第162話 挑発
その日、ショーンらから精一杯のもてなしを受けた一行は、小石を積み上げて作った粗末な庵に驚きつつ、それでも揺れる事のない寝床に感謝して眠りについた。
そして翌朝、島を離れてアイルランド本島へと向かった。
修行していた修道士らをネイルが説き伏せ、同船させている。
『一体何を考えているんだ?』
ショーンがネイルに尋ねた。
約束の地はアイルランド本島にあると言ったきり、碌な説明がないままである。
『詳しい事はポートマギーに着いてから話すよ』
『期待させてもらうとしよう』
故郷を救う為、危険を冒して旅に出た友人。
その彼がそう言うのであれば、大人しく待つしかないとショーンは思った。
『もう限界だ!』
一人の男が怒りに染まった表情で言った。
それをきっかけにし、溜まりに溜まった鬱憤が爆発する。
『奴ら、牛も馬も持っていきやがった!』
『俺の家も根こそぎだ!』
『明日のパンも作れねぇぞ!』
ダブリンの農民達が口々に叫ぶ。
収穫した小麦は税としてその多くを取られ、僅かに残った分も借金の返済などで消え失せた。
課せられた税は果てしなく重く、かつ容赦ない。
『このままだと飢え死にだ!』
男達には冬の訪れと共にやって来るであろう、自分達の家族に待ち受ける過酷な運命が見えた。
『立ち上がるしかねぇ!』
その言葉に賛同が集まる。
『そうだ!』
『やるしかねぇぞ!』
誰も嫌とは言わない。
『イングランド人をアイルランドから追い出せ!』
『ここは俺達の島だ!』
生きる為に戦う。
そうと決まればやる事は多い。
『人を集めろ!』
『武器を搔き集めるんだ!』
最近はイングランドによる支配が強化され、反乱の際に使われそうな物は既に没収されている。
それでもなお、抵抗する道を選んだ彼らの覚悟は固い。
『鉄砲を1万挺?!』
『それに必要な弾薬も用意してくれるそうだ』
アイルランドの南西、ポートマギーで披露されたネイルの話は、およそ現実離れした物だった。
大西洋に突如として現れた日本が提供する武器を使い、自分達の手で島を取り戻すというその計画は、彼を連れて来てくれた日本人の珍妙な風体も合わさり、子供の時に母親から聞かされた、口から火を噴くドラゴンと戦うお話のようだ。
そんな夢物語を熱く語る男の姿は、さながら剣だけでドラゴンに敢然と立ち向かう、勇者のそれだった。
『すまないが信じられないぞ……』
友人の隣にいる、澄ました顔の日本人をチラチラと見ながらショーンが言った。
鉄砲自体が高価であり、かつ消耗していくばかりとなる、弾薬の値段も高くつく事は知っている。
何らかの対価を得た訳でもなく、そのような大盤振る舞いをする筈がない事は、世俗に疎い修道士とはいえ心得ていた。
『彼は騙されているのでは?』
『そうだな。その者達に利益がない』
他の修道士達も頷き合う。
貧しい子供達を助ける為、寄付を約束してくれた富める者達が、蓋を開けてみれば腹の足しにもならない額しか集まらなかった事は何度もある。
この者達もネイルに上手い事を言って丸め込んだのだろう。
ふと気づく。
『まさか、このアイルランドを日本に差し出すつもりなのか?』
『そういう事か! イングランドに取って代わるつもりなのだ!』
成る程と思う。
それならば合点がいく。
武器を与えて互いに争わせ、弱ったところを横から掻っ攫うのだ。
同盟し、裏切り、敵の敵に資金援助をし、何かと口実を見つけて武力介入する。
大陸ではそのような権謀術数が盛んだと聞く。
目の前の男達も、おおかた同じような輩に違いあるまい。
『それは違う!』
仲間達の言葉にネイルが異を唱える。
『何が違うものか!』
『ならば理由を説明せよ!』
しかし直ぐに否定された。
