幕間その7 フランスへ
一行は陸路でフランスを目指す。
氏郷「歩けども歩けども道が続いておりますな」
忠勝「よもやここまで大きな国とは思わなかった」
元春「左様。現に安芸から畿内まで行くよりも歩いておるぞ」
義弘「大陸とは、かくも広大な地域なのだな」
信長「スペインは蝦夷地を含めた日ノ本よりも広く、フランスはスペインよりも更に大きい」
一同「何と!」
長閑な風景の中を進む。
氏郷「広い割には人の姿が疎らですな」
忠勝「村々の距離も離れ過ぎている印象だ」
元春「しかも村々の間には道があるだけで、開墾など碌にされておらぬようだぞ」
義弘「開墾されていない割に、草木が貧相な気も……」
信長「スペインもフランスも、日ノ本よりも大きい割に人の数は少ない」
一同「ほう?」
信長「付け加えるとヨーロッパに生えている木だが、日ノ本と比べるとその種類は劣る」
氏郷「確かに山を見ても同じような木しかありませぬ」
代わり映えのしない風景が続いた。
氏郷「しかし、水を張った田がまるでありませんな」
忠勝「あるのは麦の生えた畑ばかり」
元春「風に揺れる麦はまるで稲のようだが、歌を詠む気にもならぬ……」
義弘「信長公が米を大量に積んだ理由、今なら分かり申す」
氏郷「米が手に入らぬからですな」
信長「その通りだ。食べ慣れた物がないと戦をする元気すら出ぬ」
元春「それは言えておる。ボソボソのパンなど食った気がせん」
一行はピレネー山脈を越えてフランスに入った。
情報がきちんと伝わっていたようで、揉め事などは起きていない。
フランスに入っても田舎道が続いた。
氏郷「歩けども歩けども葡萄畑が続いておりますな」
忠勝「よもやここまでワインが好きとは……」
元春「赤い酒など血のようではないか! 気色悪い!」
義弘「まあまあ。味はそう悪くないですぞ」
信長「元春公の感想が案外正しいのかもしれぬ」
元春「何?」
氏郷「それは一体?」
信長「キリスト教徒にとり、血のように見えるからこそワインは重要なのだ」
氏郷「血が重要なのですか?」
信長「カトリックの教会で行っているミサだが、式の最後に何かを信徒に配り、杯を使って飲ませておろう?」
氏郷「小さくて白い、煎餅のような食べ物ですな。誰も彼もが口に入れておりましたし、杯には飲み物が入っているようでした」
信長「あれは聖餐と言って、彼らの救世主であるイエスの肉と血だ」
一同「肉と血?! 人を食っておるのか?!」
信長「という名目のパンとワインだ」
一同「驚かせないで頂きたい!」
信長「そうは言ってもパンをイエスの肉に、ワインを血に見立てているのは確かだ」
氏郷「何故そのような事を?」
信長「救世主であるイエスが人々の罪を背負って磔にされる前日、弟子達ととった食事を最後の晩餐と呼ぶのだが、そこで出されたのがパンとワインなのだ」
氏郷「それがどうして肉と血に?」
信長「さあな?」
元春「勿体ぶった割に分からぬのか!?」
信長「想像に過ぎぬが、パンを食べ、ワインを飲む土地に住む者であれば、パンとワインを見る度に、磔にされた自分の事を思い出せと言いたかったのだろう」
氏郷「毎日見れば毎日思い出せという訳ですな」
信長「そうだな。仮に最後の晩餐で普段食べない物が並んでいたなら、違った物言いになっていたのかもしれぬ」
氏郷「成る程。もしもイエスが日ノ本の者であったならば、最後の晩餐は白い米と味噌汁だったのでしょうし、聖餐も米と味噌汁になると」
信長「そうなるのだろうな」
武将達の異文化理解が進む。
元春「そもそもカトリックだかプロテスタントだか、その違いが分からぬのだが……」
信長「違いはない。新しいか古いか、権力を持っている側か、それを奪い取ろうとしている存在なのか、それだけだ」
元春「要領を得んが……」
信長「事の起こりは単純だ」
信長「カトリックでは罪を犯した者はまず心より反省し、神父に告白し、犯した罪に見合った償いをして初めて地獄行きを免れるが、とある教会で、金を積めば犯した罪を許す免罪符なる物を売り、莫大な富を築いたのだ」
