第142話 吉田郡山城へ
「嫁入り行列?」
大坂の町はその噂で持ち切りだった。
「織田の姫さんが毛利に嫁ぐんやて」
「それで行列が出るんか。見に行かんとなぁ」
茶々の輿入れは衆目を集めるところとなり、通り道である山陽道には沢山の人が詰めかけた。
中国八ヶ国を治める毛利家は織田家に次ぐ勢力である。
かつては将軍足利義昭を擁し、信長包囲網の中心ともなった。
「黙り込んどるが、どないした?」
「織田と毛利が姻戚になるんやなぁと思っただけや」
「なんや、嫁入りに反対なんか?」
「そうやない。平和になるんやから大賛成や」
「そうやな。争ってもええ事あらへん」
石山の合戦を経て本願寺が信長と和睦し、包囲網の残りは毛利だけとなった。
雌雄を決する大戦が起こると不安視していた人々であったが、天変地異を境として両家は手を結ぶ。
民衆は長く続いた戦乱の世が、ようやく終わりを告げたのだと感じた。
「ほんま別嬪さんやなぁ」
「お市様の娘やさかい」
行列の先頭、着飾った装いで道を進む花嫁は美しかった。
しかし、その姿は随分と奇妙に見える。
「茶々様は別嬪さんやが、けったいな服やでほんま」
「南蛮人の女が着る服らしいで」
「なんや、南蛮人はあないな服を着とるんか」
首元まで隠れるような襟のついた上着で、腕の形が分かる細さの袖である。
柄は白一色だが、そこは花嫁衣裳なのだろう。
最も違和感があるのが下半分で、地面に向かって広がっているように見えた。
まるで開いた傘を腰にぶら下げて歩いているようである。
「なんで知ってるんや?」
そういえばと不思議に思った。
「五代商事で見たんや」
「また五代様の店かいな」
みたらし団子でも下着でも、新しい物は皆そうである。
「女房が見たら欲しがりそうやで」
「それやったら心配いらん」
「なんでや?」
「目が飛び出るくらい高いさかい、金持ち以外買えんわ」
「どれくらいや?」
「これくらいや」
友人の示す値段に飛び上がる。
「えらい高いな!」
とても買えるような価格ではなかった。
彼らは知らないが、イサベルから聞いた話を参考にし、お市と松がデザインした花嫁ドレスである。
王女は信長の船で帰国しているが、王家の娘ならではの知識を伝えてくれた。
嫁入り行列は粛々と街道を進み、播磨に入った。
途中からは花嫁を輿に乗せ、その速度を上げている。
毛利を相手にしていた際、山陽における最前線を任されていた羽柴秀吉の領地である。
秀吉は黒田官兵衛の勧めで姫路城を改築していた。
塗られたばかりの漆喰は美しく、日を浴びて白く輝いて見えた。
「羽柴様、お久しぶりです」
「元気そうで何よりだぎゃ」
勝二らは秀吉の下を訪ねた。
嫁入りの事は既に連絡がいっており、万事怠りない。
「三成はどうだぎゃ?」
「丁寧な仕事をしてくれております」
三成の作った地図を見せる。
一目見るなり叫んだ。
「こりゃあ、どえりゃあで!」
秀吉は正確な地図が持つ価値を思い知った。
「官兵衛!」
懐刀を呼ぶ。
「これを見るだぎゃ!」
腹心に三成の作成した地図を見せた。
「茶々様は益々お市様に似てこられとるんだぎゃ」
秀吉が鼻の下を伸ばしつつ茶々に言う。
勝二は複雑な思いでそれを眺めた。
自分の知る世界では目の前の二人が夫婦となっている。
ふと歴史の修正力が働き、二人の間で恋の火花でも散るのではないかと疑った。
しかし何かが起こる事もなく、勝二らは播磨を後にした。
宇喜多家が支配する備前に入る。
先代の直家は権謀術数で成り上がった人であるが既に病死し、子の秀家が後を継いでいる。
城に寄り、通り一遍の挨拶をして去った。
「毛利領ですよ」
「出迎えが来ていますわ!」
備中に入ると備中高松城の城主、清水宗治が一行を待ち受けていた。
秀吉の行った水攻めに苦しめられ、城兵の命と引き換えに腹を切った事で有名な人物である。
バタフライ・エフェクト。
勝二はその事を強く意識する。
起こした事は僅かであっても、それが切っ掛けとなって別の事象に影響を与え、更にその事が切っ掛けとなって別のところに影響が出る。
もはや自分の知る歴史とは全く異なっているが、死ぬ筈であった人物が生きているのなら、その逆、生きている筈だった人が死んでしまっている可能性もあろう。
茶々の嫁入りもそうかもしれない。
歴史通りであればまだまだ死ぬ事はない彼女だが、毛利家に嫁ぐ事によってその死を早めてしまう事も十分にあり得る。
反対に、大坂に留まっていた方が危険かもしれない。
とはいえ人の生き死にはどうしようもなく、健康である事を祈った。
「吉田郡山城は山の中なのでございますね」
「敵に攻め込まれにくい場所を城としていたのでしょう」
ずっと海沿いを進んでいたが、安芸の国に入ってから山へと向かった。