見かねた勝二が口を挟む。
『お待ち下さい!』
『アイルランドの言葉?!』
異国の者から発せられる故郷の言葉に、修道士達は戸惑った。
『今まで黙っていて申し訳ありませんが、皆さんの言葉は大まかにですが理解出来ます』
『何?!』
仲間に問い質す。
『ネイル、本当なのか?』
『話す事まで出来るのはこの二人だけだが、道中ずっと我々の言葉を熱心に学んでくれたのだ』
『異国の者が我々の言葉を……』
信じられない思いであった。
駄目押しをするように宗茂が言う。
『貴殿らの国を訪れる者として、わきまえるべき礼儀だと心得る』
『訪れる者の礼儀……』
傲慢なイングランドの役人が嫌でも頭に浮かび、それと対照的な彼らの言葉に思わず胸が熱くなった。
アイルランド語など一切顧みない役人達は、イングランド語が通じないと怒り出すのが常である。
自分達の国に住んでいるのに、憎き相手の言葉を習わなければならない。
その理不尽さに耐え忍んでいたところの、日本人から発せられた先の台詞。
感動すら覚えていた。
半ば呆然としている彼らに勝二が言う。
『礼儀は兎も角、イングランドに取って代わるのが我々の目的であれば、将来の敵にみすみす武器など提供しませんよ』
修道士達はハッと我に返る。
弾薬は消耗品だが、鉄砲本体は長く残る物だ。
以前の持ち主に銃口を向けたら、鉄砲が嫌がって弾を出さないという事はない。
『それは、そうだな……』
『確かに……』
なので、勝二の説明に納得した。
『では一体どうして?』
当然、その疑問が浮かぶ。
『我々がネイルさんにご協力する理由をご説明する前に、どうやってネイルさんと出会ったか、そこからお話し致しましょう』
『それは知りたかったが……』
真面目そうな顔付きをした異国の男に、延々と説教を続ける修道院長の姿がなぜか重なり、これはは長くなりそうだとショーンは予感した。
『とまあ、そのような経緯でネイルさんと出会った訳です』
『ネイル、お前って奴は!』
『神よ!』
予感が的中し、どこまで続くのかと心配したが、退屈しなかったどころか興奮を覚えた。
友人であるネイルも途中で参加し、日本に着くまでの航海の様子や、言葉が一切通じない島民達との生活模様を、身振り手振りを交えて説明する事で、彼らを後ろで見守るポートマギーの住民達と共に、終わるまで飽く事なく聞く事が出来た。
友人の冒険に半ば呆れ、半ば羨ましさを感じる。
信仰の生活に後悔がある訳ではないが、幼い頃に夢見た、見知らぬ場所への探検という、とうの昔になくした筈の宝物がひょこりと見つかった、そんな気がした。
童心に返ったのか偉大なる神の計らいでも感じたのか、その場にいる者は皆熱に浮かされた顔をしている。
それでは話が進まないので、勝二が強引に続ける。
『そして我々がネイルさんを支援する目的です』
その言葉に聴衆は現実へと戻された。
『とまあ、そのような理由で、アイルランドには独立して頂く必要があります』
『イングランドによる蝦夷地侵入を未然に防ぐ為、か……』
『島伝いに日本へと行けるとなれば、強欲なイングランドの事だ、必ずやそうするだろう』
『勝手な言い草だが、綺麗事を言われるよりはマシか』
日本の事情を説明する勝二に、ショーンらは不服そうではあるが頷いた。
『全ては我々の都合である事は承知しております。その代わりとしての鉄砲1万挺ですし、戦場での鉄砲の扱いに精通したこのお方、戸次道雪翁がこの地に骨を埋める覚悟でやって参りました』
勝二に促され、道雪が会釈する。
ただ者ではないと感じさせる雰囲気ながら、足が悪くて不自由しているようだ。
『君達の申し出は、アイルランド人としては誠にありがたいのだが……』
