明する。


 『ここではっきりとした功を上げて頂けば、女王陛下とは不釣り合いだと不満に感じている者達も納得するかと存じ上げます』

 『まあ!』


 その指摘に、まるで少女のように喜んだ。




 『アイルランドの鎮撫役、引き受けた』


 女王の命令を景綱はうやうやしく頷いた。

 スコットランドとの争いにも参加していたが、碌な功は挙げていない。

 はやる景綱にエリザベスが心配げに言う。


 『くれぐれもご無理はなさいませんよう……』


 しかしそれは通じなかった。


 『お恐れながら武家の男に戦場で無理をするなとは、全くの無駄というもの』

 『また、そのような……』


 何度となく繰り返してきたやり取りである。


 『戦場での死は武士のほまれにございますれば、ここが今生の別れになろうとも些かの後悔も致しませぬ』

 『日本の騎士道は理解に苦しみます……』


 頑なな夫に溜息をつく。

 部隊を率いる立場にありながら、単騎で敵に突入するといった無茶をしてきたのが彼である。

 生き急いでいるようにも見えるが、だからこそ惹かれたといえる。

 貴族の間では無謀、蛮勇とのそしりもあるが、国民の人気はすこぶる高い。 


 『ご無事で……』


 エリザベスはそう祈る事しか出来なかった。

 二人の子供である英利綱えりつなも父親を見送る。


 『父上のご活躍をお祈りしています』

 『うむ』

 『母上を頼んだぞ』

 『はい!』


 景綱はイングランド王国の正規軍を率い、アイルランドへと旅立った。

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