なだらかな傾斜だと思っていたら突然きつい坂道が待っており、峠を何度も越えて毛利家の居城、吉田郡山城へと到着した。
「随分とまあ、山に囲まれた土地ですのね」
「中国地方は山が多く、開けた土地は限られています」
吉田郡山城は、可愛川に多治比川が合流するのを見下ろす、小高い山の上にあった。
城下に広がるのは、それぞれの川が運んで来た土砂が積もって出来た盆地であり、川の両側には背の高い山が迫っている。
その背後にも山脈が続き、茶々は深い山あいまで来た事を知った。
「海の近くであれば何かと便利ですのに……」
大坂から京都へは舟を使った。
城は淀川沿いにあったので交通の便が良い。
「瀬戸内海は波が穏やかですからね。船を使えば大坂からも早い筈ですよ」
「是非ともそうなって欲しいです」
一年毎に大坂と毛利とを行き来する事になっている。
聞いた時には嬉しく思ったが、毎回こうやって歩かねばならないとしたらウンザリだ。
茶々の心中を察する。
「これからの時代は海運が重要になってきますので、山の中に城を構えているのは都合が悪いのですが……」
「大坂がまさにそうでございますね。輝元様もお考え下されば良いのに」
けれどもそれは他家の者が口出しすべき事ではあるまい。
「ほら、お城から出迎えですよ」
一際多くの人が待ち構えていた。
「良く来てくれた」
「私に頼みたい事がおありとか」
「相談したい事があってな」
吉田郡山城の一室、勝二は小早川隆景と向き合っていた。
既に茶々と共に輝元には挨拶を済ませている。
持参した花嫁道具の豪華さには一同が目を見張り、花嫁の姿に見惚れた。
婚礼の日にちも決まり、勝二は本来の目的を果たす。
「我が方でも住血吸虫がある事は知っておろう?」
「存じております」
甲斐程には酷くないと聞く。
それでも厄介な病気には違いない。
「元清がその方から聞いた内容を現地に伝えたところ、徐々にではあるが病人の発生が減っている。まずは村人に代わって礼を言う」
「それはようございました」
隆景の言葉にホッとする。
一人でも病人が少なくなれば良いのにと思う。
安堵した勝二であったが、隆景の顔が曇っている事に気づく。
どうしたのか尋ねる前に相手が口を開いた。
「しかし」
「しかし?」
オウム返しに問いかける。
「やはり米を作らないのでは食っていけぬ。我が方は甲斐とは違い、他で蚕を飼う者も多いのでな。また、街道の整備に人を雇うにも限界がある」
「そうでございますか……」
隆景は、ふうっと重い溜息を吐き出すように言った。
そして真剣な目で勝二を見つめ、尋ねる。
「何か妙案はないか?」
「そうですね……」
それが相談内容であろう。
勝二は往路で茶々と話した事を思い出した。
「それでしたら吉田郡山城を移転されては如何でしょう?」
「城を移転するだと?」
「はい」
案はないかと聞かれて答えるのであれば無礼ではあるまい。
「申し上げにくいのですが、このお城は山あい過ぎて交通に不便です」
「それは自覚している」
隆景は困り顔で言った。
父元就の頃は城の周りでも戦が続き、険しい山に築城して守りを固めねば命すら危うかった。
しかしこうして戦が遠のくと、守りを固めた山城は一転、行く事さえも面倒になる代物となり果てる。
自身の領地はこの地から遠い。
今回は縁談の為に吉田郡山城に来ているが、来るだけでも一仕事である。
「出来れば海沿いの町に城を移すべきかと。普段は交通の便の良い地で統治に当たり、火急の際には防衛に適した拠点に退く事で敵に備えます」
「理解した」
「戦が治まってくれば人や物資の往来が増えていきます。街道の整備、海路の開発で、交通の便の良い地に人も物もお金も集まってくるでしょう。それらに税を課せば、領地経営にとって大いに役立ちます」
「確かに街道を整備するにつれ、人の往来が増えたな」
それは体感的に把握していた。
そして気づく。
「成る程、そこに村の者を使う訳か」
「まさしく」
城を移すとなると莫大な人員を必要とする。
食うに困った者には助かる話だ。
「また、人が集まれば商売を始める者も増えましょう。売り物を必要とし、それを作る職が生まれます」
「雇い入れる者だけではないのだな」
人が多く集まるというだけで周辺に波及効果がある。
と、ドタドタとした足音が近付いてきた。
慌てているらしい。
「隆景様!」
「どうした?」
襖を開けたのは、隆景の母違いの弟にして養子の元総だった。
つまり茶々の夫となる男である。
元就の武勇を、吉川元春を別とすれば最も受け継いでいるとされた人物で、眉目秀麗な若者だった。
現代の基準でもイケメンで通るなと勝二が思った程で、美しい茶々とお似合いであろう。
客人にそんな風に思われているとは思わない元総が報告する。
「奥州の伊達が動きましてございます!」
「何?!」
治まりかけていると思っていた矢先の戦だった。