『我らは神に仕える修道者。争い事に加わるつもりはない』
ネイルが想定していた答えが返ってくる。
汝、殺すなかれがキリスト者の基本であろう。
アイルランド人として、イングランド支配からの解放を求めたとしても、自ら戦う道は選ばない。
『ネイル、君はまさか……』
ショーンがハッとし、友人の顔を見つめた。
『うん。私は参加するよ』
『やはり!』
思った通りである。
抗議に口を開こうとする仲間達の機先を制し、ネイルが言う。
『我らの為、異国の方が危険を顧みず来てくれたのに、願い出た当の私がいないのでは話にならないからね』
その言葉に聖職者達は黙った。
「修道士の事はネイルさんに任せるとして、問題は町の人ですかね?」
勝二らは視線を後ろで見守る住民達へと移す。
話の流れをしっかりと理解しているのか、住民を代表して一人の事が言った。
村長であるようだ。
『高価な鉄砲を支援してもらって図々しいとは思うのですが、正直、初めて出会う方々の指示に従おうとは思いませんな』
落胆はしない。
「まあ、そうでしょうね」
「見ず知らずの他人に命を預けるなど、容易に出来る事ではありません。仕方のない事です」
「他人でもそうなのじゃから、生まれも言葉も違う我らの事を、初対面で信用せよと言う方が酷じゃろう」
「ちっ! だからイングランドに負けたんだろうによ!」
道雪、宗茂の言葉に豊久が毒づく。
二人に学ぶ事が多いだろうと、船から降ろされた形だ。
何で俺がという思いもあり、八つ当たりに近い、
「となると計画通り……」
「左様。我らの力を見せて従わせるのみ」
「腕が鳴りますな」
「航海で体がなまっていたから、丁度いい鍛錬だぜ!」
張り切る3人に比べ、勝二の顔は曇ったままだ。
「少しづつ信頼を積み上げていくべきだと思うのですが……」
「時間が勿体なかろう!」
「今は急ぐべきです!」
「そうだ! まどろっこしいぜ!」
檄を飛ばされ、勝二もようやく覚悟を決める。
自分達を見つめるポートマギーの住民達を睨み、高らかに笑った。
『フハハハハ!』
主君信長をイメージしている。
突然笑い出した男に、修道士らも何事かと振り向く。
『一体どうしたのです?』
『お前達は世界を知らぬ田舎者と見える!』
『何?!』
まるでイングランドの役人のような台詞に住民は怒った。
意に返さず勝二が言い募る。
『ここにいるのは戦国日本を代表する武人達! つまり戦闘のプロフェッショナル! アイルランドが独立を果たす上でこれ以上の人材はいない! それが分からないお前達の目は節穴だ!』
続けて言う。
『この翁、名を戸次道雪という。少年の歳に初陣を飾って以来、大きな戦に参加した数40、小さな戦は百を越え、自らが率いた戦では負けた事がないとして、戦の神と讃えられている!』
次へと移る。
『この者、戦の神が跡継ぎに欲した男で、名を高橋宗茂という。あらゆる武技に通じ、その腕前は名人も唸る程! この男に掛かれば、どんな素人でも直ぐに歴戦の勇者に匹敵する働きをしよう!』
最後に豊久を紹介する。
『この者、歳こそ若いが日本でも指折りの戦闘集団、島津の出身である! 島津の勇猛ぶりは日本中に轟き、この戦の神も大いに手こずった! この男がいればどんな劣勢でも挽回しよう!』
呆気に取られるアイルランド人に告げる。
『私の言葉が信じられない? ならばそれをこの場で証明してみせよう!』
そして言った。
『鉄砲でも弓でも剣術でも、レスリングでも何でもいい! 腕自慢がいればこの場で名乗り出よ! その悉くをこの者達が退けてみせよう!』
ノリの良い者はどこにでもいるらしい。
『面白ぇ! 俺がやってやる!』
一人の若者が早速名乗り出た。