元春「読めたぞ。それに反発した者が、本来の教えに立ち戻れと訴えた訳だな」
信長「まさしく」
義弘「清廉潔白な者でも長く権力を握れば腐敗し、金の亡者となるのは良くある話ですからな」
氏郷「心ある者が声を上げるものの、力がない為に押しつぶされる」
忠勝「口を開けば御仏がと、偉そうな事を言っている者達に限ってそうだ」
信長「諸兄らの申す通りだ。神の教えだ何だと言ったところで、所詮は同じ穴の狢だ。力と金の奪い合いに過ぎぬし、下々は振り回されるだけだ」
氏郷「どこも同じですな」
それぞれが抱える寺社勢力の事を思い、一行は嘆息した。
氏郷「そうなりますと、フランスもやはり?」
信長「イサベルが詳しかろう」
フランスの内情を知るべく、同行していたイサベルを呼ぶ。
男ばかりの場所は遠慮していた。
イサベル「現在のフランス国王であるアンリ3世ですが、長く続くユグノー戦争に頭を悩ませておいでのようです」
元春「誰と誰が争っておると?」
イサベル「カトリックとユグノー、つまりは新教徒ですわ」
元春「やはりか!」
義弘「期待を裏切りませんな」
忠勝「無常なり」
信長「国王はどちらだ?」
イサベル「一応はカトリックとの事ですが、熱心な信徒である父フェリペとは違い、それほど敬虔ではないようです」
信長「プロテスタントに対する姿勢はどうだ?」
イサベル「詳しい事はそこまで知りませんが、父フェリペが支援する、カトリック強硬派のギーズ公アンリとは距離を置いているようです」
信長「プロテスタントは少数派なのか?」
イサベル「正確な数は分かりませんが、貴族の中にも信徒はいるようです」
氏郷「下手に片方に肩入れすると、国を二分しかねないという訳ですな」
義弘「ならば国王の振る舞いは理解出来る」
元春「どちらの味方でもないのはいいが、どちらからも敵視されかねんぞ」
忠勝「家臣の中に熱心な信徒がいると、上に立つ者としては頭が痛かろう」
氏郷「政を行う中で、仏の教えと反する事をせねばならない時がありますからな」
武将達の話は尽きない。
昌幸「いつもこのような話を?」
幸村「勝二は物知りだから、ヨーロッパの国々の歴史、文化、風習、宗教なんかを教えてくれていた」
昌幸「お前を送り出して正解だったな」
パリが見える郊外に辿り着く。
氏郷「これは凄い!」
忠勝「パリも城壁に囲まれているのだな!」
元春「遮る山のない平野に建つ町か……」
義弘「囲まねば、敵に易々と侵入される、と」
信長「その土地土地に合った町の形があるようだが、大陸にある大きな町は大抵城壁に囲まれている」
一同「成る程」
信長「どこかで凶作ともなれば、食う物に困った貧民は言葉の通じぬ隣国へと流れ、盗みをして生活するようになり町の治安は悪化する。飢饉にまで発展すれば即ち戦の始まりだ」
氏郷「それは我が国と同じですな」
信長「言葉も風習も違う異民族に町を支配されれば、男は殺され女は犯されて連れ去られる。そのような目に何度も遭えば、嫌でも壁を築くようになるのだろう」
元春「なんという野蛮さだ!」
忠勝「いまいち分かりかねるが……」
氏郷「言葉が分からぬとも、同じ神を信じている者同士なのでは?」
信長「信じる神さえ違う場合もある」
氏郷「それは困りましたな……」
元春「しかし道の続いた先に、意思の疎通さえままならぬ者達が暮らしているとは、俄かには想像がつかん」
義弘「国を治める者としては脅威以外の何物でもないですな」
信長「それ故、国をまとめる何かが必要なのかもしれぬ」
氏郷「その一つが神の教えですか」
元春「つまり、敵が信じる教えに帰依する者は、国を危うくする存在だとして排除される訳だな」
信長「上に立つ側からすればそうなるのだろう」
一行はパリに到着した。
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